【完結】失恋した消防士はそのうち陥落する

晴 菜葉

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「七福市消防局より入電中」
 管内中に放送が響いた。
「大黒谷出火報。建物火災、現場、大黒谷六丁目三番地五号」
 署に直近の場所なので、第一出場として大黒谷の全隊が出場する。途端に署内が慌しい雰囲気に包まれる。
「大黒谷商店街、蕎麦屋九庵出火。要救助者あり」
 要救助者ありの伝達に、橋本の頬がぴくりと反応する。すでに防火衣を身につけ終えていた。防火服に防火靴にヘルメット、さらに空気呼吸器を装着すると、総重量は三十キロにもなる。機関員は空気呼吸器こそつけないものの、橋本は全くその重みを感じさせることもなく、素早く運転席に乗り込んだ。
「行くぞ!」
 橋本が声を張り上げる。
「はい!」
 俺も続いた。
 すでに隊長、日浦さん、鉄仮面が車内の定位置についている。座席は決まっており、助手席が隊長、後部座席の左の窓側が一番員の日浦さん。右側が二番員の鉄仮面だ。真ん中に座る俺がさっさと座席に収まらなければ、鉄仮面が動けない。ただでさえ先輩連中は着装が手馴れていて速い。俺の掌にはもう汗が出ている。
「しっかりしろよ、笠置!」
 乗り込んだ俺をジロリと横目で睨んだ日浦さんが、檄を飛ばす。了解です。生唾を呑み下すと、大きく頷いた。
 三番員は隊長について荷物持ち等の雑務を担当する。
「緊急車両、通過します!」
 赤信号を突っ切るたびに、フット・スイッチでサイレンを鳴らし、隊長はアナウンスを行う。
 現場は、昼前に前を通った商店街だ。
 たった半日足らずで様相が大きく転換している。
 近づくにつれて野次馬の数が増えていき、重なる屋根の隙間から覗いていた黒煙の姿がその巨大さを明らかにしていく。
「大黒谷救助、進入」
 現場はメイン道路とやや広い路地に挟まれた、昔からの界隈で、三軒長屋が連なる住宅密集地だ。その上、火災によって慌てふためく周辺住民と、それらを面白おかしく動画撮影する野次馬らで、ただでさえごった返す道が騒然となっている。
「緊急車両、通ります。道を開けて下さい。道を開けて下さい」
 橋本は車を自署のポンプ車の後ろに停止する。
「こ、これは」
 降車するなり俺は目を瞠った。
 噴出する黒煙が大きく空に向かって伸び、ますますその勢いを強めている。木造建造物が燃えるとき特有の橙がかった赤い炎が、窓や壁からその恐ろしいまでの触手を伸ばし、住宅を呑み込んでいる。
「怖気づいている場合か!行くぞ!」
 隊長は俺の背中をバシっと平手で叩くと、怒鳴った。普段の温厚さは皆無だ。
 おかげで目が醒めた。
「火元は厨房。要救助者が一」
 手短に指令からの情報を伝達し、隊長は来いと顎でしゃくる。
 すでに先着のポンプ隊がホースを伸ばし、黒煙に向かって放水を行っていた。レスキューの後ろを走っていた指揮隊が到着するなり地図を広げ、情報収集や把握を行い、すぐさま隊長に報告する。
「うわあああああ!」
 急に背後のざわめきが大きくなる。
 何事かと振り向いた目に映ったのは、一直線に伸びた水柱の彼方で、ぶわっと燃え広がった炎の渦だった。
「な、何だ!」
 水が掛かった途端に、屋根の炎がきのこ雲のように広がる。有り得ない光景に、誰もが目を大きく見開いている。
「ぼさっとするな、笠置!」
 叱り飛ばされ、我に返った俺は空気呼吸器の塞止弁を全開し、圧力指示計を確認する。パックの装着にもたついていると、隊長の寡黙な眼差しが非難となって突き刺さる。
「た、隊長」
 面体の紐を回しながら、俺は走り出した隊長の背中に大声を上げる。
「何だ!」
 真っすぐ見据えたまま、隊長はポンプ隊が作り出した煙の隙間目がけて突入を開始する。
「さっきの、あれ」
 水を掛けたら燃焼した。密閉された空間で不完全燃焼によって可燃性の一酸化炭素ガスが溜まった場合、窓や扉が開くと急速に酸素が取り込まれて化学反応が急激に進み、爆発を引き起こす、バックドラフトとは考えにくい。
 ではフラッシュオーバーかと巡らせる。室内で熱分解した可燃物が引火性のガスを作り出し、室内に充満したり、輻射熱によって一気に爆発することを言う。俺は即座にそれを否定した。
 何かがおかしい。脳が警告音を発している。
「ごちゃごちゃ、やかましい!人命救助が先だ!」
 俺の戸惑いを隊長は一喝する。
 現場の彼は、まさに鬼。
「隊長、要救助者は蕎麦屋九庵の二階です」
 日浦さんが合流し、その後を鉄仮面が続く。俺を追い抜いた鉄仮面は、チラリと振り返ると、早く来いと手で招いて合図する。
「しつこいな。わかってるって」
 口中で毒づいた俺は、三人の足跡を辿り、地面を蹴った。
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