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「救助活動。ドア施錠中。内部、急病人」
 警報音の後、救助要請が入る。
 今日で三回目だ。復帰初日からしてハードな現場に、さすがに苦悶を誤魔化し切れない。
「住所は大黒谷五丁目三番地十号、一三〇三号室。レジデンス大黒谷」
 再開発の進む大黒谷では、高層階のマンションが次々とそこかしこに乱立し、築年数の高い古家を売った金でマンションに入居する高齢者が増えてきている。そして高齢者が手離した土地に、新たに建築されていくマンション。
 午前と正午にあった要請の二件はいづれも、そんな高齢者からだ。
 今回、中にいるのは三十歳代の男性。住人の誰かからの通報で、呻き声がするとのことだった。玄関は施錠されている。都会にはよくあることだ。一人暮らしで、家の中で倒れても助けてくれる人がいない。たとえ周囲が異常に気付いたとしても、鍵がなければ助けに入ることも出来ない。
 到着したのは、数か月前に完成したタワーマンションだった。会社社長や芸能人が住人として名を連ねているとの噂がある。 
 外観は淡い灰色で、殺伐とした雰囲気にならないように道路との境界部には生垣が、中庭には芝生が敷き詰められ、銀杏が植樹されている。
 嵌め殺しの窓は二重硝子だ。
 幾ら救助のためとはいっても、闇雲に硝子を叩き割ればいいというものではない。空っぽになってしまった部屋にこれ幸いと泥棒に入られる恐れがあるからだ。特別救助隊は建物の被害が少なく開けやすい窓を狙う。マンションの場合はベランダ側の窓だ。
「両隣がいればいいがな」
 日浦さんが呟いた。両隣から救助の部屋にベランダ伝いに進入出来る。両隣が不在なら上下階。
「いなかったら厄介ですね」
 最悪の場合、屋上からロープを下ろして入らなければならない。橋本が忌々しそうに言葉を被せた。
 敷地内の駐車場の空きスペースに車両を止め、エレベーターで十三階まで上昇する。
「大橋さん、大橋豊さん!大丈夫ですか!」
 部屋前の廊下では、マンションの住民らしき人々が詰めかけ、救急隊の他、搬送を手伝うポンプ隊もいた。
 事件性があると連絡が入ったらしく、制服警官も二名、ドアの前にいる。
「ああ、管理人さん!こっち、こっち!」
 住人の一人が、エレベーターを降りて走ってくる五十代の小太りの男を手招きする。
 都心のマンションでは近くに管理人が住んでおり、何かあるとスペアキーを持ち、連絡があると飛んでくることが多い。管理人はスペアキーを鍵穴に差し込んだ。
「助かった~」
 誰もが安堵の息を吐いたときだった。
 ガシャン、と無機質な音に誰もが頬の筋肉を引き攣らせた。ドアチェーンが施されている。
「笠置、いつもの」
 しかし隊長は冷静に、あらかじめ用意させていたセットを持ってくるように命じた。本日で三度目の救助であるため、俺も心得ており、すでに十三階までセットを運んである。命じられるまま蓋を開けると、専用の特殊工具を取り出した。
 不意にドアチェーンを外す音。直後、玄関ドアが開いた。
「何ですか、あんたら」
 がりがりに痩せた、青白い顔の、銀縁眼鏡の男が眉根を寄せ露骨に不審がっている。よれよれのスウェットを身に付けており、髪もぼさぼさで、いかにも寝起きといった風体だった。
「一一九番通報がありまして」
 怯むことなく隊長が状況説明する。
「はあ?何かの間違いじゃないですか?」
 眼鏡の鼻あてを人差し指で押さえながら、大橋と言う男がいらいらした口調で返す。
「誰かの悪戯でしょう」
「しかし」
「全く。せっかく有休取ったっていうのに。静かにしてください」
 言いたいことだけ言うと、すぐさま扉は閉められた。
「何だ、悪戯かよ」
「人騒がせな」
「誰だよ、通報したの」
 口々に住人らが言い、大橋のあまりにも不躾な態度に憤慨しながら、それぞれの部屋へ引き揚げて行く。
 何事もない現場だったが、警察まで出動する大事だったため、今回の現場が一番疲れの大きいものとなった。
 しかも、大橋のスウェットから以前に嗅いだことのあるようなツンとした刺激臭を感じ取ったのだ。
 風に紛れて皆の鼻には届いていないようだが、元から嗅覚の鋭い俺は敏感だった。
「?」
 首を捻り、閉まったドアに目を凝らす。
 何だか嫌な予感が胸を掠める。
 それは確実に黒い渦となってどんどん大きくなっていく。
「行くぞ、笠置」
 物言いたげな俺の肩を軽く叩くと、隊長は撤収を命じた。
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