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慟哭の果て
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地下牢は、奥へ奥へと進むと、ますます闇が色濃くなっていく。
靴音の反響が大きい。
奥深くへと近づくに連れ、どこからともなく獣のような呻き声がする。
空耳ではない。
明らかに、鼓膜が反応している。
ルパートが立ち止まったのは、最後の檻がある地下牢。
酷く臭う。呼吸するだけで肺はおろか、全身に何らかの支障を来たすような空間だ。
黴臭いだけではない。鼠や虫の死骸が散乱し、埃がうず高く積もっている。燭台の灯りがチラリと映すだけで判明するのだ。実際は、倍以上の数が暗がりに隠されている。
とてもじゃないが、人間の立ち入る場所ではない。
「ひっ」
ヒルダの喉が上下する。
牢の片隅で、白い物体が蠢いたからだ。
その白い物体は、どうやらドレスを身につけた女性らしかった。
闇のせいではっきりとは見えないが、灯りに反射して、金糸の髪がゆらゆら揺れた。
女は面会客に、胡乱に振り返る。
光をまともに喰らい、眩しそうに手で顔を翳す。
「まさか……」
ヒルダは、言葉を失う。
此処にいてはいけない人物だ。
「そんな……」
片方の手に持った燭台の灯りさらに翳す。
もう片方の、繋いだままのルパートの手に、力が籠った。
妹のエラが、そこにいた。
「お姉様!助けて!」
エラは鉄格子にへばりついて、涙混じりに訴える。
かつての絹糸のように指通りの良い金の髪は、傷んで乱れ、白磁の肌は荒れて吹き出物だらけ、翡翠色の瞳は燻み、目の下は大きな隈で落ち窪んでいる。ひび割れた唇は、青紫に変色していた。
「濡れ衣よ!私は何もしてない!」
最後に見た姿からは、別人としか言いようのない変わり様だ。
「嘘をつくな!」
唐突にルパートが怒りを孕んで一蹴する。
「な、何よ」
予想外にいきなり怒られて、エラは怯んで後退りした。
彼女からは、不服申し立てがない。
つまり、エラは………。
「そうよ!全て私が仕組んだものよ!」
開き直って、エラは叫んだ。
「お姉様なんて、大嫌いよ!」
眼はぎらぎらと鈍い光を放ち、ヒルダに対して憎悪を剥き出した。
「いつも、いつも、お姉様ばっかり!いつだって、皆の注目を集めて!」
「な、何言ってるの?」
「お姉様が、誰よりも注目されてる!狡いわ!」
「そ、そんな。注目されてたのは、あんたじゃないの」
突然のことに、ヒルダは言葉を失う。
「自由奔放で、何でも器用にこなして!剣術も武術も、算術も、ずっとずっと優れてる!」
エラは興奮して靴を踏み鳴らす。
「知らないだろうけど、お姉様に言い寄ってくる男は、山ほどいたのよ!私はそれを、片っ端から奪ってやっただけ!」
まるで舞台役者のような大袈裟な身振りで、暴露していく。
「礼儀作法も、読み書きも、美しくなるための努力だって、全部、お姉様に勝つためよ!」
いつも自信に満ち溢れ、堂々と愛想を振り撒いていたエラに、これほどおどろおどろしさが潜んでいたなんて。
「そんな……あんたの方が、ずっと優れてるじゃない」
「そこよ!」
ぎろり、と前髪の下から睨みつける。
「無自覚なそんなとこが、私の自尊心をズタズタにしたのよ!」
誰にも見せたことのない、エラの本心。
いつも、姉よりも自分の方が優秀であると、何かにつけて比較してきたのに。
「王太子との婚約だって、私の方が優れてるって見せつけるためよ!」
遅れて近寄ってきたアルフレッドが、目を見開き、ピタリと止まった。
「それなのに……それなのに……お姉様は、あっさり公爵様と結婚して……愛されて……幸せそうに……」
よろめき、その場に崩れ落ち、エラは顔を手で覆う。
「それで、姉の命を狙ったのだな」
ルパートが抑揚なく、淡々と呟く。
「違う!」
すぐさま顔を上げて、強めに否定するエラ。
「マシュウが目撃している。お前が、元狩人に後始末の指示を出していたと」
「……マシュウが?」
「弟は、信じていたお前の行状にショックを受けている」
エラは、違う違うと必死に首を振った。
「別に命を狙ったわけじゃないわ!ちょっと、怖い目にあわせてやろうって思っただけよ」
「実際に、ヒルダの肩を毒矢が掠めている。もし、打たれた位置が悪ければ」
「離れた場所の壁か何かに向けて、矢を放ったのよ!そんな毒なんか、仕込んでないわ!」
「彼女は半日、意識が混濁したのだぞ」
「知らないわよ!」
「では、あの元狩人の自己判断ということか」
エラの顔がたちまち凍りついた。
「やめて!ビリーは関係ないわ!」
鉄格子を掴むや否や、がたがたと壊れるんじゃないかと思うほどに揺する。
「私の独断よ!彼は巻き込まれただけよ!」
叫び過ぎて喉が枯れ、あの甘ったれた声色は、すっかりどこかへ行ってしまった。
「ビリーに手は出さないで!」
それでもエラは必死に懇願する。
「私はどうなってもいい……だから、ビリーは助けて……お願い……」
ついに、翡翠の瞳から涙が溢れ、荒れた肌をぐしゃぐしゃに濡らした。
「ビリー……ビリー……」
嗚咽に混じり、元狩人の名を呼ぶ。
「これじゃあ、僕が丸きり当て馬じゃないか」
アルフレッドが複雑な表情で呟いた。
「お前がいい加減なことをしたツケだ」
侮蔑の眼差しでアルフレッドを見下ろすルパート。
「最初から素直に行動すれば良いものを。毎回毎回、回りくどいことをするからだ」
「わかってるよ」
アルフレッドは目を伏せ、いつになく憂いを漂わせた。
靴音の反響が大きい。
奥深くへと近づくに連れ、どこからともなく獣のような呻き声がする。
空耳ではない。
明らかに、鼓膜が反応している。
ルパートが立ち止まったのは、最後の檻がある地下牢。
酷く臭う。呼吸するだけで肺はおろか、全身に何らかの支障を来たすような空間だ。
黴臭いだけではない。鼠や虫の死骸が散乱し、埃がうず高く積もっている。燭台の灯りがチラリと映すだけで判明するのだ。実際は、倍以上の数が暗がりに隠されている。
とてもじゃないが、人間の立ち入る場所ではない。
「ひっ」
ヒルダの喉が上下する。
牢の片隅で、白い物体が蠢いたからだ。
その白い物体は、どうやらドレスを身につけた女性らしかった。
闇のせいではっきりとは見えないが、灯りに反射して、金糸の髪がゆらゆら揺れた。
女は面会客に、胡乱に振り返る。
光をまともに喰らい、眩しそうに手で顔を翳す。
「まさか……」
ヒルダは、言葉を失う。
此処にいてはいけない人物だ。
「そんな……」
片方の手に持った燭台の灯りさらに翳す。
もう片方の、繋いだままのルパートの手に、力が籠った。
妹のエラが、そこにいた。
「お姉様!助けて!」
エラは鉄格子にへばりついて、涙混じりに訴える。
かつての絹糸のように指通りの良い金の髪は、傷んで乱れ、白磁の肌は荒れて吹き出物だらけ、翡翠色の瞳は燻み、目の下は大きな隈で落ち窪んでいる。ひび割れた唇は、青紫に変色していた。
「濡れ衣よ!私は何もしてない!」
最後に見た姿からは、別人としか言いようのない変わり様だ。
「嘘をつくな!」
唐突にルパートが怒りを孕んで一蹴する。
「な、何よ」
予想外にいきなり怒られて、エラは怯んで後退りした。
彼女からは、不服申し立てがない。
つまり、エラは………。
「そうよ!全て私が仕組んだものよ!」
開き直って、エラは叫んだ。
「お姉様なんて、大嫌いよ!」
眼はぎらぎらと鈍い光を放ち、ヒルダに対して憎悪を剥き出した。
「いつも、いつも、お姉様ばっかり!いつだって、皆の注目を集めて!」
「な、何言ってるの?」
「お姉様が、誰よりも注目されてる!狡いわ!」
「そ、そんな。注目されてたのは、あんたじゃないの」
突然のことに、ヒルダは言葉を失う。
「自由奔放で、何でも器用にこなして!剣術も武術も、算術も、ずっとずっと優れてる!」
エラは興奮して靴を踏み鳴らす。
「知らないだろうけど、お姉様に言い寄ってくる男は、山ほどいたのよ!私はそれを、片っ端から奪ってやっただけ!」
まるで舞台役者のような大袈裟な身振りで、暴露していく。
「礼儀作法も、読み書きも、美しくなるための努力だって、全部、お姉様に勝つためよ!」
いつも自信に満ち溢れ、堂々と愛想を振り撒いていたエラに、これほどおどろおどろしさが潜んでいたなんて。
「そんな……あんたの方が、ずっと優れてるじゃない」
「そこよ!」
ぎろり、と前髪の下から睨みつける。
「無自覚なそんなとこが、私の自尊心をズタズタにしたのよ!」
誰にも見せたことのない、エラの本心。
いつも、姉よりも自分の方が優秀であると、何かにつけて比較してきたのに。
「王太子との婚約だって、私の方が優れてるって見せつけるためよ!」
遅れて近寄ってきたアルフレッドが、目を見開き、ピタリと止まった。
「それなのに……それなのに……お姉様は、あっさり公爵様と結婚して……愛されて……幸せそうに……」
よろめき、その場に崩れ落ち、エラは顔を手で覆う。
「それで、姉の命を狙ったのだな」
ルパートが抑揚なく、淡々と呟く。
「違う!」
すぐさま顔を上げて、強めに否定するエラ。
「マシュウが目撃している。お前が、元狩人に後始末の指示を出していたと」
「……マシュウが?」
「弟は、信じていたお前の行状にショックを受けている」
エラは、違う違うと必死に首を振った。
「別に命を狙ったわけじゃないわ!ちょっと、怖い目にあわせてやろうって思っただけよ」
「実際に、ヒルダの肩を毒矢が掠めている。もし、打たれた位置が悪ければ」
「離れた場所の壁か何かに向けて、矢を放ったのよ!そんな毒なんか、仕込んでないわ!」
「彼女は半日、意識が混濁したのだぞ」
「知らないわよ!」
「では、あの元狩人の自己判断ということか」
エラの顔がたちまち凍りついた。
「やめて!ビリーは関係ないわ!」
鉄格子を掴むや否や、がたがたと壊れるんじゃないかと思うほどに揺する。
「私の独断よ!彼は巻き込まれただけよ!」
叫び過ぎて喉が枯れ、あの甘ったれた声色は、すっかりどこかへ行ってしまった。
「ビリーに手は出さないで!」
それでもエラは必死に懇願する。
「私はどうなってもいい……だから、ビリーは助けて……お願い……」
ついに、翡翠の瞳から涙が溢れ、荒れた肌をぐしゃぐしゃに濡らした。
「ビリー……ビリー……」
嗚咽に混じり、元狩人の名を呼ぶ。
「これじゃあ、僕が丸きり当て馬じゃないか」
アルフレッドが複雑な表情で呟いた。
「お前がいい加減なことをしたツケだ」
侮蔑の眼差しでアルフレッドを見下ろすルパート。
「最初から素直に行動すれば良いものを。毎回毎回、回りくどいことをするからだ」
「わかってるよ」
アルフレッドは目を伏せ、いつになく憂いを漂わせた。
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