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エレベーターが十五階に到着する。
橋本は黙ってカードキーを差し込むと、ぐいと俺を前に突き出した。扉が開いた途端、ドンと突き飛ばされ、勢い任せにマットレスに頭からダイブする。
「ちょっとぉ、乱暴なぁ」
いつもの、優しい橋本さんはどこ行ったあ?
酔っ払っているせいでうまく呂律が回らないが、何とか抗議は出来た。
ごろんと仰向けになる。あー、エアコンの風が顔に当たって心地いい。
「ほら、靴脱げや」
甲斐甲斐しく橋本が革靴を脱がせてくれる。
「ジャケット、皺になんぞ」
「別にセットで一万五千円だから、いい。サイズアウトすれすれだし」
「だからってなあ」
口の中で何かぶつぶつ言いながらも、橋本はジャケットも脱がせてくれる。
「ありがと、父ちゃん」
酔っ払ったついでにふざければ、
「だから、誰が父ちゃんや」
「あいた!」
ペシンッと額を叩かれてしまった。
梨花とのデート代で、金はいつもすっからかん。俺はセックス要員じゃなくて、もしかしなくても財布だったのか。特救でついた筋肉のせいで、このジャケットは今日でお払い箱だな。また金が飛ぶ。
「ダブルベッドって。ヤる気、満々」
何故か橋本はいらいらしている。
「どうせやったら、最上階にせえよ」
腕を組みながら、窓ガラスの向こうに広がる夜景を眺めながら、ぶつぶつ文句を垂れる。
お高そうな、いかにもオーダーメイドらしい濃紺のジャケットは、橋本の体型にばっちり合っている。服を着てもよくわかる、理想的な筋肉のつき方。
「そんな金、あるわけないだろお」
つい、背中に見惚れてしまったのは、内緒だ。
「出し惜しみする時点で、そこまでの女っちゅうわけや」
「お、俺は将来を見据えて」
「節約かあ?まあ、それでもええけど」
言葉とは裏腹に全然納得いってないらしい。
「橋本さんは、やっぱり最上階ですか?」
「何が」
「女、連れ込むの」
「何やそれ」
と、橋本の垂れ目が吊り上がった。
普段のほほんとしまりないやつが睨めば、眼力は凄まじい。琥珀色の瞳、すっきりした鼻筋、アヒル口。どんなシャンプーを使ったらそんなサラサラになるんですかと問いたい艶々の髪。男らしい喉仏。それらのパーツが的確に配置され、男前を作り上げている。
さすが、市局に行けば女子がきゃあきゃあ騒ぐだけのことはある。
「お前さあ、さっきのカクテルの意味、聞いてた?」
「カクテル?何の?」
「聞いてへんだんかい」
いらっと橋本の片眉が器用に斜めになる。
「アプリコットフィズの」
「ああ。すみません。頭ふわふわしてて」
仕事なら絶対しちゃいけないことだが、今はプライベートだ。
「じゃあ、ずっと、ふわふわしとけ」
ぎしっと、ベッドが軋む。
視界が薄暗くなる。
橋本が俺の顔を挟むように両手をつき、覆い被さってきた。
いつもの、へらへら具合はどこにもない。真面目で、でも垂れがちな目のせいかどこかしら切なくて。滅多にお目にはかかれない顔だ。
「『振り向いてください』」
耳元をくすぐる息に、いつになく低い声が乗る。
俺は鈍感な方ではない。
むしろ、そういうのには敏感だ。
北欧の血が混じる白い肌に、青みがかった目、光の加減で染めてもいないのに栗色に見える髪と、二十六になっても未だに高校生と間違われるコンプレックスのせいで、女よりむしろ男からいかがわしい視線を向けられてきた。向けられるどころか、実際、襲われかけたこともある。
消防で鍛えた腕っぷしを舐めるなよ。
橋本の視線はその類だ。
「へえ。もしかして橋本さん、俺を抱きたいの?」
いつもなら、口が裂けてもこんな挑発はしない。
でも、相手が職場の先輩だから、むかついた。
配属されて一年。そんな下心で俺のこと見てきたのかよ。
気の良い先輩ヅラしやがって。
「やっらしー。ダブルベッドの上でそんなこと言っちゃってえ」
調子こいてるのはわかってるけど、止まらない。
「お前、誘ってんのか?」
「えー?そう見えますかあ?」
「酔っ払ってんのか」
「そうかもー」
「本性が、それか」
言いながらも、橋本は自分のシャツのボタンを片手で外していく。
「マジで犯すぞ、お前」
「どうぞー。出来るものなら」
「こんの、小悪魔が」
いらいらする橋本の声。怖い眼差し。現場での厳しさとは、また違う。こんな色っぽい顔は、もう二度とお目にかかれたもんじゃない。
それが俺を付け上がらせた。
あくまで、単純な言葉の応酬の一つだったんだ。
橋本は黙ってカードキーを差し込むと、ぐいと俺を前に突き出した。扉が開いた途端、ドンと突き飛ばされ、勢い任せにマットレスに頭からダイブする。
「ちょっとぉ、乱暴なぁ」
いつもの、優しい橋本さんはどこ行ったあ?
酔っ払っているせいでうまく呂律が回らないが、何とか抗議は出来た。
ごろんと仰向けになる。あー、エアコンの風が顔に当たって心地いい。
「ほら、靴脱げや」
甲斐甲斐しく橋本が革靴を脱がせてくれる。
「ジャケット、皺になんぞ」
「別にセットで一万五千円だから、いい。サイズアウトすれすれだし」
「だからってなあ」
口の中で何かぶつぶつ言いながらも、橋本はジャケットも脱がせてくれる。
「ありがと、父ちゃん」
酔っ払ったついでにふざければ、
「だから、誰が父ちゃんや」
「あいた!」
ペシンッと額を叩かれてしまった。
梨花とのデート代で、金はいつもすっからかん。俺はセックス要員じゃなくて、もしかしなくても財布だったのか。特救でついた筋肉のせいで、このジャケットは今日でお払い箱だな。また金が飛ぶ。
「ダブルベッドって。ヤる気、満々」
何故か橋本はいらいらしている。
「どうせやったら、最上階にせえよ」
腕を組みながら、窓ガラスの向こうに広がる夜景を眺めながら、ぶつぶつ文句を垂れる。
お高そうな、いかにもオーダーメイドらしい濃紺のジャケットは、橋本の体型にばっちり合っている。服を着てもよくわかる、理想的な筋肉のつき方。
「そんな金、あるわけないだろお」
つい、背中に見惚れてしまったのは、内緒だ。
「出し惜しみする時点で、そこまでの女っちゅうわけや」
「お、俺は将来を見据えて」
「節約かあ?まあ、それでもええけど」
言葉とは裏腹に全然納得いってないらしい。
「橋本さんは、やっぱり最上階ですか?」
「何が」
「女、連れ込むの」
「何やそれ」
と、橋本の垂れ目が吊り上がった。
普段のほほんとしまりないやつが睨めば、眼力は凄まじい。琥珀色の瞳、すっきりした鼻筋、アヒル口。どんなシャンプーを使ったらそんなサラサラになるんですかと問いたい艶々の髪。男らしい喉仏。それらのパーツが的確に配置され、男前を作り上げている。
さすが、市局に行けば女子がきゃあきゃあ騒ぐだけのことはある。
「お前さあ、さっきのカクテルの意味、聞いてた?」
「カクテル?何の?」
「聞いてへんだんかい」
いらっと橋本の片眉が器用に斜めになる。
「アプリコットフィズの」
「ああ。すみません。頭ふわふわしてて」
仕事なら絶対しちゃいけないことだが、今はプライベートだ。
「じゃあ、ずっと、ふわふわしとけ」
ぎしっと、ベッドが軋む。
視界が薄暗くなる。
橋本が俺の顔を挟むように両手をつき、覆い被さってきた。
いつもの、へらへら具合はどこにもない。真面目で、でも垂れがちな目のせいかどこかしら切なくて。滅多にお目にはかかれない顔だ。
「『振り向いてください』」
耳元をくすぐる息に、いつになく低い声が乗る。
俺は鈍感な方ではない。
むしろ、そういうのには敏感だ。
北欧の血が混じる白い肌に、青みがかった目、光の加減で染めてもいないのに栗色に見える髪と、二十六になっても未だに高校生と間違われるコンプレックスのせいで、女よりむしろ男からいかがわしい視線を向けられてきた。向けられるどころか、実際、襲われかけたこともある。
消防で鍛えた腕っぷしを舐めるなよ。
橋本の視線はその類だ。
「へえ。もしかして橋本さん、俺を抱きたいの?」
いつもなら、口が裂けてもこんな挑発はしない。
でも、相手が職場の先輩だから、むかついた。
配属されて一年。そんな下心で俺のこと見てきたのかよ。
気の良い先輩ヅラしやがって。
「やっらしー。ダブルベッドの上でそんなこと言っちゃってえ」
調子こいてるのはわかってるけど、止まらない。
「お前、誘ってんのか?」
「えー?そう見えますかあ?」
「酔っ払ってんのか」
「そうかもー」
「本性が、それか」
言いながらも、橋本は自分のシャツのボタンを片手で外していく。
「マジで犯すぞ、お前」
「どうぞー。出来るものなら」
「こんの、小悪魔が」
いらいらする橋本の声。怖い眼差し。現場での厳しさとは、また違う。こんな色っぽい顔は、もう二度とお目にかかれたもんじゃない。
それが俺を付け上がらせた。
あくまで、単純な言葉の応酬の一つだったんだ。
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