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真昼間の狙い
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「やはり、姉上は凄いです!」
唐突に、聞き慣れた声。
声変わりのない、まるで小鳥が歌うような軽やかさで、ちょっと舌足らずな、この声は……。
「マシュウ!」
八歳の弟、マシュウだ。
母親譲りの金髪に翠の瞳は変わらないが、ヒルダが嫁ぐ前よりも、瞳の中で意志の強さが爛々としている。
「あんた、どうしてここに?」
身内ゆえ、つい砕けた言葉遣いになってしまう。
「先週から、騎士団見習いとして練習に参加させていただいています」
「まあ。学校は?王立学校に推薦してもらったでしょ?」
ヒルダを特務師団の手駒として雇う条件の中に、マシュウの件はあった。
ルパートは、確かに約束を守ってくれた。
結婚の承諾を国王に依頼するサインを記入したその夜、カサンドラから届いた手紙で知った。
「今は春休みです」
もう、そんな時期か。
春先かとばかり思っていたのに。
季節は物凄い速さで過ぎていく。
「僕も、義兄上のような、立派な騎士になりたくて」
義兄と言う呼び方にむず痒さを覚えつつ、ヒルダは活き活きとするマシュウが心配でならない。
「王立騎士団の陸戦隊は、他のどの部隊よりも厳しいでしょ」
「はい!毎日、腕立て、腹筋、素振り基本二百回です!」
「まあ!」
パンが固くて噛めないだの、散歩に出掛ければ抱っこ抱っことせがむ、あの子供が。
ヒルダの目は、硝子玉のようにまん丸になる。
「お母様はどうされているの?」
「家を守ってくれています」
「あんたは?」
「僕は先日、騎士団の寮に入りました」
「まあ!」
規律の厳しい騎士団で、共同生活なんて。
しかも、僅か八歳の子供が大人に混じって。
予めわかっていれば、絶対、反対したのに。
そもそも、何故、ルパートは教えてくれなかったのか。
「義兄上には、口止めを願いました。姉上は、絶対反対するので」
子供ながら、根回しが早い。
さては、母の入れ知恵か。
カサンドラは心配性の割に、時折、大胆な考え方をする。
血は繋がっていないものの、ヒルダに似ている部分があった。
迷ったときは、取り敢えず、挑んでみる。
そのような考え方なので、義理の母子関係は問題なく収まっているのだろう。
そもそも、そういった方でなければ、親子ほど年の離れた、英雄とはいえ野蛮な剣使いの、しかも連子二人もいる家にわざわざ嫁ごうとは思わない。
あれこれ考えるヒルダに、マシュウは、やや声のトーンを落とし、耳打ちする。
「エラ姉上の件、聞き及んでいます」
「エラのこと?」
ヒルダの頬が不自然に引き攣る。
どうしても知りたかった情報が、あっさりと意外な人物からもたらされた。
マシュウは慎重に頷く。
「部屋に閉じ籠っていても、食事はしっかりとられているとか」
「そう」
「最近入った、少々歳を召した男が、配膳係兼話し相手になっているそうで」
「どのような方?」
「確か、元狩人とか」
「そう。良い話し相手になってくださっているといいわね」
めそめそと一日中泣いているかと心配したが、食事は摂れているようだ。心配していたよりは元気そうだ。話し相手もいる。ヒルダは少しばかり心が軽くなった。
「さあ、姉弟の再会はそこまでだ」
ぐしゃぐしゃと、マシュウの髪をまさぐると、ルパートは来いと顎で示す。
たちまちマシュウから笑顔が消えて、凛々しさで設え直された。あどけなさは、すでにそこにはない。ヒルダの知る、庇護をそそる可愛らしいマシュウは、居なくなってしまった。
マシュウは姿勢を正すと、「では」と格好つけてヒルダに一礼し、素振りの集団に駆け戻った。
皆に遅れながらも、素振りを続ける。まだ十数回というのに、もう全身汗まみれになっているマシュウを眺めていると、二杯目の葡萄ジュースがテーブルに置かれた。
いつ、メイドに命じたのだろう。
横暴でありながら、ルパートは気の利く男だ。
「さすが、幼くとも虎の血を引くだけある」
ルパートは、顎を撫でながらマシュウを評する。
「まだまだ剣筋は荒いが、このまま鍛錬を積めば、おそらく将来は隊長の位につくだろう」
「か、買い被り過ぎです」
「俺はなかなか見る目のある方だと、自覚している」
意味深にヒルダに流し目を呉れた。
鬼か悪魔かで名を馳せ、厳しいことこの上ないルパートからの褒め言葉。弟に対する評価に、自然と頬が綻ぶ。妹の件で強張りっぱなしだった頬の筋肉が、その日、初めて緩んだ瞬間だった。
微笑したまま、視界がぐらりと右側に傾く。
「あら?」
だんだん、空が遠退いていく。
逆に、地面が近い。
ルパートが、慌てて何やら叫んでいる。
血の気がなく、真っ白な顔のマシュウ。
飄々としたアルフレッドさえ、悲壮な顔つきだ。
素振りに汗を流していた面々が、わらわらと取り囲んでくる。
「あら?」
何故、皆が駆けつけてくるのか。
ルパートの氷のように冷え冷えした表情が、今や見る影もない。カッと濃紺の眼を見開き、青みがかった髪を振り乱し、いつもは引き結んだ唇は、何事かで必死だ。
それでも、ぞくりとするほど綺麗。
全く見飽きない。
だけど、瞼が重い。
そして、右肩がちくりと痛む。
肩から水が溢れているような感覚。
まるで、肩だけ別の生き物になり果てたように、脈打ちが異常だ。
ゆっくりと、ルパートの見目良い顔が瞼の重みで阻まれていく。
「ルパート様?」
名を呼んだはずなのに、己の声さえ聞こえない。
「ヒルダ!」
意識を手放す直前、低い響きを感受した。
唐突に、聞き慣れた声。
声変わりのない、まるで小鳥が歌うような軽やかさで、ちょっと舌足らずな、この声は……。
「マシュウ!」
八歳の弟、マシュウだ。
母親譲りの金髪に翠の瞳は変わらないが、ヒルダが嫁ぐ前よりも、瞳の中で意志の強さが爛々としている。
「あんた、どうしてここに?」
身内ゆえ、つい砕けた言葉遣いになってしまう。
「先週から、騎士団見習いとして練習に参加させていただいています」
「まあ。学校は?王立学校に推薦してもらったでしょ?」
ヒルダを特務師団の手駒として雇う条件の中に、マシュウの件はあった。
ルパートは、確かに約束を守ってくれた。
結婚の承諾を国王に依頼するサインを記入したその夜、カサンドラから届いた手紙で知った。
「今は春休みです」
もう、そんな時期か。
春先かとばかり思っていたのに。
季節は物凄い速さで過ぎていく。
「僕も、義兄上のような、立派な騎士になりたくて」
義兄と言う呼び方にむず痒さを覚えつつ、ヒルダは活き活きとするマシュウが心配でならない。
「王立騎士団の陸戦隊は、他のどの部隊よりも厳しいでしょ」
「はい!毎日、腕立て、腹筋、素振り基本二百回です!」
「まあ!」
パンが固くて噛めないだの、散歩に出掛ければ抱っこ抱っことせがむ、あの子供が。
ヒルダの目は、硝子玉のようにまん丸になる。
「お母様はどうされているの?」
「家を守ってくれています」
「あんたは?」
「僕は先日、騎士団の寮に入りました」
「まあ!」
規律の厳しい騎士団で、共同生活なんて。
しかも、僅か八歳の子供が大人に混じって。
予めわかっていれば、絶対、反対したのに。
そもそも、何故、ルパートは教えてくれなかったのか。
「義兄上には、口止めを願いました。姉上は、絶対反対するので」
子供ながら、根回しが早い。
さては、母の入れ知恵か。
カサンドラは心配性の割に、時折、大胆な考え方をする。
血は繋がっていないものの、ヒルダに似ている部分があった。
迷ったときは、取り敢えず、挑んでみる。
そのような考え方なので、義理の母子関係は問題なく収まっているのだろう。
そもそも、そういった方でなければ、親子ほど年の離れた、英雄とはいえ野蛮な剣使いの、しかも連子二人もいる家にわざわざ嫁ごうとは思わない。
あれこれ考えるヒルダに、マシュウは、やや声のトーンを落とし、耳打ちする。
「エラ姉上の件、聞き及んでいます」
「エラのこと?」
ヒルダの頬が不自然に引き攣る。
どうしても知りたかった情報が、あっさりと意外な人物からもたらされた。
マシュウは慎重に頷く。
「部屋に閉じ籠っていても、食事はしっかりとられているとか」
「そう」
「最近入った、少々歳を召した男が、配膳係兼話し相手になっているそうで」
「どのような方?」
「確か、元狩人とか」
「そう。良い話し相手になってくださっているといいわね」
めそめそと一日中泣いているかと心配したが、食事は摂れているようだ。心配していたよりは元気そうだ。話し相手もいる。ヒルダは少しばかり心が軽くなった。
「さあ、姉弟の再会はそこまでだ」
ぐしゃぐしゃと、マシュウの髪をまさぐると、ルパートは来いと顎で示す。
たちまちマシュウから笑顔が消えて、凛々しさで設え直された。あどけなさは、すでにそこにはない。ヒルダの知る、庇護をそそる可愛らしいマシュウは、居なくなってしまった。
マシュウは姿勢を正すと、「では」と格好つけてヒルダに一礼し、素振りの集団に駆け戻った。
皆に遅れながらも、素振りを続ける。まだ十数回というのに、もう全身汗まみれになっているマシュウを眺めていると、二杯目の葡萄ジュースがテーブルに置かれた。
いつ、メイドに命じたのだろう。
横暴でありながら、ルパートは気の利く男だ。
「さすが、幼くとも虎の血を引くだけある」
ルパートは、顎を撫でながらマシュウを評する。
「まだまだ剣筋は荒いが、このまま鍛錬を積めば、おそらく将来は隊長の位につくだろう」
「か、買い被り過ぎです」
「俺はなかなか見る目のある方だと、自覚している」
意味深にヒルダに流し目を呉れた。
鬼か悪魔かで名を馳せ、厳しいことこの上ないルパートからの褒め言葉。弟に対する評価に、自然と頬が綻ぶ。妹の件で強張りっぱなしだった頬の筋肉が、その日、初めて緩んだ瞬間だった。
微笑したまま、視界がぐらりと右側に傾く。
「あら?」
だんだん、空が遠退いていく。
逆に、地面が近い。
ルパートが、慌てて何やら叫んでいる。
血の気がなく、真っ白な顔のマシュウ。
飄々としたアルフレッドさえ、悲壮な顔つきだ。
素振りに汗を流していた面々が、わらわらと取り囲んでくる。
「あら?」
何故、皆が駆けつけてくるのか。
ルパートの氷のように冷え冷えした表情が、今や見る影もない。カッと濃紺の眼を見開き、青みがかった髪を振り乱し、いつもは引き結んだ唇は、何事かで必死だ。
それでも、ぞくりとするほど綺麗。
全く見飽きない。
だけど、瞼が重い。
そして、右肩がちくりと痛む。
肩から水が溢れているような感覚。
まるで、肩だけ別の生き物になり果てたように、脈打ちが異常だ。
ゆっくりと、ルパートの見目良い顔が瞼の重みで阻まれていく。
「ルパート様?」
名を呼んだはずなのに、己の声さえ聞こえない。
「ヒルダ!」
意識を手放す直前、低い響きを感受した。
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