【完結】失恋した消防士はそのうち陥落する

晴 菜葉

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「服装基準第五条!」
 いきなり橋本が怒鳴った。
 極力出逢わないように、顔を合わせないようにと決意したのに。俺の稚拙な試みに反し、何と橋本はトイレにまで追いかけてきた。
「消防学校で叩きこまれたんやなかったか?」
 トイレからの帰り、半歩斜めを歩いていた橋本は、廊下のど真ん中で仁王立ちになる。
「『服装は清潔に保ち、皺やほつれがあってはならない』」
 二十センチ上から威圧的に睨みつけてきた。
「帽子に妙な皺が入ってんぞ」
 ぎくっ。帽子のつばを指先で掴む。地獄の二十五日間の教官と重なった。
 この役目は、日浦さんだろ。
 あんたは、あくまで飄々とした傍観者だったじゃないか。どうしちゃったんだよ。
「着替えんのもトロいし。大丈夫かあ?」
 ネチネチする橋本のいびり。何なんだよ。ぐっと胸に拳をくっつけて辛抱する。 
 指令を受けてから出場まで平均で一分間。消防士としてこの八年、叩き込まれてきた。着替えに時間を食ったわけじゃない。一昨日、いきなりにされて、大丈夫かと心配になっただけだ。つまりは、お前のせいだ。
 オレンジの服が意外に様になると、鏡の前で悦に入ったのが長過ぎただけ。よし、やっぱり男だ。間違っても、じゃない。
 しかしそれを口にすると、余計に橋本のいびりが長くなるのはわかりきっていたので、ぐっと口を噤んだ。
「何だって俺が、今更、笠置の教育係しやなあかんのや」
 反論しない態度をとっているのをいいことに、橋本は尚もぶつぶつと口中で何やら罵っている。
 いや、頼んでないから。
「俺は隊長みたいに甘くないからな」
「確かに。隊長や日浦さんはそんな小舅じゃないし」
「何か言うたか」
「いいえ」
 扉の張り紙に舌打ちしてしまった。
 橋本圭吾。笠置真也。
 ある程度予想していたことだが、名前が並んで記されていた。
 地方には隊員一人一人に個室のある署もあるようだが、大黒谷署は仮眠室を二人一組で使用する。二畳ほどの狭い室内に各々蒲団を敷き、二十二時から翌六時までの間を特別救助隊の他にポンプ隊、指揮隊の当番が交互にとる。基本的には年齢や階級の近い者が組まされることとなる。
 本来なら、鉄仮面と同室のはずだが、何故か日浦さんたっての要望により、部屋替えとなった。
 俺、もしかしなくとも鉄仮面に嫌われてる?それとも、日浦さんの新手のいびり?日浦さんはどっちも違う、と言い張ってたけど。
 人間の三代欲求のうちの一つである睡眠を、煩わしい相手と共に過ごすことになるとは。げんなりと息を吐いてしまう。
「むかつくなあ。その溜め息」
 地獄耳は目を眇めると、張り紙を引っ剥がし、ぐしゃぐしゃに小さく丸める。
「来い」
 ポケットに丸めた紙屑を突っ込み、顎でしゃくった。
 偉そうに。俺は橋本が背中を向けていることをいいことに、橋本の制服に入る七福市消防局の印字に歯を剥いた。
 プライベートはニコニコしたオジサンなのに。始業ベルが鳴った途端、これだからな。
 しかも、何故か今日は一段どころか百段くらい厳しいし。
 もしや、別人と入れ替わってる?
「橋本ぉ」
 隊長が鯛焼きの尻尾を口端でもぐもぐさせながら、分厚い報告書を脇に抱えて廊下の先方から近づいてきた。
 やばっ。隊長に見られた。身を竦めた俺に、隊長は咎めるでもなく、悪戯を共有するかのように目配せしてみせた。
 居住まいを正す橋本が並べば、でかさに拍車がかかる。まさに、山脈。
「お前の嗜好にとやかく言うつもりはないがな。あんまりそこらじゅうに殺虫剤まいてたら、肝心のこいつが逃げてくぞ」
「何のことですか」
「やり過ぎて泣かすなって話」
 そうだ、そうだ。言ってやれ。さっぱり意味わかんないけど。橋本が殺虫剤まいてるのは見てないが、もっと注意しろ。
 が、陰湿な橋本にもっと苦言が入るか期待したのに、あてが外れた。
 隊長は言いたいことを言ってすっきりしたふうに何やらしきりに頷くと、もごもごさせていた尻尾をごくんと飲み下し、さっさと歩き去る。
「ああ、そうそう」
 かと思いきや、引き返してきた。
 野球のグローブ並に大きな掌でぐしゃぐしゃと俺の髪の毛を無造作に掻き回すと、にっと白い歯を覗かせる。
「これから、橋本の自慢大会に付き合わされるんだろ?昼休みなのに、ご苦労さん」
 間延びした聞き方に、橋本の形のよい眉が寄った。
「何すか、自慢大会て。俺は元気ないやつを慰めるために」
「車両を改めて説明するだけってか」
「勿論」
「自慢じゃねえか」
 ふふんと鼻で笑い、俺に対しては同情するような憐れむような目になる。またもや、俺の髪の毛を掻き乱した。
 げええ。これから橋本の自慢大会かよ。長いんだよなあ。
「ほどほどにして、上がって来いよ。大黒谷第三小学校の先生から、日好屋の鯛焼きの差し入れがあるからな」
 差し入れ、の言葉に俺の表情に光が差した。しかも、隣町にある恵比寿町で毎日長蛇の列が当たり前の店の品であることに、甘党の俺が飛びつかないわけがない。
「やだー!俺も食いたいですー!隊長ぉ、行かないでぇ!」
「さっさと来い、笠置!」
 しかし、こいつは容赦ない。げっそり。
 旨そうに鯛焼きの尻尾を頬張っていたことから考えて、隊長が不在者の分を残すとは考えにくいな。残されている可能性はゼロだ。
 おのれ!食い物の恨みは怖いんだぞ!眉を吊り上げて橋本を睨みつけてやる。
「何か文句あんのか」
「……いいえ」
 俺の憤りは、珍しい橋本の獰猛な眼差しを前に、しゅるるると萎んでしまった。
 やっぱり、この人、昔不良だっただろ。
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