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宝石の意味
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青蜥蜴は雪森の膝裏に手を入れると、軽々と抱え、所謂お姫様抱っこをする。
日頃から女性を連想させる真似を厭う雪森は、当然、足をばたつかせて抵抗してみせた。
それに対し、チッと舌打ちで済ませると、青蜥蜴は腕の中で暴れるのを物ともせず、廊下を駆け、階段を三段飛ばしで降りた。
屋敷はガランとして、玄関も表門も開けっぱなしだ。
難なく桂木邸からの脱出を諮った青蜥蜴は、路地に出るなりすぐに左に折れ、隣との境の一本道を突っ切る。
真正面に停車していた黒塗りの国産車に飛び乗った。
自動車の扉が閉まるなり、急発進する。
雪森を膝の上に乗せたまま、後部座席で青蜥蜴は大きく肩を上下させていた。女性のようだと形容されようが、雪森は成人男性に幾らか体格が近づきつつある。体重もそれなりだ。お荷物を抱えての全力疾走は、さすがに体力を消耗したらしい。
「に、兄さん!その子供は、まさか」
運転手の鳥打ち帽の青年が、素っ頓狂な声を上げた。
「姉さんに叱られるどころじゃないよ。何、考えてるの」
青蜥蜴は警帽を脱ぎ、汗まみれの髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き乱している。
「お前は余計なことを考えず、運転に集中していなさい」
いらいらした口調。いつものスマートさは皆無だ。おそらくこの青年が噂の「間抜け」なのだろう。
兄さんと口走ったことを、雪森は聞き逃さなかった。
鳥打ち帽の青年はまだ何やら不満げにぶつぶつ言っている。
車は世田谷のまだ人家の揃っていない地帯をうろうろしていた。道をくねり、坂を昇れば、鬱蒼とした林の中へ入る。月の光が届かず、車内は闇に包まれた。
雪森が抵抗しないと結論した青蜥蜴は、膝からクッションのよくきいた座席に降ろし、ようやく猿ぐつわを解いてくれた。息をすることさえままならず、口中一杯に涎が溜まって、外された途端、だらだらと垂れ落ちた。それを手の甲で拭いながら、横目で、窮屈そうな詰襟の釦を二つ三つ外している悪党に尋ねる。
「何でこの観音像の手に拘るんだ」
桐箱は雪森の胸に抱かれたままだ。
突如、車内の空気が沈む。
気のせいではない。
青蜥蜴の周囲に、入る余地のない只ならぬ空気が巡らされている。
触れてはいけない話題であるのは明らかだ。
それでも雪森は怯まず、一直線に青蜥蜴を見据える。一点の曇りもない眼差しは、誤魔化しがきかない頑固さが顕著だ。
観念し、青蜥蜴は大きく息を吐いた。
「この観音像の手はね、十年前、ある男が恋人に作らせた品だったんです」
「兄さん、その話は」
弟が割って入った。
「いいんだ。雪森さんにも聞く権利くらいはあるだろう」
「でも」
まだ青年は不満そうだ。それでも、対向車の前照灯に意識をもっていった。
「何の歴史的価値もない造り物です」
奈良時代からの骨董品であることを、真っ向から否定する言葉だ。目利きに自信を持つあの父が所有するとは、到底思えない。
「どうして、そんなものを盗むんだ」
金品には目も呉れず、歴史的価値のあるものばかりを好む。
青蜥蜴の評判を覆す品だ。
率直な疑問に、青蜥蜴は無理に笑みを作った。
「観音像の手に、宝石が設えられているのはご存知でしょう。二人の愛の証しとして、名前の頭文字と同じ頭文字の宝石を埋め込ませた」
以前、美登理が話していた宝石名を、雪森は反芻してみた。
「玻璃、孔雀石、トルコ石……ハ、ク、ト?男か?」
「なかなか頭の回転が早い。そうです。波玖斗……男色の関係でした」
青蜥蜴は一見平然を装ってはいるが、声に僅かに揺れがある。動揺の証しだ。
「そんな曰くありげなものを欲しがるなんてな。悪趣味だろ」
波玖斗と名の男は、確実に青蜥蜴の深いところに侵出している。
どれほど危機的な状況であろうと、飄々とした態度を崩さない悪党が、胸の内で懊悩としているのだ。
そのとき雪森は、その得体の知れない男に嫉妬にも似た感情を持った。
名前が出ただけで、青蜥蜴の平常心を崩してしまうほどの男に。
「そうかも知れませんね」
窓の方に顔を向けたので、そのとき青蜥蜴がどのような表情をしていたか、雪森が知るのは不可能だった。
「その恋人って、もしかして」
雪森はその先を躊躇う。
青蜥蜴が男色家なのは、最早、隠しようのない事実だ。
青蜥蜴がそうまでして観音像の左手奪取に拘るには、それなりの理由がある。
青蜥蜴が、波玖斗とかいう男に観音像の左手を作らせたと仮定すれば、脳内でバラバラの小片が繋がった。
波玖斗という製作者が、ひょっとすると青蜥蜴の恋人かも知れない。
そう考えると、異様なまでの執着具合に辻褄が合う。
恋人がいながら、余所の男にも不埒な真似を働くとは。
甘言全てが嘘にまみれた、その場凌ぎでしかなかったのだ。
たちまち、雪森の心が潰れそうなくらい痛み出した。何か強い力で握られてしまったように、息が苦しい。喉元に鉛を詰められているようだ。次第に呼吸が荒くなって、耳鳴りさえする。
「雪森さん?」
名前を呼ばれただけで虫唾が走る。
大人しく車に揺られているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
そもそも、青蜥蜴は敵だ。憎むべき悪党だ。人を騙すことが商売なのだ。
それなら自分も騙された振りをして、悪党の巣窟を突き止めてやる。これ以上の犠牲者を出さないためにも。
雪森の目の色が変わった。
日頃から女性を連想させる真似を厭う雪森は、当然、足をばたつかせて抵抗してみせた。
それに対し、チッと舌打ちで済ませると、青蜥蜴は腕の中で暴れるのを物ともせず、廊下を駆け、階段を三段飛ばしで降りた。
屋敷はガランとして、玄関も表門も開けっぱなしだ。
難なく桂木邸からの脱出を諮った青蜥蜴は、路地に出るなりすぐに左に折れ、隣との境の一本道を突っ切る。
真正面に停車していた黒塗りの国産車に飛び乗った。
自動車の扉が閉まるなり、急発進する。
雪森を膝の上に乗せたまま、後部座席で青蜥蜴は大きく肩を上下させていた。女性のようだと形容されようが、雪森は成人男性に幾らか体格が近づきつつある。体重もそれなりだ。お荷物を抱えての全力疾走は、さすがに体力を消耗したらしい。
「に、兄さん!その子供は、まさか」
運転手の鳥打ち帽の青年が、素っ頓狂な声を上げた。
「姉さんに叱られるどころじゃないよ。何、考えてるの」
青蜥蜴は警帽を脱ぎ、汗まみれの髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き乱している。
「お前は余計なことを考えず、運転に集中していなさい」
いらいらした口調。いつものスマートさは皆無だ。おそらくこの青年が噂の「間抜け」なのだろう。
兄さんと口走ったことを、雪森は聞き逃さなかった。
鳥打ち帽の青年はまだ何やら不満げにぶつぶつ言っている。
車は世田谷のまだ人家の揃っていない地帯をうろうろしていた。道をくねり、坂を昇れば、鬱蒼とした林の中へ入る。月の光が届かず、車内は闇に包まれた。
雪森が抵抗しないと結論した青蜥蜴は、膝からクッションのよくきいた座席に降ろし、ようやく猿ぐつわを解いてくれた。息をすることさえままならず、口中一杯に涎が溜まって、外された途端、だらだらと垂れ落ちた。それを手の甲で拭いながら、横目で、窮屈そうな詰襟の釦を二つ三つ外している悪党に尋ねる。
「何でこの観音像の手に拘るんだ」
桐箱は雪森の胸に抱かれたままだ。
突如、車内の空気が沈む。
気のせいではない。
青蜥蜴の周囲に、入る余地のない只ならぬ空気が巡らされている。
触れてはいけない話題であるのは明らかだ。
それでも雪森は怯まず、一直線に青蜥蜴を見据える。一点の曇りもない眼差しは、誤魔化しがきかない頑固さが顕著だ。
観念し、青蜥蜴は大きく息を吐いた。
「この観音像の手はね、十年前、ある男が恋人に作らせた品だったんです」
「兄さん、その話は」
弟が割って入った。
「いいんだ。雪森さんにも聞く権利くらいはあるだろう」
「でも」
まだ青年は不満そうだ。それでも、対向車の前照灯に意識をもっていった。
「何の歴史的価値もない造り物です」
奈良時代からの骨董品であることを、真っ向から否定する言葉だ。目利きに自信を持つあの父が所有するとは、到底思えない。
「どうして、そんなものを盗むんだ」
金品には目も呉れず、歴史的価値のあるものばかりを好む。
青蜥蜴の評判を覆す品だ。
率直な疑問に、青蜥蜴は無理に笑みを作った。
「観音像の手に、宝石が設えられているのはご存知でしょう。二人の愛の証しとして、名前の頭文字と同じ頭文字の宝石を埋め込ませた」
以前、美登理が話していた宝石名を、雪森は反芻してみた。
「玻璃、孔雀石、トルコ石……ハ、ク、ト?男か?」
「なかなか頭の回転が早い。そうです。波玖斗……男色の関係でした」
青蜥蜴は一見平然を装ってはいるが、声に僅かに揺れがある。動揺の証しだ。
「そんな曰くありげなものを欲しがるなんてな。悪趣味だろ」
波玖斗と名の男は、確実に青蜥蜴の深いところに侵出している。
どれほど危機的な状況であろうと、飄々とした態度を崩さない悪党が、胸の内で懊悩としているのだ。
そのとき雪森は、その得体の知れない男に嫉妬にも似た感情を持った。
名前が出ただけで、青蜥蜴の平常心を崩してしまうほどの男に。
「そうかも知れませんね」
窓の方に顔を向けたので、そのとき青蜥蜴がどのような表情をしていたか、雪森が知るのは不可能だった。
「その恋人って、もしかして」
雪森はその先を躊躇う。
青蜥蜴が男色家なのは、最早、隠しようのない事実だ。
青蜥蜴がそうまでして観音像の左手奪取に拘るには、それなりの理由がある。
青蜥蜴が、波玖斗とかいう男に観音像の左手を作らせたと仮定すれば、脳内でバラバラの小片が繋がった。
波玖斗という製作者が、ひょっとすると青蜥蜴の恋人かも知れない。
そう考えると、異様なまでの執着具合に辻褄が合う。
恋人がいながら、余所の男にも不埒な真似を働くとは。
甘言全てが嘘にまみれた、その場凌ぎでしかなかったのだ。
たちまち、雪森の心が潰れそうなくらい痛み出した。何か強い力で握られてしまったように、息が苦しい。喉元に鉛を詰められているようだ。次第に呼吸が荒くなって、耳鳴りさえする。
「雪森さん?」
名前を呼ばれただけで虫唾が走る。
大人しく車に揺られているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
そもそも、青蜥蜴は敵だ。憎むべき悪党だ。人を騙すことが商売なのだ。
それなら自分も騙された振りをして、悪党の巣窟を突き止めてやる。これ以上の犠牲者を出さないためにも。
雪森の目の色が変わった。
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