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聴取を終えて警察署から出たときには、すでに空は白んでおり、寝不足の目には痛いほど堪える。
大きな欠伸をし、眦から垂れた涙を指で拭いつつ、チラリと真横を見る。
僅かな仮眠しか取っていないくせに、元気だな。全く乱れず、凛として。
「結局、放火犯が誰か判明したんだし。これで調査は終了ですね」
大きく伸びをし、真横で無言を貫く橋本に同意を求める。何か答えろよ。橋本は肯定も否定もしなかった。
いや、待てよ。明らかに表情は不服そうだな。
一旦、大黒谷署に行って、借りた自転車を返却する。ついでに橋本のマウンテンバイクも駐輪所に置いてきた。
歩を進めるにつれて、周囲のざわめきが大きくなってきた。
やけに白や黒といったワゴン車が路肩に停車している。一台や二台どころではない。ずらりと列をなす様は、深夜の繁華街のタクシーにも匹敵する。
忙しなく走るカメラを抱えた輩と何度も擦れ違った。皆、テレビや新聞社名が記された腕章をつけている。
大橋の住むマンションの前だ。
駐車場から建物の中へと続く石畳では、これから出社するであろう住民が取り囲まれている。
「知りませんよ。隣といっても生活サイクルが違うから、全然顔合わせたこともないし。いい加減にしてください。遅刻する」
迷惑そうに吐き捨てると、スーツ姿の男は足早に車に乗り込んだ。
「ええ。まさか近所に放火魔が住んでたなんて。さあ? どんな人って言われても」
かと思えば、中年の女性は意気揚々とカメラに向かって捲し立てている。女性は大橋とは全く面識はないものの、尤もらしく何やら意見していた。
「レスキュー出動。あれ、結局誰が通報したんやろうな」
ぽつりと橋本が呟いた。
「指令では、年配の男の声って言ってましたけど」
「少なくとも大橋のことを知ってるやつやな」
悪戯にしても、何が目的だったのか。
単に消防を惑わせ、面白がっていただけだろうか。
救助先が大橋の部屋だったことが引っ掛かる。
何故、大橋の部屋だったのか。
「ああー。わっかんないな」
考えれば考えるほど、もやもやした渦はとぐろを巻く一方で、解決には結びつかない。
さらに歩くとマスコミの喧騒も落ち着き、再び静寂を取り戻した。
登校の時間帯にはまだ早いのか、小学生の姿は見えず、朝練らしき中学生らにどんどん小走りで追い抜かれた。
しばらく歩き進むうちに、等間隔に植えられた梔子の低木の脇まで来た。署のある二丁目とは反対方向で、滅多に通ったことのない道だ。
初夏ならば純白の花と明るい緑葉とのコントラストが見事だが、時季には早い今の段階では木々の青さが目立っている。
蔓状に曲げられた鉄柵の向こうには、墓地が広がっていた。
その墓地の一つに見知った顔を見つけ。
迷うことなくその中に足を踏み入れた。
「こら。一人でふらふら遊び歩いて。危ないぞ」
墓石の前で佇んでいる少女に後ろから声を掛けると、振り返った顔は予想通りに驚いている。
しかし亜里沙は風にたなびく髪一筋を掬って耳の脇に掛けると、年齢よりも遥かに大人びた微笑を口元に浮かべ、余裕の表情となった。とても小学四年生とは思えない仕草だ。
「失礼ね。ママのお墓参りよ」
確かに線香は火を点けられたばかりで長く、細い煙が糸のように空気に横たわっている。花立てにはおそらく故人が好んだのであろうスイートピーが備えられていた。
「誰か来てたのかな」
亜里沙は首を捻った。彼女のものとは明らかに大きさの違う足跡が、墓石に向いた形で残されていた。
「おじいちゃん、おばあちゃんのお墓にもお参り」
いきなり早朝に現れた救助隊員二人相手に驚いたものの、もう状況に馴染んで、彼女独自のペースで動こうとしている。さすがだ。
亜里沙は碁盤の目に区切られた沿道を右に曲がると、黒御影の墓石の前にしゃがんで、線香に火を点けた。
「大橋?」
橋本が墓石に彫られた名前を読み上げる。
「ママの方のおじいちゃん、おばあちゃんよ」
埋葬者の没年は亜里沙の母よりも一年、二年後だ。娘を先に失ったのだ。
それにしても、母方の祖父母の姓が放火犯と同名なのは、偶然だろうか。
「あれ。こっちにも誰か来てる」
悶々と悩んでいるところ、素っ頓狂な亜里沙の声が遮った。
花も供物も見当たらないが、微かに線香の名残があったのは確かだ。注視すると、短くなってほぼ灰となった線香の痕跡がある。
ふと気配を感じて振り返る。霊園の出口に女性の後ろ姿があった。
膝より上の丈の短めのスカートは、ぴったりと張り付く生地のせいで下着のラインがくっきり出てしまっており、覗く太腿はむっちりと幾分太めだ。肩までの髪を丁寧に巻いたその姿。
「麗子さん?」
口にしてみて確信した。
間違いない。
亜里沙の父親と再婚するのだから、前妻に挨拶にするのは納得出来る。
しかし、亜里沙を避けるように足早に墓地から出て行ったのは何でだ。
橋本も同じ方を凝視していた。顎に拳を当て何やら考えに耽っている。
亜里沙は最初こそ首を捻ったものの、誰が参りにきたのか深く追求する気はないようで、線香を供えると熱心に参っていた。
大きな欠伸をし、眦から垂れた涙を指で拭いつつ、チラリと真横を見る。
僅かな仮眠しか取っていないくせに、元気だな。全く乱れず、凛として。
「結局、放火犯が誰か判明したんだし。これで調査は終了ですね」
大きく伸びをし、真横で無言を貫く橋本に同意を求める。何か答えろよ。橋本は肯定も否定もしなかった。
いや、待てよ。明らかに表情は不服そうだな。
一旦、大黒谷署に行って、借りた自転車を返却する。ついでに橋本のマウンテンバイクも駐輪所に置いてきた。
歩を進めるにつれて、周囲のざわめきが大きくなってきた。
やけに白や黒といったワゴン車が路肩に停車している。一台や二台どころではない。ずらりと列をなす様は、深夜の繁華街のタクシーにも匹敵する。
忙しなく走るカメラを抱えた輩と何度も擦れ違った。皆、テレビや新聞社名が記された腕章をつけている。
大橋の住むマンションの前だ。
駐車場から建物の中へと続く石畳では、これから出社するであろう住民が取り囲まれている。
「知りませんよ。隣といっても生活サイクルが違うから、全然顔合わせたこともないし。いい加減にしてください。遅刻する」
迷惑そうに吐き捨てると、スーツ姿の男は足早に車に乗り込んだ。
「ええ。まさか近所に放火魔が住んでたなんて。さあ? どんな人って言われても」
かと思えば、中年の女性は意気揚々とカメラに向かって捲し立てている。女性は大橋とは全く面識はないものの、尤もらしく何やら意見していた。
「レスキュー出動。あれ、結局誰が通報したんやろうな」
ぽつりと橋本が呟いた。
「指令では、年配の男の声って言ってましたけど」
「少なくとも大橋のことを知ってるやつやな」
悪戯にしても、何が目的だったのか。
単に消防を惑わせ、面白がっていただけだろうか。
救助先が大橋の部屋だったことが引っ掛かる。
何故、大橋の部屋だったのか。
「ああー。わっかんないな」
考えれば考えるほど、もやもやした渦はとぐろを巻く一方で、解決には結びつかない。
さらに歩くとマスコミの喧騒も落ち着き、再び静寂を取り戻した。
登校の時間帯にはまだ早いのか、小学生の姿は見えず、朝練らしき中学生らにどんどん小走りで追い抜かれた。
しばらく歩き進むうちに、等間隔に植えられた梔子の低木の脇まで来た。署のある二丁目とは反対方向で、滅多に通ったことのない道だ。
初夏ならば純白の花と明るい緑葉とのコントラストが見事だが、時季には早い今の段階では木々の青さが目立っている。
蔓状に曲げられた鉄柵の向こうには、墓地が広がっていた。
その墓地の一つに見知った顔を見つけ。
迷うことなくその中に足を踏み入れた。
「こら。一人でふらふら遊び歩いて。危ないぞ」
墓石の前で佇んでいる少女に後ろから声を掛けると、振り返った顔は予想通りに驚いている。
しかし亜里沙は風にたなびく髪一筋を掬って耳の脇に掛けると、年齢よりも遥かに大人びた微笑を口元に浮かべ、余裕の表情となった。とても小学四年生とは思えない仕草だ。
「失礼ね。ママのお墓参りよ」
確かに線香は火を点けられたばかりで長く、細い煙が糸のように空気に横たわっている。花立てにはおそらく故人が好んだのであろうスイートピーが備えられていた。
「誰か来てたのかな」
亜里沙は首を捻った。彼女のものとは明らかに大きさの違う足跡が、墓石に向いた形で残されていた。
「おじいちゃん、おばあちゃんのお墓にもお参り」
いきなり早朝に現れた救助隊員二人相手に驚いたものの、もう状況に馴染んで、彼女独自のペースで動こうとしている。さすがだ。
亜里沙は碁盤の目に区切られた沿道を右に曲がると、黒御影の墓石の前にしゃがんで、線香に火を点けた。
「大橋?」
橋本が墓石に彫られた名前を読み上げる。
「ママの方のおじいちゃん、おばあちゃんよ」
埋葬者の没年は亜里沙の母よりも一年、二年後だ。娘を先に失ったのだ。
それにしても、母方の祖父母の姓が放火犯と同名なのは、偶然だろうか。
「あれ。こっちにも誰か来てる」
悶々と悩んでいるところ、素っ頓狂な亜里沙の声が遮った。
花も供物も見当たらないが、微かに線香の名残があったのは確かだ。注視すると、短くなってほぼ灰となった線香の痕跡がある。
ふと気配を感じて振り返る。霊園の出口に女性の後ろ姿があった。
膝より上の丈の短めのスカートは、ぴったりと張り付く生地のせいで下着のラインがくっきり出てしまっており、覗く太腿はむっちりと幾分太めだ。肩までの髪を丁寧に巻いたその姿。
「麗子さん?」
口にしてみて確信した。
間違いない。
亜里沙の父親と再婚するのだから、前妻に挨拶にするのは納得出来る。
しかし、亜里沙を避けるように足早に墓地から出て行ったのは何でだ。
橋本も同じ方を凝視していた。顎に拳を当て何やら考えに耽っている。
亜里沙は最初こそ首を捻ったものの、誰が参りにきたのか深く追求する気はないようで、線香を供えると熱心に参っていた。
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