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美しい訪問者

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 その日、暮れの時間、デラクール邸の門を叩く者があった。
 切羽詰まったように勢いをつけて、何度も何度も繰り返す。
 仕舞いに、門が壊れるのではないかと、屋敷の誰もが思った。
 約束のない不躾者のことを、最初は無視するつもりだったが、とうとう痺れを切らしたルパートは、ウイスキーソースがたっぷり浸かった鹿肉に、ナイフを入れかけた手を止めた。
「何やら騒がしいな」
「夕餉の時間に、何でしょうね」
 同様にヒルダも、口に運びかけて、再び皿に戻す。
「無粋な。ロバート、見てこい」
 あまりにもどんどん喧しく、ルパートは横目で家令に指示を出した。
 ロバートは短く返事して、玄関へ。

 戻ってきたロバートは、明らかに気まずそうに眉毛を八の字に曲げ、しきりにヒルダに視線を向けた。
 いつも、傍観者と言わんばかりに冷めた目をして落ち着き払っているというのに。
 露骨な変わり様に、ルパートは眉を顰める。
「どうした?」
「旦那様に面通りしたいと」
 ロバートは、言いにくそうに答える。
 その様相に、直感的に感じ取ったヒルダ。
 皿の鹿肉を口に運ぶ気になれず、再度刃を入れてしまう。
 直感が働いたのは、ヒルダだけではない。
「まさか、坊ちゃまの昔馴染みじゃあないでしょうね?」
 ズバリ、と聞いたのは、エレナだ。
 昔馴染みなどとヒルダに配慮した言い方だが、つまるところ、かつての愛人のことだ。
「坊ちゃま、このような素晴らしい奥様がおいでになりながら。よもや」
「誤解だ!」
 ルパートは目元を赤くしていきりたち、話を中途で遮った。
「ヒルダ、違うぞ!」
 焦って、ヒルダに訴える。
「そう思いたいですが」
 前科があるので、何とも言えない。
 夜会では縦巻きの派手な令嬢に絡まれ、シュプール邸での茶会では、主催の婦人との過去の恋愛話を持ち出され。
「俺は結婚してから、他の女と一切関係を持っていない!」
 拳をテーブルに叩きつけ、弾みで皿ががちゃんと揺れた。
「ロバート、お前が疑わしい態度をとるからだ!」
 恨めしそうに、ロバートを睨みつける。氷の眼差しは、珍しく動揺で瞬いていた。
「申し訳ありません」
 ロバートは深々とお辞儀をする。
「どなた?別荘にいらっしゃるなんて、滅多にないでしょう」
 エレナがロバートに尋ねる。
「それが……レイラ様とおっしゃる方が」
 言い淀みながら、ルパートを伺う。
 女性の名に、ヒルダはぴくり、とナイフを持つ指を痙攣させた。 
「レイラ?」
 ルパートが眉を顰める。鹿肉を口に放り込んだ。
「聞いたことのない名だな?」
「そりゃあ、中にはお忘れの方もいらっしゃるでしょうね」
 エレナが額に何筋もしわを引き、嫌味っぽく横入りした。
 ルパートの目つきが険しくなる。
「どのような女だ?」
 心当たりがないらしく、ルパートは首を傾げる。つい今しがたの、無様な取り乱し方は、まるで何も見せなかった言わんばかりに落ち着いた仕草だ。
「燃えるような赤い髪をなさった、艶のある容姿の妙齢の女性です」
 ロバートは心なしか口調が速い。一見すると変わりはないが、頬が上気していなくもない。 
「ふむ」
 ルパートは顎に手を当てて何やら考え込んでいる。 
「やはり、お心当たりがあるんですね?」
 エレナがヒルダの心の内を代弁する。
「違うと言っているだろう!」
 エレナではなく、ヒルダに真っ直ぐな視線を向けて、ルパートは再度、テーブルを叩く。
 あまりの力強さに、ヒルダは椅子ごと上下した。
「おそらく、カーソン公爵の愛人だ」
 ヒルダの脳裏に、カーソンの傍らで不適な笑みを浮かべる妖艶な美女が過ぎった。

「ご承知の通り、私はカーソン公爵閣下の愛人です」
 面通りの叶ったレイラは、デラクール邸の応接室でルパートと向き合い、ハンカチで目元を拭う。
 真っ赤な髪は今日は肩の下あたりまで垂れ、仕草のたびにふわりと揺れた。同時に、襟ぐりが大きく開いたデザインにより、強調された胸元も露骨な動きを見せる。
「叔父上の好い方が、何故、うちに?叔父上はご承知か?」
 そんな淫靡な雰囲気にはちっとも惑わされず、極めて冷静に問いかけた。
「カーソン様は、私がこちらを訪れたことは知りません」
「でしたら、今は非常に拙い状況ですね」
 遠回しにさっさと帰れ、と伝える。
「お願いします。しばらく私を匿ってください」
 的確にルパートの内心を読んで、レイラは手元のハンカチを握り締めた。
「叔父上を敵に回すつもりはありません」
 人の愛人を、理由もわからず屋敷に置くわけにはいかない。至極、当然に、ルパートは断る。
「私はあの方が恐ろしい」
 レイラの唇は赤みを失い、小さく震えていた。
「あの方の、私への愛が重いのです」
「と、言うと?」
「私が殿方と少しでも話そうものなら、烈火の如くお怒りに。このままでは、私の命が危ういのです」
「それなら、こうしてあなたを迎え入れた私も危ういですね」
 他所行きの口調はあくまでレイラの受け入れを拒否する。
「どうか、この国随一の騎士様と見込んで、お願いします」
 埒が明かないと判断したレイラは、ルパートの立場を持ち出し、懇願する。
 カーソンの傍らに控える、自信満々さはどこにもない。
 男の暴力に怯え、必死に逃げてきた一人の女性。そんな弱々しさが全面に出されている。
「私にどうしろと?」
 国王直属の騎士としての立場があるため、無下にも出来ず、ルパートはいらいらと目を吊り上げつつ、尋ねた。
 交渉が叶ったことで、幾分かレイラの表情が和らぐ。唇の際立つ赤さが、まるで誘うかのように。
「ふりで構わないのです。私をあなた様の愛人として囲っていただきたいのです」
「突飛な考えですね」
 ルパートは嫌悪を示し、怜悧な眼差しを向ける。
「理由はどうあっても構いません。どうか私をこの屋敷に匿って下さい」
 レイラは身を乗り出した。
 テーブル越しに、ルパートの体に影が出来る距離まで詰める。
 おもむろに、レイラは胸元をはだけた。
「な、何を」
 さすがのルパートも、不意打ちに面食らう。声を上擦らせ、ソファの背に凭れかかった。
「これをご覧下さい」
 さらにレイラは距離を詰める。
「なっ」
 ルパートが驚いたのは、ヒルダの右乳房の上から下まで、斜め方向に、刀傷がくっきりあったからだ。
 深い傷は、すでに時間を経て肉が盛り上がり、赤黒い抉れが中途半端に再生されている。
 一介の令嬢に、これほどまでの深傷ふかでを負わすとは。
 紳士ぶる、気の置けない叔父に対して、殺意を沸かせるルパート。
「ご承知いただけましたか?」
 レイラはソファに座り直すと、ドレスの胸元をただした。
 すでに彼女は、いつもの不遜な笑みを口元に携えていた。
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