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無自覚な依存症
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「散々な目に遭わせちゃったわね」
ミス・レイチェルが申し訳なさそうに頭を下げた。
「私が悪かったの。すっかり油断しちゃって」
ウェストクリス社の社長室。
ケイムは玄関にミス・レイチェルを呼び出して早々に強く抗議していた。
いつもは余裕綽々で返すミス・レイチェルが、今日はしおらしく言われっぱなしだった。
アリアは心苦しさで一杯で、頭が床につくくらいにお辞儀する。
ミス・レイチェルはわざわざ馬車を用意してくれたのに、早くケイムに会いたいからと、馬車の入れない狭い路地を近道にするために帰してしまったのだ。
「無事で良かったわ。さもないと、ジョナサンに恨まれるどころじゃなかったわ」
ミス・レイチェルは長い溜め息をついて胸を撫で下ろした。
「ジョナサンの大好きなアリアだものね」
彼女は艶然と笑う。
「茶化さないでよ」
「あら。あなた、気づかなかった? 」
あら、とミス・レイチェルはやや目を開く。
「彼が何故、女性と長続きしないか」
ゆったりした動作で机に片肘をつくと、頬を支えた。たっぷりした付け睫毛が瞬く。
「な、何故? 」
それは、アリアも気になってはいた。
酒飲みで口の悪ささえ目を潰れば、彼は優しくて、頼り甲斐があり、それに今は痩せてハンサム。賭博を嗜むものの、散財はせず、財産も申し分ない。
彼が大好きといった色眼鏡を外しても、欠点がわからない。
「口を開けば『アリア、アリア』だもの。逢引きの約束も、アリアを優先にして反故にするなんて、しょっちゅうだったし」
ミス・レイチェルは気怠げに顔を傾ける。
「小児性愛者かと疑ってたけど、どうやら違ったようね」
酷い言われようだ。
「無自覚アリア依存症ね」
しみじみとミス・レイチェルが造語する。
「何、それ」
「彼の優先順位はアリアが一番。そりゃ、振られて当然よね」
思い返せば、ケイムおじさまは、アリアが行きたい場所を口にすれば、すぐにどこかへ連れ出してくれた。イザベラにあまり甘やかさないようにと苦言を呈されても、ニヤニヤ笑ってかわしていたっけ。
まさか、逢引きのお誘いを断ってまで、アリアを優先させていたなんて。
「もしかして、ミス・レイチェルって」
あまりにも詳細なため、アリアにまた一つ疑問が湧く。
「ふふ。昔のことよ」
ミス・レイチェルは微笑む。
「彼とは一週間も保たなかったわ」
アリアの疑惑をあっさり認めた。
このような大人びて素晴らしい女性と関係が切れてしまうなんて、信じられない。
「誤解しないでね。私には素敵な恋人がいるんだから」
アリアの表情から読み取り、ミス・レイチェルは否定した。
「あなたも、きっと会ってるわ。彼の秘書をしているから」
「あ、あの方が? 」
「意外? 」
「え、ええ」
「そんな素直なところが、ジョナサンは可愛くて堪らないのね」
意外な組み合わせに驚いていると、ミス・レイチェルはまるで人形を愛でる少女のように目を細めた。アリアは素直だ。
「来たわね」
耳をピクリと尖らせるミス・レイチェル。
馬がいななき、俄かに玄関が騒がしくなった。
「王子様がお待ちよ。玄関まで送ってあげるわ」
立ち上がるなり、まるで紳士がエスコートするような仕草を見せる。
「彼、私を嫌がって、決してうちには入らないから」
彼女の指摘通り、ケイムは会社の敷居を跨がなかった。
「彼とは上手くいったようね」
「え? 」
「白紙の手紙を私に寄越して、秘書を追い出したんだから。さぞ、楽しめたんじゃなくて? 」
「な、何のこと! 」
「隣室の秘書が気になって萎えるからって、ねえ? あなたを抱きたくて仕方ないんだから。あの男は」
ケイムはそんなに軽い男ではない。そう反論したかったのに、社長室での出来事が甦り、アリアは顔から湯気を出して俯いた。
「さあ、アリア。これから広報誌に連載の仕事がありますからね。しっかり実体験を書き連ねてね」
ミス・レイチェルはようやくアリアを作家として認めてくれた。
だが、アリアはケイムの色っぽい息遣いを反芻していたので、肝心の言葉は耳を素通りしてしまった。
ミス・レイチェルが申し訳なさそうに頭を下げた。
「私が悪かったの。すっかり油断しちゃって」
ウェストクリス社の社長室。
ケイムは玄関にミス・レイチェルを呼び出して早々に強く抗議していた。
いつもは余裕綽々で返すミス・レイチェルが、今日はしおらしく言われっぱなしだった。
アリアは心苦しさで一杯で、頭が床につくくらいにお辞儀する。
ミス・レイチェルはわざわざ馬車を用意してくれたのに、早くケイムに会いたいからと、馬車の入れない狭い路地を近道にするために帰してしまったのだ。
「無事で良かったわ。さもないと、ジョナサンに恨まれるどころじゃなかったわ」
ミス・レイチェルは長い溜め息をついて胸を撫で下ろした。
「ジョナサンの大好きなアリアだものね」
彼女は艶然と笑う。
「茶化さないでよ」
「あら。あなた、気づかなかった? 」
あら、とミス・レイチェルはやや目を開く。
「彼が何故、女性と長続きしないか」
ゆったりした動作で机に片肘をつくと、頬を支えた。たっぷりした付け睫毛が瞬く。
「な、何故? 」
それは、アリアも気になってはいた。
酒飲みで口の悪ささえ目を潰れば、彼は優しくて、頼り甲斐があり、それに今は痩せてハンサム。賭博を嗜むものの、散財はせず、財産も申し分ない。
彼が大好きといった色眼鏡を外しても、欠点がわからない。
「口を開けば『アリア、アリア』だもの。逢引きの約束も、アリアを優先にして反故にするなんて、しょっちゅうだったし」
ミス・レイチェルは気怠げに顔を傾ける。
「小児性愛者かと疑ってたけど、どうやら違ったようね」
酷い言われようだ。
「無自覚アリア依存症ね」
しみじみとミス・レイチェルが造語する。
「何、それ」
「彼の優先順位はアリアが一番。そりゃ、振られて当然よね」
思い返せば、ケイムおじさまは、アリアが行きたい場所を口にすれば、すぐにどこかへ連れ出してくれた。イザベラにあまり甘やかさないようにと苦言を呈されても、ニヤニヤ笑ってかわしていたっけ。
まさか、逢引きのお誘いを断ってまで、アリアを優先させていたなんて。
「もしかして、ミス・レイチェルって」
あまりにも詳細なため、アリアにまた一つ疑問が湧く。
「ふふ。昔のことよ」
ミス・レイチェルは微笑む。
「彼とは一週間も保たなかったわ」
アリアの疑惑をあっさり認めた。
このような大人びて素晴らしい女性と関係が切れてしまうなんて、信じられない。
「誤解しないでね。私には素敵な恋人がいるんだから」
アリアの表情から読み取り、ミス・レイチェルは否定した。
「あなたも、きっと会ってるわ。彼の秘書をしているから」
「あ、あの方が? 」
「意外? 」
「え、ええ」
「そんな素直なところが、ジョナサンは可愛くて堪らないのね」
意外な組み合わせに驚いていると、ミス・レイチェルはまるで人形を愛でる少女のように目を細めた。アリアは素直だ。
「来たわね」
耳をピクリと尖らせるミス・レイチェル。
馬がいななき、俄かに玄関が騒がしくなった。
「王子様がお待ちよ。玄関まで送ってあげるわ」
立ち上がるなり、まるで紳士がエスコートするような仕草を見せる。
「彼、私を嫌がって、決してうちには入らないから」
彼女の指摘通り、ケイムは会社の敷居を跨がなかった。
「彼とは上手くいったようね」
「え? 」
「白紙の手紙を私に寄越して、秘書を追い出したんだから。さぞ、楽しめたんじゃなくて? 」
「な、何のこと! 」
「隣室の秘書が気になって萎えるからって、ねえ? あなたを抱きたくて仕方ないんだから。あの男は」
ケイムはそんなに軽い男ではない。そう反論したかったのに、社長室での出来事が甦り、アリアは顔から湯気を出して俯いた。
「さあ、アリア。これから広報誌に連載の仕事がありますからね。しっかり実体験を書き連ねてね」
ミス・レイチェルはようやくアリアを作家として認めてくれた。
だが、アリアはケイムの色っぽい息遣いを反芻していたので、肝心の言葉は耳を素通りしてしまった。
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