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港での侵入
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深夜の港に、蝋燭の火が灯る。
ぼんやりとした灯りは、停泊中の一艘の船から漏れたものだ。
シンと静まり返る中、蝋燭の灯りは忙しなく動く人々の影を長く伸ばした。
その船から離れた倉庫の脇、港から死角となる位置に、二つの影が固まっている。
「あの船だな」
毒りんごが問いかけたのは、赤毛の新聞配達の少年リオだ。リオはそばかすの目立つ頬を上気させ、大きく頷く。
「船尾を見てください。ウィルソン商会の文字が」
言われた通りに目を凝らすと、確かにその名が刻まれている。
ランハートの含みを持った顔が脳裏を過る。
まさか、と否定したくなるものの、未だに拭いされない胸騒ぎに、思わずアデリーは心臓に当たる絹地を強く握りしめた。
「毒りんご様? 」
リオの訝しむ声に、ハッとアデリーは我を戻す。
今の立場は、ランハートの妻ではない。
毒りんごだ。
「娘達は? 」
「姿は見えません」
「いつから? 」
「オイラは、船が港に着いた頃からここにいたけど、一向に」
リオは肩を落として首を振った。
毒りんごは腕を組むと、ふむ、と小さく唸る。
「もしかすると、荷物に紛れて船に積み込まれているかも」
リオの目玉が、倍近く大きくなる。
「そう言えば」
何やら覚えがあるらしい。
「六人がかりで、小さな木箱を運んでいました」
「数は? 」
「おそらく、三つ」
「それだ! 」
毒りんごが膝を打った。
「少女達は、そこだ」
倉庫の壁に頬を貼り付けて、目だけきょろきょろ辺りを伺う。
それから、瞼を閉じて、耳を澄ませた。
新たに近づく足音はない。
「よし! 」
毒りんごの目がかっと見開く。
「乗り込むぞ!」
仮面から覗く翠緑の双眸は、ギラギラと光っている。
「えっ! ちょっ、ちょっと! 」
リオは慌てた。
「もう少し様子を見ては? 」
「何だ、怖気づいたか?」
額にびっしりと脂汗をかくリオを、横目で冷ややかに見る。
「マリアーヌを守りたい。国王とスノウ・ホワイトの横暴が許せない。仲間にしてくれ、とあの威勢はどうした? 」
あの日、マリアーヌと共に逃げたリオは、ヒューゴ神父の導きにより、教会へ駆け込んだ。
ザンター中隊長と一戦交じり終えた毒りんごは、馬を駆り、一足早めに教会に到着していた。
黒ずくめのヒーローを前に、リオは興奮冷めやらぬ顔で、マリアーヌに一目惚れしただの、守りたいだの、オイラは正義の味方になるんだの、べらべらと宣言したのだ。
「帰るなら、今のうちだ」
ぴしゃり、と毒りんご。
生半可な正義など、命取りだ。
「いえ。オイラも行きます」
リオの声は、ひどく落ちついている。
毒りんごは、仮面で隠れていない口元を斜めに吊ると、頷いた。
扉を中指の背で三回叩く。
それが合図だ。
「おう、どうした? 「 」
扉が開き、番人が眠そうに顔を覗かせる。
仮眠を取っていたのは、予想通りだ。日暮れから船に動きがなかったからだ。おそらく、深夜にひっそり出航するつもりなのだろう。
「忘れ物か? 」
番人は、唐突な来訪者が、荷物を運び入れた人夫だと勘違いしている。
毒りんごは扉の隙間に足を踏み入れ中に滑り込むや、短刀を番人の喉首に突きつけた。
「命が惜しかったら、喋るな」
なるべく声色を低くし、凄みを持たせて番人を脅す。
「ひっ……ひい! 」
「名乗らなくても、私が誰かは承知しているだろう」
「ど、毒り……」
「おっと。喋るな」
さらに短刀の先が皮膚すれすれとなる。
「娘達は、どこだ」
「な、何のことで? 「 」
番人はとぼけて、しまりなくニヤニヤ笑う。
「わかっているんだ。お前達が若い娘を売り飛ばしていることを」
「何かの間違いでは」
「余程、命を粗末にしたいらしいな」
短刀が皮膚に薄い切れ目を入れる。
番人は、ひっと喉をひくつかせた。
毒りんごの台詞が、決してただの脅しではないと、身に染みたようだ。
「娘達はどこだ」
「か、貨物室の中に」
番人は蒼白で、膝を戦慄かせる。
毒りんごは容赦なく鳩尾に一発、拳を入れた。番人は白目を剥いて、崩れ落ちた。仲間を呼ばれては面倒だ。
「リオ、来なさい」
番人が壁に体をどしんと打ちつけた際、なかなかの衝撃だったが、船内に動きはない。
皆、景気づけに酒盛りでもして、酔っ払っているのだろう。
リオは、鼠のようにすばしっこく毒りんごに続いた。
船内は安っぽい酒の匂いが充満し、悪酔いしそうだ。
そこかしこ、至るところから高鼾が聞こえる。
板間の軋む音に神経を尖らせながら、通路で眠りこける酔っ払いをひょいっと飛び越える。
リオもそれに倣ったが、十歳の成長途上の少年には足の長さが不足していた。酔っ払いの腹に引っ掛かかり、一回転して板間に頭から倒れ込む。
「イタタタ!」
リオは額に出来た瘤を撫でた。
むっ、と毒りんごは眉を寄せる。
リオが足を引っ掛けた拍子に腹を蹴飛ばされたというのに、何故か船乗りは目を覚まさない。
そればかりか、誰一人、起きて来ない。
聞こえてくるのは、鼾と、呂律の回らない寝言ばかり。
毒りんごは、酔っ払いの足元に転がる数本の酒瓶のうちの一本を拾って、匂いを嗅いでみる。
ラベルに目を通す。安っぽいどころか、それなりに値の張る酒だ。
安酒ならまだしも、値打ちのある酒を浴びるほど飲むとは。
「……」
毒りんごは挙動を止め、しばし考え込む。
「毒りんご様! 早く! 」
リオはすでに階段の二段目を踏んでいる。
「あ、ああ」
毒りんごは何かがおかしいと反応しながらも、マントを翻した。
ぼんやりとした灯りは、停泊中の一艘の船から漏れたものだ。
シンと静まり返る中、蝋燭の灯りは忙しなく動く人々の影を長く伸ばした。
その船から離れた倉庫の脇、港から死角となる位置に、二つの影が固まっている。
「あの船だな」
毒りんごが問いかけたのは、赤毛の新聞配達の少年リオだ。リオはそばかすの目立つ頬を上気させ、大きく頷く。
「船尾を見てください。ウィルソン商会の文字が」
言われた通りに目を凝らすと、確かにその名が刻まれている。
ランハートの含みを持った顔が脳裏を過る。
まさか、と否定したくなるものの、未だに拭いされない胸騒ぎに、思わずアデリーは心臓に当たる絹地を強く握りしめた。
「毒りんご様? 」
リオの訝しむ声に、ハッとアデリーは我を戻す。
今の立場は、ランハートの妻ではない。
毒りんごだ。
「娘達は? 」
「姿は見えません」
「いつから? 」
「オイラは、船が港に着いた頃からここにいたけど、一向に」
リオは肩を落として首を振った。
毒りんごは腕を組むと、ふむ、と小さく唸る。
「もしかすると、荷物に紛れて船に積み込まれているかも」
リオの目玉が、倍近く大きくなる。
「そう言えば」
何やら覚えがあるらしい。
「六人がかりで、小さな木箱を運んでいました」
「数は? 」
「おそらく、三つ」
「それだ! 」
毒りんごが膝を打った。
「少女達は、そこだ」
倉庫の壁に頬を貼り付けて、目だけきょろきょろ辺りを伺う。
それから、瞼を閉じて、耳を澄ませた。
新たに近づく足音はない。
「よし! 」
毒りんごの目がかっと見開く。
「乗り込むぞ!」
仮面から覗く翠緑の双眸は、ギラギラと光っている。
「えっ! ちょっ、ちょっと! 」
リオは慌てた。
「もう少し様子を見ては? 」
「何だ、怖気づいたか?」
額にびっしりと脂汗をかくリオを、横目で冷ややかに見る。
「マリアーヌを守りたい。国王とスノウ・ホワイトの横暴が許せない。仲間にしてくれ、とあの威勢はどうした? 」
あの日、マリアーヌと共に逃げたリオは、ヒューゴ神父の導きにより、教会へ駆け込んだ。
ザンター中隊長と一戦交じり終えた毒りんごは、馬を駆り、一足早めに教会に到着していた。
黒ずくめのヒーローを前に、リオは興奮冷めやらぬ顔で、マリアーヌに一目惚れしただの、守りたいだの、オイラは正義の味方になるんだの、べらべらと宣言したのだ。
「帰るなら、今のうちだ」
ぴしゃり、と毒りんご。
生半可な正義など、命取りだ。
「いえ。オイラも行きます」
リオの声は、ひどく落ちついている。
毒りんごは、仮面で隠れていない口元を斜めに吊ると、頷いた。
扉を中指の背で三回叩く。
それが合図だ。
「おう、どうした? 「 」
扉が開き、番人が眠そうに顔を覗かせる。
仮眠を取っていたのは、予想通りだ。日暮れから船に動きがなかったからだ。おそらく、深夜にひっそり出航するつもりなのだろう。
「忘れ物か? 」
番人は、唐突な来訪者が、荷物を運び入れた人夫だと勘違いしている。
毒りんごは扉の隙間に足を踏み入れ中に滑り込むや、短刀を番人の喉首に突きつけた。
「命が惜しかったら、喋るな」
なるべく声色を低くし、凄みを持たせて番人を脅す。
「ひっ……ひい! 」
「名乗らなくても、私が誰かは承知しているだろう」
「ど、毒り……」
「おっと。喋るな」
さらに短刀の先が皮膚すれすれとなる。
「娘達は、どこだ」
「な、何のことで? 「 」
番人はとぼけて、しまりなくニヤニヤ笑う。
「わかっているんだ。お前達が若い娘を売り飛ばしていることを」
「何かの間違いでは」
「余程、命を粗末にしたいらしいな」
短刀が皮膚に薄い切れ目を入れる。
番人は、ひっと喉をひくつかせた。
毒りんごの台詞が、決してただの脅しではないと、身に染みたようだ。
「娘達はどこだ」
「か、貨物室の中に」
番人は蒼白で、膝を戦慄かせる。
毒りんごは容赦なく鳩尾に一発、拳を入れた。番人は白目を剥いて、崩れ落ちた。仲間を呼ばれては面倒だ。
「リオ、来なさい」
番人が壁に体をどしんと打ちつけた際、なかなかの衝撃だったが、船内に動きはない。
皆、景気づけに酒盛りでもして、酔っ払っているのだろう。
リオは、鼠のようにすばしっこく毒りんごに続いた。
船内は安っぽい酒の匂いが充満し、悪酔いしそうだ。
そこかしこ、至るところから高鼾が聞こえる。
板間の軋む音に神経を尖らせながら、通路で眠りこける酔っ払いをひょいっと飛び越える。
リオもそれに倣ったが、十歳の成長途上の少年には足の長さが不足していた。酔っ払いの腹に引っ掛かかり、一回転して板間に頭から倒れ込む。
「イタタタ!」
リオは額に出来た瘤を撫でた。
むっ、と毒りんごは眉を寄せる。
リオが足を引っ掛けた拍子に腹を蹴飛ばされたというのに、何故か船乗りは目を覚まさない。
そればかりか、誰一人、起きて来ない。
聞こえてくるのは、鼾と、呂律の回らない寝言ばかり。
毒りんごは、酔っ払いの足元に転がる数本の酒瓶のうちの一本を拾って、匂いを嗅いでみる。
ラベルに目を通す。安っぽいどころか、それなりに値の張る酒だ。
安酒ならまだしも、値打ちのある酒を浴びるほど飲むとは。
「……」
毒りんごは挙動を止め、しばし考え込む。
「毒りんご様! 早く! 」
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