上 下
20 / 32

宝石の意味

しおりを挟む
 青蜥蜴は雪森の膝裏に手を入れると、軽々と抱え、所謂お姫様抱っこをする。
 日頃から女性を連想させる真似を厭う雪森は、当然、足をばたつかせて抵抗してみせた。
 それに対し、チッと舌打ちで済ませると、青蜥蜴は腕の中で暴れるのを物ともせず、廊下を駆け、階段を三段飛ばしで降りた。
 屋敷はガランとして、玄関も表門も開けっぱなしだ。
 難なく桂木邸からの脱出を諮った青蜥蜴は、路地に出るなりすぐに左に折れ、隣との境の一本道を突っ切る。
 真正面に停車していた黒塗りの国産車に飛び乗った。
 自動車の扉が閉まるなり、急発進する。
 雪森を膝の上に乗せたまま、後部座席で青蜥蜴は大きく肩を上下させていた。女性のようだと形容されようが、雪森は成人男性に幾らか体格が近づきつつある。体重もそれなりだ。お荷物を抱えての全力疾走は、さすがに体力を消耗したらしい。
「に、兄さん!その子供は、まさか」
 運転手の鳥打ち帽の青年が、素っ頓狂な声を上げた。
「姉さんに叱られるどころじゃないよ。何、考えてるの」
 青蜥蜴は警帽を脱ぎ、汗まみれの髪の毛をぐしゃぐしゃ掻き乱している。
「お前は余計なことを考えず、運転に集中していなさい」
 いらいらした口調。いつものスマートさは皆無だ。おそらくこの青年が噂の「間抜け」なのだろう。
 兄さんと口走ったことを、雪森は聞き逃さなかった。
 鳥打ち帽の青年はまだ何やら不満げにぶつぶつ言っている。
 車は世田谷のまだ人家の揃っていない地帯をうろうろしていた。道をくねり、坂を昇れば、鬱蒼とした林の中へ入る。月の光が届かず、車内は闇に包まれた。
 雪森が抵抗しないと結論した青蜥蜴は、膝からクッションのよくきいた座席に降ろし、ようやく猿ぐつわを解いてくれた。息をすることさえままならず、口中一杯に涎が溜まって、外された途端、だらだらと垂れ落ちた。それを手の甲で拭いながら、横目で、窮屈そうな詰襟の釦を二つ三つ外している悪党に尋ねる。
「何でこの観音像の手に拘るんだ」
 桐箱は雪森の胸に抱かれたままだ。
 突如、車内の空気が沈む。
 気のせいではない。
 青蜥蜴の周囲に、入る余地のない只ならぬ空気が巡らされている。
 触れてはいけない話題であるのは明らかだ。
 それでも雪森は怯まず、一直線に青蜥蜴を見据える。一点の曇りもない眼差しは、誤魔化しがきかない頑固さが顕著だ。
 観念し、青蜥蜴は大きく息を吐いた。
「この観音像の手はね、十年前、ある男が恋人に作らせた品だったんです」
「兄さん、その話は」
 弟が割って入った。
「いいんだ。雪森さんにも聞く権利くらいはあるだろう」
「でも」
 まだ青年は不満そうだ。それでも、対向車の前照灯に意識をもっていった。
「何の歴史的価値もない造り物です」
 奈良時代からの骨董品であることを、真っ向から否定する言葉だ。目利きに自信を持つあの父が所有するとは、到底思えない。
「どうして、そんなものを盗むんだ」
 金品には目も呉れず、歴史的価値のあるものばかりを好む。
 青蜥蜴の評判を覆す品だ。
 率直な疑問に、青蜥蜴は無理に笑みを作った。
「観音像の手に、宝石が設えられているのはご存知でしょう。二人の愛の証しとして、名前の頭文字と同じ頭文字の宝石を埋め込ませた」
 以前、美登理が話していた宝石名を、雪森は反芻してみた。
「玻璃、孔雀石、トルコ石……ハ、ク、ト?男か?」
「なかなか頭の回転が早い。そうです。波玖斗はくと……男色の関係でした」
 青蜥蜴は一見平然を装ってはいるが、声に僅かに揺れがある。動揺の証しだ。
「そんな曰くありげなものを欲しがるなんてな。悪趣味だろ」
 波玖斗と名の男は、確実に青蜥蜴の深いところに侵出している。
 どれほど危機的な状況であろうと、飄々とした態度を崩さない悪党が、胸の内で懊悩としているのだ。
 そのとき雪森は、その得体の知れない男に嫉妬にも似た感情を持った。
 名前が出ただけで、青蜥蜴の平常心を崩してしまうほどの男に。
「そうかも知れませんね」
 窓の方に顔を向けたので、そのとき青蜥蜴がどのような表情をしていたか、雪森が知るのは不可能だった。
「その恋人って、もしかして」
 雪森はその先を躊躇う。
 青蜥蜴が男色家なのは、最早、隠しようのない事実だ。
 青蜥蜴がそうまでして観音像の左手奪取に拘るには、それなりの理由がある。
 青蜥蜴が、波玖斗とかいう男に観音像の左手を作らせたと仮定すれば、脳内でバラバラの小片が繋がった。
 波玖斗という製作者が、ひょっとすると青蜥蜴の恋人かも知れない。
 そう考えると、異様なまでの執着具合に辻褄が合う。
 恋人がいながら、余所の男にも不埒な真似を働くとは。
 甘言全てが嘘にまみれた、その場凌ぎでしかなかったのだ。
 たちまち、雪森の心が潰れそうなくらい痛み出した。何か強い力で握られてしまったように、息が苦しい。喉元に鉛を詰められているようだ。次第に呼吸が荒くなって、耳鳴りさえする。
「雪森さん?」
 名前を呼ばれただけで虫唾が走る。
 大人しく車に揺られているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
 そもそも、青蜥蜴は敵だ。憎むべき悪党だ。人を騙すことが商売なのだ。
 それなら自分も騙された振りをして、悪党の巣窟を突き止めてやる。これ以上の犠牲者を出さないためにも。
 雪森の目の色が変わった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

運命の番が解体業者のおっさんだった僕の話

いんげん
BL
僕の運命の番は一見もっさりしたガテンのおっさんだった。嘘でしょ!?……でも好きになっちゃったから仕方ない。僕がおっさんを幸せにする! 実はスパダリだったけど…。 おっさんα✕お馬鹿主人公Ω おふざけラブコメBL小説です。 話が進むほどふざけてます。 ゆりりこ様の番外編漫画が公開されていますので、ぜひご覧ください♡ ムーンライトノベルさんでも公開してます。

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら寵妃になった僕のお話

トウ子
BL
惚れ薬を持たされて、故国のために皇帝の後宮に嫁いだ。後宮で皇帝ではない人に、初めての恋をしてしまった。初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら、きちんと皇帝を愛することができた。心からの愛を捧げたら皇帝にも愛されて、僕は寵妃になった。それだけの幸せなお話。 2022年の惚れ薬自飲BL企画参加作品。ムーンライトノベルズでも投稿しています。

ノンケの俺が開発されるまで

ゆうきぼし/優輝星
BL
倉沢健吾は仕事一筋で今まで突き進んできたせいか恋愛事には浮いた話はない。ある日研修先で同僚の安住(♂)と酒を飲み酔った勢いで一夜を共にしてしまう。安住は以前から倉沢に恋心を抱いていたのが成就して喜ぶが、翌朝目覚めると倉沢は何も覚えてなかったのだった。ノンケリーマンが開発されていくお話。 ~~恋愛的に持久可能な開発をとりくみたい~~ 安住が攻めです(笑)倉沢はクールな無自覚美人受けです。安住にだけ甘い言葉を吐いてしまうというのを本人は気づいてないです。安住はベットの中では狼になりますw スパダリ大型犬×仕事人間スパダリ エロシーンに*マーク。 美味しい食卓編からは #ルクイユのおいしいごはんBL企画に参加します。

処理中です...