【完結】恋愛小説家アリアの大好きな彼

晴 菜葉

文字の大きさ
上 下
17 / 123

大人になるとき

しおりを挟む
 ラードナーホテルに午後三時。
 指定された部屋の、中央に置かれたベッドの周りをぐるぐると回りながら、アリアはぶつぶつと己に暗示をかけていた。
 編み込みをアップスタイルにして、ドレスも出来る限り大人っぽいデザインのものを選んだ。深緑の絹地に幾何学模様が銀糸で刺繍された落ち着きあるドレスは、髪型や化粧にほんの少し手を加えただけで、年相応の淑女だ。
「私は大人になるのよ。アリア。今日から一人前の大人よ」
 まるで呪術でも施しかねない雰囲気は、とてもじゃないがこれから男性とベッドを共にするとは思えない。
 むしろ、決闘に挑むような禍々しさだ。
 アリアにとっては、決闘のようなものだが。
 まさに、生きるか死ぬか。
 ケイムを忘れるということは、これまでの人生を殺すことに値する。
 それほど、彼はアリアの人生に食い込んでいた。
 柱時計が三時の鐘を打つ。
 腹にずりしとくるその鈍い音に、アリアはピタリと立ち止まった。


 三度のノックの後、遠慮がちに扉が開く。
 アリアは窓辺に立ち、男に背を向けた。
 だから、相手がどのような容姿をしているのか、幾つくらいなのか、若いんだか年寄りなんだか、さっぱりわからない。
 男の方も緊張しているのか、一言も喋らない。
 だが、靴音がだんだん大きくなってくるので、こちらに歩み寄っているのはわかる。気配はすぐ背後まで来ている。
 アリアは喉唾を飲み下した。
「まさか、君が快諾してくれるなんて」
 ん? アリアの眉が怪訝に寄る。
 どこかで聞いた声。どこかどころか、しょっちゅう聞き慣れている声。
 アリアの血の巡りが速くなる。
 いや、よく似た声はたまにある。
 アリアは嫌な予感を打ち消す。
「ミス・レイチェルを通じて俺に報せをくれたんだな」
 知った名前が相手の口から飛び出して、ますます予感は嫌な方へと傾く。
「俺は君のことばかり考えて、眠れない日々を過ごしたよ」
 どの口が言うのか。夜這いをかけたとき、熟睡してなかなか目覚めなかったくせに。アリアは歯軋りする。
 いや、まだケイムと決まったわけではない、と打ち消す。
「俺のこの乾いた心に再び潤いをくれ。君は俺のオアシスだ」
 何がオアシスだ。常にワインで体を潤わせてるくせに。直前までさんざん酒を水のようにがはがば飲んで酔っ払っていたから、そのような戯言を恥ずかしげもなく吐けるのか。
 アリアに対しては、まるで教師のようにいちいち説教を垂れて、堅物ぶりしか見せないくせに。
 ケイムがこのような歯の浮く台詞をべらべら舌に乗せるなんて。
 自分には一言も発しないくせに。
 いやいや、まだケイムと決まったわけでは。
 頭の中の四分の三が彼だと認知してはいたが、アリアはまだ可能性に縋りたい。
「顔を見せてくれないか? 」
「……」
「君のその美しい顔を俺の瞳に映し出させてくれ」
 お望みとならば、見せてやる。
 もし本当にケイムなら、張り手の一つでもして、その酔っ払った思考を醒させてやるのだ。
 だんだんムカついてきて、アリアは思い切って振り返った。


「……アリア? 」


 鳩が豆鉄砲を食らった顔。そのままだ。

 アリアの耳は悔しいことに正常であり、彼女は失望した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...