上 下
29 / 42

真昼間の狙い

しおりを挟む
「やはり、姉上は凄いです!」
 唐突に、聞き慣れた声。
 声変わりのない、まるで小鳥が歌うような軽やかさで、ちょっと舌足らずな、この声は……。
「マシュウ!」
 八歳の弟、マシュウだ。
 母親譲りの金髪に翠の瞳は変わらないが、ヒルダが嫁ぐ前よりも、瞳の中で意志の強さが爛々としている。
「あんた、どうしてここに?」
 身内ゆえ、つい砕けた言葉遣いになってしまう。
「先週から、騎士団見習いとして練習に参加させていただいています」
「まあ。学校は?王立学校に推薦してもらったでしょ?」
 ヒルダを特務師団の手駒として雇う条件の中に、マシュウの件はあった。
 ルパートは、確かに約束を守ってくれた。
 結婚の承諾を国王に依頼するサインを記入したその夜、カサンドラから届いた手紙で知った。
「今は春休みです」
 もう、そんな時期か。
 春先かとばかり思っていたのに。
 季節は物凄い速さで過ぎていく。
「僕も、義兄あに上のような、立派な騎士になりたくて」
 義兄あにと言う呼び方にむず痒さを覚えつつ、ヒルダは活き活きとするマシュウが心配でならない。
「王立騎士団の陸戦隊は、他のどの部隊よりも厳しいでしょ」
「はい!毎日、腕立て、腹筋、素振り基本二百回です!」
「まあ!」
 パンが固くて噛めないだの、散歩に出掛ければ抱っこ抱っことせがむ、あの子供が。
 ヒルダの目は、硝子玉のようにまん丸になる。
「お母様はどうされているの?」
「家を守ってくれています」
「あんたは?」
「僕は先日、騎士団の寮に入りました」
「まあ!」
 規律の厳しい騎士団で、共同生活なんて。
 しかも、僅か八歳の子供が大人に混じって。
 予めわかっていれば、絶対、反対したのに。
 そもそも、何故、ルパートは教えてくれなかったのか。
義兄あに上には、口止めを願いました。姉上は、絶対反対するので」
 子供ながら、根回しが早い。
 さては、母の入れ知恵か。
 カサンドラは心配性の割に、時折、大胆な考え方をする。
 血は繋がっていないものの、ヒルダに似ている部分があった。
 迷ったときは、取り敢えず、挑んでみる。
 そのような考え方なので、義理の母子関係は問題なく収まっているのだろう。
 そもそも、そういった方でなければ、親子ほど年の離れた、英雄とはいえ野蛮な剣使いの、しかも連子二人もいる家にわざわざ嫁ごうとは思わない。
 あれこれ考えるヒルダに、マシュウは、やや声のトーンを落とし、耳打ちする。
「エラ姉上の件、聞き及んでいます」
「エラのこと?」
 ヒルダの頬が不自然に引き攣る。
 どうしても知りたかった情報が、あっさりと意外な人物からもたらされた。
 マシュウは慎重に頷く。
「部屋に閉じ籠っていても、食事はしっかりとられているとか」
「そう」
「最近入った、少々歳を召した男が、配膳係兼話し相手になっているそうで」
「どのような方?」
「確か、元狩人とか」
「そう。良い話し相手になってくださっているといいわね」
 めそめそと一日中泣いているかと心配したが、食事は摂れているようだ。心配していたよりは元気そうだ。話し相手もいる。ヒルダは少しばかり心が軽くなった。

「さあ、姉弟きょうだいの再会はそこまでだ」
 ぐしゃぐしゃと、マシュウの髪をまさぐると、ルパートは来いと顎で示す。
 たちまちマシュウから笑顔が消えて、凛々しさで設え直された。あどけなさは、すでにそこにはない。ヒルダの知る、庇護をそそる可愛らしいマシュウは、居なくなってしまった。
 マシュウは姿勢を正すと、「では」と格好つけてヒルダに一礼し、素振りの集団に駆け戻った。
 皆に遅れながらも、素振りを続ける。まだ十数回というのに、もう全身汗まみれになっているマシュウを眺めていると、二杯目の葡萄ジュースがテーブルに置かれた。
 いつ、メイドに命じたのだろう。
 横暴でありながら、ルパートは気の利く男だ。
「さすが、幼くとも虎の血を引くだけある」
 ルパートは、顎を撫でながらマシュウを評する。
「まだまだ剣筋は荒いが、このまま鍛錬を積めば、おそらく将来は隊長の位につくだろう」
「か、買い被り過ぎです」
「俺はなかなか見る目のある方だと、自覚している」
 意味深にヒルダに流し目を呉れた。
 鬼か悪魔かで名を馳せ、厳しいことこの上ないルパートからの褒め言葉。弟に対する評価に、自然と頬が綻ぶ。妹の件で強張りっぱなしだった頬の筋肉が、その日、初めて緩んだ瞬間だった。

 微笑したまま、視界がぐらりと右側に傾く。
「あら?」
 だんだん、空が遠退いていく。
 逆に、地面が近い。
 ルパートが、慌てて何やら叫んでいる。
 血の気がなく、真っ白な顔のマシュウ。
 飄々としたアルフレッドさえ、悲壮な顔つきだ。
 素振りに汗を流していた面々が、わらわらと取り囲んでくる。
「あら?」
 何故、皆が駆けつけてくるのか。
 ルパートの氷のように冷え冷えした表情が、今や見る影もない。カッと濃紺の眼を見開き、青みがかった髪を振り乱し、いつもは引き結んだ唇は、何事かで必死だ。
 それでも、ぞくりとするほど綺麗。
 全く見飽きない。
 だけど、瞼が重い。
 そして、右肩がちくりと痛む。
 肩から水が溢れているような感覚。
 まるで、肩だけ別の生き物になり果てたように、脈打ちが異常だ。
 ゆっくりと、ルパートの見目良い顔が瞼の重みで阻まれていく。
「ルパート様?」
 名を呼んだはずなのに、己の声さえ聞こえない。
「ヒルダ!」
 意識を手放す直前、低い響きを感受した。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

優しいだけの悪女ですが~役立たずだと虐められた元男爵令嬢は筆頭騎士様に愛されて幸せです~

山夜みい
恋愛
「お前の白髪は気持ち悪い。婚約破棄されるのも納得だわ」 『役立たず』『忌み子』『無能』と罵られたフランク男爵家の一人娘であるアンネローゼは両親を亡くしてロンディウム公爵家に身を寄せていた。 日に日に酷くなる虐めのせいで生きる活力を失うアンネローゼだったが、迷っている人に道を教えたら、人生が一変。 「私と共に来い」 「ほえ?」 アンネローゼが救った迷子の男は悪名高き英雄シグルド・ロンディウムだった。冷酷非道という噂が流れていたシグルドは生来持つ魔力の強さから他人に恐れられていた。しかし、魔力を持たないアンネローゼには彼の体質は効かなくて……。 「君と一緒にいると動悸がする」 「君は私だけのものだ。誰にも渡さない」 「ずっと傍にいてくれないか?」 これは、騎士に憧れる優しいだけの女の子と強すぎる魔力のせいで孤独だった男が、お互いの心を癒し、愛し合う物語。

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~

一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。 だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。 そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

【R18】助けてもらった虎獣人にマーキングされちゃう話

象の居る
恋愛
異世界転移したとたん、魔獣に狙われたユキを助けてくれたムキムキ虎獣人のアラン。襲われた恐怖でアランに縋り、家においてもらったあともズルズル関係している。このまま一緒にいたいけどアランはどう思ってる? セフレなのか悩みつつも関係が壊れるのが怖くて聞けない。飽きられたときのために一人暮らしの住宅事情を調べてたらアランの様子がおかしくなって……。 ベッドの上ではちょっと意地悪なのに肝心なとこはヘタレな虎獣人と、普段はハッキリ言うのに怖がりな人間がお互いの気持ちを確かめ合って結ばれる話です。 ムーンライトノベルズさんにも掲載しています。

天然王妃は国王陛下に溺愛される~甘く淫らに啼く様~

一ノ瀬 彩音
恋愛
クレイアは天然の王妃であった。 無邪気な笑顔で、その豊満過ぎる胸を押し付けてくるクレイアが可愛くて仕方がない国王。 そんな二人の間に二人の側室が邪魔をする! 果たして国王と王妃は結ばれることが出来るのか!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

処理中です...