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攫われたヒルダ

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 お姉様。
 お姉様ったら。
 灰かぶりシンデレラのお姉様。
 早く起きて。
 そして、朝食を作ってくださいな。
 お腹がもうペコペコよ。
 灰かぶりシンデレラのお姉様。

 どこからか、エラのイライラと催促する声が繰り返し、ヒルダは重い瞼を開けた。

「……夢?」

 目を開けると、エラの姿はどこにもない。
 見たこともない光景が広がっていた。
 重厚な深緑色のカーテンが引かれて、部屋は薄暗い。
 やや悪趣味な、金がふんだんに使われた天蓋のベッドに、ヒルダは寝かされていた。
 鏡台やクローゼット、サイドテーブルといった調度品も、全て同じデザイン。
 客間らしき室内。
 明らかにデラクール邸でなければ、実家のマーヴル邸でもない。

「おや。もうお目覚め?」
 傍の椅子で本のページを繰っていたレイラは、起き上がったヒルダに、妖艶に微笑みかけた。
「レイラ様!」
 本来なら、マーヴル邸に着いていなければならない。
 それなのに、見ず知らずの室内に寝かされていた。
 傍らには、レイラの監視。
 ヒルダは即座に状況を理解する。
「あなたが、私を攫ったの?」
 何故、攫う必要があるのか。
 金か?
 それとも、私怨か?
 もしくは、ルパートの公務が関係しているのか。
 特務師団などと、公には出来ない任務は、常に危険が付き纏う。
「攫うなんて、人聞きの悪い」
 レイラは笑みを崩さないまま、サイドテーブルに本を置くと、立ち上がり、カーテンを開く。
 一気に日の光が入り込んだ。
 太陽は、すでに真上にあった。
「ちょっと交渉するために、お越しいただいただけよ」
 太陽を背にしたレイラは不気味だ。
「……あなたが、弓で私を狙ったの?」
 逆光で目を眇めながら、ヒルダは疑問をストレートに口にする。
「デラクール卿との交渉を進めやすくするための、ちょっとした脅しよ」
 脅しは事実。本気で命を取ろうと思うなら、このような回りくどいことはしない。
「シュプール夫人を狙ったのは?あの強盗の喉を射抜いたのも、あんた?」
「それと、これとは、別よ」
 ヒルダに対しては、丁重に。だが、夫人や強盗に対しては、あまりにも残酷過ぎる仕打ち。
 その格差はわからない。
 レイラは意味深に笑うのみだ。
 その艶然さが、ヒルダに身の危険を知らせた。
「私を今すぐ帰して!」
 ベッドから跳ね起きると、一足飛びで絨毯に着地する。
 小動物が敵から逃げるかのごとく、軽やかな跳躍を繰り返し、すぐさま扉を開けようとドアノブを捻った。
 当然、鍵が掛けられている。
 強行突破しかない。
 ヒルダは迷わず体当たりした。
 地響きが屋敷中に広がる。
「おとなしくしな!小娘!」
 ヒルダの突飛な行動を前に、レイラは艶やかな仮面をすぐさま取り払い、素顔を剥いた。
「うるさい!年増!」
 ヒルダも負けじと言い返す。
「小娘!大人しくしてりゃあ、つけ上がりやがって!」
 レイラにとっての禁句だったらしい。
 たちまち顔を真っ赤にさせ、額に血管を浮かせ、吠えた。
 ヒルダの襟を掴み上げると、勢いよくベッドへ放り投げる。
 天井擦れ擦れまで跳ね上がった体は、あっさりベッドに落下した。
 右肩からマットレスに沈む。
 極上なスプリングの効きのおかげで、痛みはさほどない。
「あんたは、デラクールとの大事な交渉材料なんだよ!じっとしてな!」
 レイラの物凄い腕力に、ヒルダは躊躇した。
 頭を殴られたなら、間違いなく真っ二つになりかねない。
「あの男も、何を愚図愚図してるんだい。わざわざ、場所を教えてやったって言うのに」
 いらいらと、レイラは窓の外と時計を交互に見比べる。
 時計の針は、正午から三十分過ぎていた。
「ルパート様が来るの?」
「呼んだからね」
「乱暴はやめて」
「当たり前さ。大事な交渉相手だからね」
 すでにレイラは妖艶な仮面をつけ直している。
「あ、あなたは勘違いしています。私ごときがルパート様の交渉材料になど、なりません」
「よく言うよ。昨夜、よろしくやってたじゃないか。いかがわしい下着まで着けて」
 ニタニタと口元を歪めるその顔は、何もかも知り尽くしていると言わんばかり。
「なっ!」
 たちまちヒルダの顔に血が昇る。
「の、覗いてたの!」
 ニタニタは止まらない。
 つまり、そういうことだ。
「夜中にあんたを攫ってやろうと思ったけどね。さすがに私も諦めざるを得なかったよ」
「悪趣味な!」
 ますます血が昇って、怒りで赤黒く顔が膨らむヒルダ。
「おかげで、護衛と家令の二人を縛り上げるなんて、無駄足だよ」
 ヒルダの怒りを煽るかのように、やれやれと大袈裟に肩を竦めてみせるレイラ。
「エリック様とロバートをどうしたの!」
「男らに邪魔されちゃ、困るからね。ちょっと屋敷の物置きで眠ってもらってるよ」
 ヒルダの脳裏に、睡眠薬を盛られ、猿ぐつわと手枷足枷をされて横たわる男らの姿が過ぎる。
「心配しなくても、今頃は助けられてるよ」
 言いながら、レイラは窓の外を向いたきり、目を離さない。
 どこからか、馬のいななき。
「やっと来たか」
 レイラはニタリと形の良い唇を崩す。
 ヒルダに流し目を呉れ、再度、妖艶な笑みを浮かべた。
「あんたの大事な騎士様が、おいでなさったよ」










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