【完結】失恋した消防士はそのうち陥落する

晴 菜葉

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 午前九時十五分の開館を待って、七福市中央図書館に入った。
 増改築されて昨年の九月にオープンしたばかりの館内は広々としており、案内図で目的の場所を確認した橋本は、中央の階段を昇って真っすぐ三階へと向かう。昇った先の案内表示に新聞閲覧室を確かめると、橋本は過去の新聞の閲覧をカウンターに希望した。
 所望したのは、十年前の六月二十日の五大紙全てで、そのうちの一紙の地方欄を捲る。
「十年前の新聞なんか読んでどうするんですか」
 橋本の真横に腰掛け、首を捻りながらも覗き込んでみる。
 地方欄の一際大きな見出しがまず目に入った。
『車同士が衝突。二十六歳の女性死亡。七福市大黒谷町で』
 かなり激しい事故だったらしく、掲載の写真は乗用車のフロント部分がぐちゃぐちゃに潰れ、最早、車種が何であるのか判明出来ない。もう一台は車体が横倒しとなり、レスキュー隊が扉をこじ開けているのが見切れていた。
「十月二十日午前八時頃、七福市大黒谷町の県道で、七福市恵比寿川町六丁目の小沢絵里子さん(26)の乗用車と、対向車線を走っていた同市福禄町の大学生、桜庭麗子さん(19)の乗用車が正面衝突した。小沢さんは大黒谷町の七福総合病院に運ばれたが、午前十時五分、心臓の血管断裂により死亡した。桜庭さんは軽傷」
 橋本の読み上げに、顔色が変わる。
「現場は見通しのよい信号交差点。桜庭さんが猫が飛び出してきたことに驚き、ハンドル操作を誤ったとのこと」
「だから麗子さんは車の運転を頑なに拒んでいたんですね」
 運転の話題になったとき、かなり言いにくそうにしていた理由が判明した。もう一度新聞記事に目を通して、あれ、と声を上げた。
「もしかして、この小沢絵里子さんって」
「亜里沙の母親や。墓石に名前が刻んどった」
「亜里沙ちゃん、このこと知ってるんですかね」
「さあな」
 まさか父親の再婚相手が、自分の母親の命を奪ってしまった張本人とは。
 そもそも、小沢道文は、それら全てを承知の上で、麗子さんに求婚したのだろうか。
 それとも、気付いていないのか。
 いやいや。知らないはずはない。
 プロポーズを承諾した麗子さんの真意をはかりかねる。
 十年という年月を経て、彼らには過去ののもとなってしまったのだろうか。
 部外者がどうこういう問題ではないものの、彼らの気持ちがちっとも測れず、悶々とする。
 橋本はどう思っているんだろう。意見を聞きたくて、チラリと真横に視線を流す。
 目が合った。
「……」
「……」
 不意に橋本が立ち上がる。
 俺の手を引くなり無理矢理席を立たせると、そのまま男子トイレへと直行する。
 開館したてで利用者はおらず、掃除されたばかりの塩素系の洗剤の匂いがきついくらいだ。
 何やら大きな声では話せない内容か?
 わざわざ人気のないところに連れて来て。
 やや強めに胸を押されたかと思えば、個室に追いやられ、同じように中へと滑り込んだ橋本は後ろ手に鍵を閉める。
「どう思いますか?あの新聞の」
 記事、と続けかけた唇を塞がれ、言葉を途切れさせる。
 壁に後頭部を押さえつけられ、橋本の顔を真正面にして、動くことすら不可能だ。
 そうしているうちに唇の形を舐られ、口端を軽く吸われる。ようやく唇が離れて金縛りから解放された。
 口角の湿りを手の甲で拭う。
 くそっ。油断した。
「手、出さないんじゃなかったんですか?」
「嫌やったら、ぶん殴れよ」
 開き直りかよ。
 不意打ちを咎めるはずが、二の句が継げない。
 狭い個室に、図体でかいのと押し込まれて、狭くてしょうがない。身動き取れねーよ。
 膝頭を床につけた橋本。今度は俺のズボンのファスナーに指をかけた。耳が、下げられる微かな金属音を捉える。
「ちょっと」
 下着ごと足首までズボンがずり落とされ、剥き出しの部分に橋本が口を半開きにして寄せようとしていた。
 さすがに駄目だ。公共の施設だよ、ここは。
 不満そうに橋本が鼻を鳴らす。
「物欲しそうな顔しとったから」
「勝手に解釈しないでください」
 いつ、誰がそんな顔をした。
 禁欲を強いれば、こいつの中で欲望が徐々に膨らんでいき、仕舞に妄想までするように成り果てている。
 どんだけ、欲求不満だよ。
 拒否すると、強引に蓋の閉まった便器に座らせられた。尻に、冷えた陶器の冷たさが直だ。
 おい。俺、まだ完治してないんだけど。
「んっ……」
 ねっとりと覗かせた赤い舌に舐られる。
 橋本め、とうとう我慢しきれず。
 理性を保とうとする脳と、それに相反する下半身は別物となってしまったじゃないか。
 理性そっちのけで、受ける刺激に徐々に興奮していく。含まれ、粘膜のぬるっとした感触には逆らえず、思わず吐息に声が混じった。
 俺の反応を見て、橋本は完全に攻めの態勢に入った。 
 形をなぞるように舌を這わせたかと思えば、内腿に軽く歯を立てて刺激させたり、先端のくぼみを舌先で突く。
 堪らず喉を仰け反らせ、踵が床面から離れた。足の指が丸まる。
「何で」
 妙な浮遊感を感じつつ、必死に現実に留まろうと声を出した。
「何で、俺なんですか」
 逃れようとずり上がった体が引き戻される。わざと立てているように、ぴちゃぴちゃと卑猥な音が静かな空間にやけに大きい。
「今まで、ただの先輩後輩だったじゃないですか。どうして、こんなことに」
 世の中には色々な嗜好の輩はいる。
 だけど、俺はあくまで仕事仲間だった。
 何故それが変わってしまったのか。果たして、他の男との違いは何なのか。
「お前がフリーになったからや」
「あっ」
 先端を一際強く吸われて、びくっと跳ねた。
「俺の後をついてくるお前を、見過ごすこと出来ひんだ。最初は単なる庇護欲やった」
「後をついてくるって。ガキじゃあるまいし」
「ガキや、お前は。俺ん中では、昔も今もな」
「ガキじゃねーし」
「可愛かったで。地獄の二十五日間で、鼻水垂らして泣いてたお前」
「そ、その話、今、蒸し返すか?」
「俺、教官しとったからな。お前は知らんやろけど」
「嘘っ」
「やっぱり忘れとったか」
「あんた、あそこにいたの?」
「あれで、自分の性癖自覚したからな」
「最悪」
 我慢がきかない。このまま吐き出してしまえば、どれほど楽だろう。
 頭の中では、最早、それしか思い浮かばない。橋本の整った顔が俺の放ったもので汚れ、辛そうに垂れ目が歪む想像をするだけで、さらに体積が増す。
 未だに脳味噌にしがみついている理性が、それは拙いと警告音を発した。
「真也」
 警告音は、橋本の誘いを前にすれば、呆気なかった。
「ふっ……」
 緊張の糸が緩む。
 ゆっくりと奪われていく力と共に、橋本の口内をじわりと熱い滴りが満たしていく。相手の喉仏の動きに、息を呑んだ。 
「嘘だろ」
 飲み損ねた液体が、口端から垂れるのを目にしたとき、眩暈を起こしかけた。
「これ以上は、やばいからな。まだ傷、癒えてへんやろし」
「そ、そもそも、公共の施設でこんなことするなよな」
「したくなったら、今度はベッドで言えよ」
 朦朧とする意識の中、橋本の声が遠い。
「だ、誰が……言うもんか……」
 それだけ返すのが精一杯だった。
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