29 / 56
29
しおりを挟む
「救助活動。ドア施錠中。内部、急病人」
警報音の後、救助要請が入る。
今日で三回目だ。復帰初日からしてハードな現場に、さすがに苦悶を誤魔化し切れない。
「住所は大黒谷五丁目三番地十号、一三〇三号室。レジデンス大黒谷」
再開発の進む大黒谷では、高層階のマンションが次々とそこかしこに乱立し、築年数の高い古家を売った金でマンションに入居する高齢者が増えてきている。そして高齢者が手離した土地に、新たに建築されていくマンション。
午前と正午にあった要請の二件はいづれも、そんな高齢者からだ。
今回、中にいるのは三十歳代の男性。住人の誰かからの通報で、呻き声がするとのことだった。玄関は施錠されている。都会にはよくあることだ。一人暮らしで、家の中で倒れても助けてくれる人がいない。たとえ周囲が異常に気付いたとしても、鍵がなければ助けに入ることも出来ない。
到着したのは、数か月前に完成したタワーマンションだった。会社社長や芸能人が住人として名を連ねているとの噂がある。
外観は淡い灰色で、殺伐とした雰囲気にならないように道路との境界部には生垣が、中庭には芝生が敷き詰められ、銀杏が植樹されている。
嵌め殺しの窓は二重硝子だ。
幾ら救助のためとはいっても、闇雲に硝子を叩き割ればいいというものではない。空っぽになってしまった部屋にこれ幸いと泥棒に入られる恐れがあるからだ。特別救助隊は建物の被害が少なく開けやすい窓を狙う。マンションの場合はベランダ側の窓だ。
「両隣がいればいいがな」
日浦さんが呟いた。両隣から救助の部屋にベランダ伝いに進入出来る。両隣が不在なら上下階。
「いなかったら厄介ですね」
最悪の場合、屋上からロープを下ろして入らなければならない。橋本が忌々しそうに言葉を被せた。
敷地内の駐車場の空きスペースに車両を止め、エレベーターで十三階まで上昇する。
「大橋さん、大橋豊さん!大丈夫ですか!」
部屋前の廊下では、マンションの住民らしき人々が詰めかけ、救急隊の他、搬送を手伝うポンプ隊もいた。
事件性があると連絡が入ったらしく、制服警官も二名、ドアの前にいる。
「ああ、管理人さん!こっち、こっち!」
住人の一人が、エレベーターを降りて走ってくる五十代の小太りの男を手招きする。
都心のマンションでは近くに管理人が住んでおり、何かあるとスペアキーを持ち、連絡があると飛んでくることが多い。管理人はスペアキーを鍵穴に差し込んだ。
「助かった~」
誰もが安堵の息を吐いたときだった。
ガシャン、と無機質な音に誰もが頬の筋肉を引き攣らせた。ドアチェーンが施されている。
「笠置、いつもの」
しかし隊長は冷静に、あらかじめ用意させていたセットを持ってくるように命じた。本日で三度目の救助であるため、俺も心得ており、すでに十三階までセットを運んである。命じられるまま蓋を開けると、専用の特殊工具を取り出した。
不意にドアチェーンを外す音。直後、玄関ドアが開いた。
「何ですか、あんたら」
がりがりに痩せた、青白い顔の、銀縁眼鏡の男が眉根を寄せ露骨に不審がっている。よれよれのスウェットを身に付けており、髪もぼさぼさで、いかにも寝起きといった風体だった。
「一一九番通報がありまして」
怯むことなく隊長が状況説明する。
「はあ?何かの間違いじゃないですか?」
眼鏡の鼻あてを人差し指で押さえながら、大橋と言う男がいらいらした口調で返す。
「誰かの悪戯でしょう」
「しかし」
「全く。せっかく有休取ったっていうのに。静かにしてください」
言いたいことだけ言うと、すぐさま扉は閉められた。
「何だ、悪戯かよ」
「人騒がせな」
「誰だよ、通報したの」
口々に住人らが言い、大橋のあまりにも不躾な態度に憤慨しながら、それぞれの部屋へ引き揚げて行く。
何事もない現場だったが、警察まで出動する大事だったため、今回の現場が一番疲れの大きいものとなった。
しかも、大橋のスウェットから以前に嗅いだことのあるようなツンとした刺激臭を感じ取ったのだ。
風に紛れて皆の鼻には届いていないようだが、元から嗅覚の鋭い俺は敏感だった。
「?」
首を捻り、閉まったドアに目を凝らす。
何だか嫌な予感が胸を掠める。
それは確実に黒い渦となってどんどん大きくなっていく。
「行くぞ、笠置」
物言いたげな俺の肩を軽く叩くと、隊長は撤収を命じた。
警報音の後、救助要請が入る。
今日で三回目だ。復帰初日からしてハードな現場に、さすがに苦悶を誤魔化し切れない。
「住所は大黒谷五丁目三番地十号、一三〇三号室。レジデンス大黒谷」
再開発の進む大黒谷では、高層階のマンションが次々とそこかしこに乱立し、築年数の高い古家を売った金でマンションに入居する高齢者が増えてきている。そして高齢者が手離した土地に、新たに建築されていくマンション。
午前と正午にあった要請の二件はいづれも、そんな高齢者からだ。
今回、中にいるのは三十歳代の男性。住人の誰かからの通報で、呻き声がするとのことだった。玄関は施錠されている。都会にはよくあることだ。一人暮らしで、家の中で倒れても助けてくれる人がいない。たとえ周囲が異常に気付いたとしても、鍵がなければ助けに入ることも出来ない。
到着したのは、数か月前に完成したタワーマンションだった。会社社長や芸能人が住人として名を連ねているとの噂がある。
外観は淡い灰色で、殺伐とした雰囲気にならないように道路との境界部には生垣が、中庭には芝生が敷き詰められ、銀杏が植樹されている。
嵌め殺しの窓は二重硝子だ。
幾ら救助のためとはいっても、闇雲に硝子を叩き割ればいいというものではない。空っぽになってしまった部屋にこれ幸いと泥棒に入られる恐れがあるからだ。特別救助隊は建物の被害が少なく開けやすい窓を狙う。マンションの場合はベランダ側の窓だ。
「両隣がいればいいがな」
日浦さんが呟いた。両隣から救助の部屋にベランダ伝いに進入出来る。両隣が不在なら上下階。
「いなかったら厄介ですね」
最悪の場合、屋上からロープを下ろして入らなければならない。橋本が忌々しそうに言葉を被せた。
敷地内の駐車場の空きスペースに車両を止め、エレベーターで十三階まで上昇する。
「大橋さん、大橋豊さん!大丈夫ですか!」
部屋前の廊下では、マンションの住民らしき人々が詰めかけ、救急隊の他、搬送を手伝うポンプ隊もいた。
事件性があると連絡が入ったらしく、制服警官も二名、ドアの前にいる。
「ああ、管理人さん!こっち、こっち!」
住人の一人が、エレベーターを降りて走ってくる五十代の小太りの男を手招きする。
都心のマンションでは近くに管理人が住んでおり、何かあるとスペアキーを持ち、連絡があると飛んでくることが多い。管理人はスペアキーを鍵穴に差し込んだ。
「助かった~」
誰もが安堵の息を吐いたときだった。
ガシャン、と無機質な音に誰もが頬の筋肉を引き攣らせた。ドアチェーンが施されている。
「笠置、いつもの」
しかし隊長は冷静に、あらかじめ用意させていたセットを持ってくるように命じた。本日で三度目の救助であるため、俺も心得ており、すでに十三階までセットを運んである。命じられるまま蓋を開けると、専用の特殊工具を取り出した。
不意にドアチェーンを外す音。直後、玄関ドアが開いた。
「何ですか、あんたら」
がりがりに痩せた、青白い顔の、銀縁眼鏡の男が眉根を寄せ露骨に不審がっている。よれよれのスウェットを身に付けており、髪もぼさぼさで、いかにも寝起きといった風体だった。
「一一九番通報がありまして」
怯むことなく隊長が状況説明する。
「はあ?何かの間違いじゃないですか?」
眼鏡の鼻あてを人差し指で押さえながら、大橋と言う男がいらいらした口調で返す。
「誰かの悪戯でしょう」
「しかし」
「全く。せっかく有休取ったっていうのに。静かにしてください」
言いたいことだけ言うと、すぐさま扉は閉められた。
「何だ、悪戯かよ」
「人騒がせな」
「誰だよ、通報したの」
口々に住人らが言い、大橋のあまりにも不躾な態度に憤慨しながら、それぞれの部屋へ引き揚げて行く。
何事もない現場だったが、警察まで出動する大事だったため、今回の現場が一番疲れの大きいものとなった。
しかも、大橋のスウェットから以前に嗅いだことのあるようなツンとした刺激臭を感じ取ったのだ。
風に紛れて皆の鼻には届いていないようだが、元から嗅覚の鋭い俺は敏感だった。
「?」
首を捻り、閉まったドアに目を凝らす。
何だか嫌な予感が胸を掠める。
それは確実に黒い渦となってどんどん大きくなっていく。
「行くぞ、笠置」
物言いたげな俺の肩を軽く叩くと、隊長は撤収を命じた。
1
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】
海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。
発情期はあるのに妊娠ができない。
番を作ることさえ叶わない。
そんなΩとして生まれた少年の生活は
荒んだものでした。
親には疎まれ味方なんて居ない。
「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」
少年達はそう言って玩具にしました。
誰も救えない
誰も救ってくれない
いっそ消えてしまった方が楽だ。
旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは
「噂の玩具君だろ?」
陽キャの三年生でした。
彼女ができたら義理の兄にめちゃくちゃにされた
おみなしづき
BL
小学生の時に母が再婚して義理の兄ができた。
それが嬉しくて、幼い頃はよく兄の側にいようとした。
俺の自慢の兄だった。
高二の夏、初めて彼女ができた俺に兄は言った。
「ねぇ、ハル。なんで彼女なんて作ったの?」
俺は兄にめちゃくちゃにされた。
※最初からエロです。R18シーンは*表示しておきます。
※R18シーンの境界がわからず*が無くともR18があるかもしれません。ほぼR18だと思って頂ければ幸いです。
※いきなり拘束、無理矢理あります。苦手な方はご注意を。
※こんなタイトルですが、愛はあります。
※追記……涼の兄の話をスピンオフとして投稿しました。二人のその後も出てきます。よろしければ、そちらも見てみて下さい。
※作者の無駄話……無くていいかなと思い削除しました。お礼等はあとがきでさせて頂きます。
潜入した僕、専属メイドとしてラブラブセックスしまくる話
ずー子
BL
敵陣にスパイ潜入した美少年がそのままボスに気に入られて女装でラブラブセックスしまくる話です。冒頭とエピローグだけ載せました。
悪のイケオジ×スパイ美少年。魔王×勇者がお好きな方は多分好きだと思います。女装シーン書くのとっても楽しかったです。可愛い男の娘、最強。
本編気になる方はPixivのページをチェックしてみてくださいませ!
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21381209
一目惚れだけど、本気だから。~クールで無愛想な超絶イケメンモデルが健気な男の子に恋をする話
紗々
BL
中身も何も知らずに顔だけで一目惚れされることにウンザリしている、超絶イケメンファッションモデルの葵。あろうことか、自分が一目惚れで恋に落ちてしまう。相手は健気で無邪気で鈍感な可愛い男の子(会社員)。初対面の最悪な印象を払拭し、この恋を成就させることはできるのか…?!
こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件
神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。
僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。
だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。
子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。
ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。
指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。
あれから10年近く。
ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。
だけど想いを隠すのは苦しくて――。
こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。
なのにどうして――。
『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』
えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)
EDEN ―孕ませ―
豆たん
BL
目覚めた所は、地獄(エデン)だった―――。
平凡な大学生だった主人公が、拉致監禁され、不特定多数の男にひたすら孕ませられるお話です。
【ご注意】
※この物語の世界には、「男子」と呼ばれる妊娠可能な少数の男性が存在しますが、オメガバースのような発情期・フェロモンなどはありません。女性の妊娠・出産とは全く異なるサイクル・仕組みになっており、作者の都合のいいように作られた独自の世界観による、倫理観ゼロのフィクションです。その点ご了承の上お読み下さい。
※近親・出産シーンあり。女性蔑視のような発言が出る箇所があります。気になる方はお読みにならないことをお勧め致します。
※前半はほとんどがエロシーンです。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる