【完結】シンデレラの姉は眠れる森の騎士と偽装結婚する

晴 菜葉

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シンデレラの姉、奮起する

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 夜、十時の鐘が打った。
 ルパートは執務室の椅子に浅く腰掛けると、おもむろに足を組んだ。
「それで、母上からの返答は?」
 ちらり、と扉の前のロバートに目を呉れる。
 ロバートは手元の便箋の文字に目を落とし、読み上げる。
「このたびのあなたの」
「ああ、待て待て」
 ルパートが遮る。
「早く嫁に会わせろだとか、冒頭は飛ばしていい」
「しかし、マルテーゼ様は、ルパート様から奥様の紹介もなく、唐突にご結婚されたことに立腹されており」
「何度も言っているだろう。今の案件が片付いたら、ヒルダのことは正式に紹介するし、本邸にも戻ると」
「しかし」
「侍従達にも、予め説明してあるだろう」
「ですが、いつまでたっても、このままでは」
「お前も、エレナのように口喧しいのだな」
 深く溜め息をついて、青みがかった前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。
「本邸は、侍従の数が多過ぎる。間諜が紛れ込んでいないとも限らないからな」
 王立騎士団だけではない、特務師団所属故の、厄介な懸念だ。
「それより、母上は何と?」
 まだ何やら言い足りないロバートに対し、ルパートは先を急がせた。
「叔父上の過去に関することだけを教えろ。母上の小言はいらん」
 母は降嫁したとはいえ、国王の実妹。カーソンとも兄妹の関係にあたる。
 滅多に表に出ない王族の過去を、血縁があろうと、一公爵のルパートの知るところではない。
 不本意ながら、ルパートは田舎生活を満喫している母へ手紙を送った。
 口煩いが、賢い母は即座に何かを察したらしい。
「では……我が兄、カーソンは、かつて……」
 ロバートは、ゆっくりと手紙の内容を読み上げていった。

「まったく坊ちゃまは、何を考えているのやら」
 もう何度目かわからない、エレナの愚痴がまたしても発せられた。
「幾ら事情がお有りと言いましてもね。あのような女をこの屋敷に迎え入れて」
「エレナ。言い過ぎよ」
 鏡越しに憤慨するエレナを、ヒルダは苦笑いで咎める。
「ですがね、奥様」
 まだエレナは食い下がる。
 自室で寝る前の準備に入るヒルダは、いつものように鏡台の前で、ただひたすら髪を梳かしていた。
 上等の石鹸のおかげで、傷んで絡れもつ気味の髪の毛は、随分櫛通り良く、艶やかになった。
「奥様、あんな女に遠慮なんてしている場合ではありませんよ」
 エレナは悔しそうに歯軋りすると、いつものようにサイドテーブルに水差しとグラスを置く。
「そもそも、未だに寝室が別なんて」
 批難はヒルダにも向かった。
「ルパート様は、夜遅くまで仕事をなさっているから。朝も公務で早いし」
 綺麗にカット細工された水差しの雫を指先で拭いながら、ヒルダは言い訳するが、釈然としない胸の内は隠しようがない。
「何を遠慮なさいます」
 ややヒステリックなトーンで、エレナは鼻を膨らませる。
 それから、神妙な面持ちで、少しばかり隙間のあるカーテンを、きっちりと引き直した。外には誰もいないはずなのに、やけに僅かな隙間を気にする。
 おまけに、扉に耳を当てて、外の声を確認した。
 メイドからコックまで、通いの侍従は全て帰ったので、勿論、廊下には誰もいない。
 扉に耳をつけるだけでは心許なかったのか、仕舞いに扉を開けて、念入りに廊下を見渡す。
「エレナ?」
 そんなエレナの奇妙な行動に、ヒルダは眉を顰めずにはいられない。
 だが、その理由はすぐに判明した。

「な、な、なななな何、これ!」

 ヒルダは悲鳴を上げた。
 エレナから差し出されたの物を前に、顔面へと一気に血液が逆流した。
「あら、若い娘の間で今、とても流行っているそうですよ」
 ヒルダの動揺とは正反対に、エラは平然と言ってのける。
「だ、駄目よ!私には無理!」
「何をおっしゃいます。奥様は細身の割に胸がおありで、良くお似合いになりますよ」
「無理無理無理無理!」
 二人が押し問答するのは、一枚の下着を巡ってのことだ。
 エレナが差し出したのは、ショーツとブラジャーのセットだったが、およそ下着とは呼べないような際どいもの。
 薄い水色の生地は複雑なレース模様だが、乳首の先がかろうじて隠れるくらい、生地面積が少ない。
 ショーツに関しては、脇を紐で結ぶタイプで、生地は同じデザインだが、こちらも面積がかなり少なく、ほとんど紐と言ってもいい。
「巷ではこの手の下着がよく出回っているそうで。わざわざ町まで内密に、貴族の娘が買いに来るとか」
「だからって。そもそも、何でこんな品を持ってるの?」
「私が年甲斐もなく、店まで買い付けに行きましたよ、勿論」
 どうだ、と息巻いて、エレナは胸を逸らせる。
「まあ、エレナ!」
 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 若い娘に混じって堂々と下着を購入するエレナの姿を想像し、目を丸くする。
「奥様、これで坊ちゃまを誘惑なさいませ」
 エレナが詰め寄る。
「坊ちゃまは、朴念仁のところがおありですから。いつまで待っていても、何も進展いたしませんよ」
「で、でも」
「奥様から迫ってみなさいな」
 ふくよかな頬肉を揺すり、エレナは微笑んだ。
 エレナの言葉通り、ルパートはいつまで待っても寝室を同じにしようとは言い出さない。
 キスはしてはいるものの、最近はグランドマザーの件で業務に追われて、朝も慌ただしく、回数は確実に減ってはいた。
 体を重ねたのも、嵐の夜の一度きり。
 そもそも、スプリングの効いた柔らかいベッドの上で致したことなんて、ない。
「善は急げ。今夜、『坊ちゃま誘惑計画』決行ですよ」
 エレナは鼻息をさらに荒くし、拳を胸元で作る。
「駄目よ。ルパート様、明日も早いでしょう」
 時計の針はもう午後十一時を示している。
「一日くらい寝不足なんて、どうってことありませんよ」
「無茶言わないで」
「試してご覧なさいな。坊ちゃまは、満更でもないでしょうから」
 自分より遥かに同じ時間を過ごしていたエレナの方が、言動に信憑性はある。
「『坊ちゃま、誘惑計画』ですよ、奥様」
 エレナには乳母といった立場である以上、責務があった。
 デラクール公爵家の世継ぎを早く産むために、奔走すること。
 そこら辺の没落貴族と違い、デラクール家は由緒正しい血筋だ。 
 愚図愚図と渋っていたヒルダだったが、エレナの必死の形相を前にして、敵うことはない。
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