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王立騎士団陸戦隊隊長
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渡り廊下から中庭に差し掛かったとき、ちょうど騎士団が素振りをしているところだった。
「王太子様」
アルフレッドに気づくと、皆一様に動きを止めて、礼儀正しくお辞儀する。
「続けて構わないよ」
にこやかなアルフレッドに、剣を握り直した彼らは、またもやピタリと動きを止めた。
「た、隊長!」
たちまち、その場だけ気温が摂氏三度ほど低くなる。
「俺は今日は休日だ」
ぶっきらぼうにルパートが一言。
今日の彼は騎士服ではなく、黒のジャケットに、リネンのシャツ、スラックスといった、砕けた服装だ。
あからさまに、部下全員が安堵の息をつく。
王立騎士団陸戦隊隊長は、やはり鬼か、悪魔か。
思わずくすくすと、笑い声を漏らしてしまうヒルダ。
「隊長、もしやそちらは、奥方ですか?」
茶髪にそばかすの、まだ十代らしき若い騎士が、目元をほんのり赤らめながら尋ねてきた。
「ああ」
またもや、ぶっきらぼうな一言。
たちまち、騎士団の中がわあっと色めきたつ。つい今しがたまで張っていた緊張が、どこかに吹き飛んでしまった。
「お綺麗な方だなあ」
「随分、お若いし」
「まるで女神様だあ」
年頃から中年に差し掛かるまでの隊員全員、顔を赤らめ惚けたようにヒルダを直視する。
清く正しく美しくを地でいく彼らは、どうやら女性に対する免疫がないらしい。
男性から賞賛など浴びたことが一度もないヒルダは、困惑しつつ、自身を納得させた。
「お前達。俺が休みだからと、腑抜けているようだな」
額に青筋を立て、憮然とするルパートに、再び気温が下降する。
「ヒルダ」
真後ろに控える妻を、抑揚のない声で呼んだ。
「カイルと一戦交えてみろ」
一番若そうな、先程の茶髪にそばかすの青年が、おろおろと両手を広げて、眉を八の字に下げる。
「た、隊長。しかし」
「何だ」
「この方は女性で」
「だから何だ」
「女性相手に剣を振るうのは、幾ら何でも」
ルパートは反論を無視する。
「ヒルダ。その格好では動きにくいだろうから、着替えて来い」
有無を言わせぬ物言いに、ヒルダは渋々と頷く。
ルパートの無茶振りは、今に始まったことではない。
今日はエラに会いに来たのであって、騎士団の稽古に付き合いに来たのではないのに。
「へえ、面白い余興が始まるね」
ヒルダの剣さばきを見たことのないアルフレッドは、碧の瞳をいつもの倍以上、きらきらさせた。
「デラクール公爵がお見えよ」
「まあ、今日は休みじゃなかったの?」
「ふふ。あなたも早くお姿を拝見してきなさいよ」
年頃のメイドらが、きゃいきゃいとはしゃいでいる。
隣室でアルフレッドが用意したシャツの袖を捲りながら、ヒルダはふうっと溜め息を吐いた。
ルパートが熱い視線を受けるのは、貴族からだけではない。
彼女らに対する苛立ち。そして、それを上回る優越感。
ヒルダは今まで持ち合わせていなかった感情に心地よさを抱き、うっとりと薬指の指輪を撫でた。
「手加減するな、ヒルダ」
言って、渡された剣は模造刀だった。
相手のカイルも同様だ。
万が一を考慮のこと。
だが、技をまともに体に受ければ、打撲は免れない。
頭を切り替える。
ルパートの妻は、一旦、頭の隅に押しやった。
一人の戦士。戦場の虎、最期の弟子としての立場。
ギラリ、と切れ長の瞳に不穏な色が混ざる。
たちまち目つきの変わったヒルダに、剣を構えたカイルは怯んだ。
ルパートの背後で守られるようにかしずく可憐さは、すっかり消失してしまっている。
じりり、と無意識下で後ずさるカイル。
隙が生まれたのを、ヒルダは見逃さなかった。
防御態勢が崩れている。
ヒルダは容赦なく、がら空きの左脇腹に打ち込む。
「うわっ」
小気味良い音が響き、手応えはあった。
だが、さすがは国王直属の騎士、倒れるのを堪えて構えの姿勢に入る。
男と比べて、やはり体格と力は劣る。努力で埋めるにも、限界がある。
それを補うには、俊敏な動きしかない。
息つく暇も与えず、ヒルダはどんどん技を繰り出した。
右脇腹、左脛、鳩尾、右脛、喉元と、確実にダメージを与える部分に打ち込んでいく。
初めこそ直に喰らわされたものの、カイルは以後はヒルダの動きを目で追い、寸でのところで攻撃を受け止めている。
刀と刀がぶつかり合う、激しい音。
しかし、カイルは前進出来ず、後ずさってばかり。ぐっしょりと汗まみれだ。
「す、凄い」
隊員他、アルフレッド、騒ぎを聞きつけ見学に来た侍従やら、その場にいる全員が息を呑んだ。
一見すると幼さの残る少女だが、その形相は戦うことに飢えた鬼。目を剥き、牙のように犬歯を覗かせ、ひたすら敵を追い詰めていく。
彼女の背後で、一匹の大きな虎の幻が吼えた。
決着は、あっという間だった。
カイルの模造刀が上空を舞い、真っ逆さまに落下した。
そばかすだらけの鼻先に突きつけた剣先を、ヒルダはすっと戻す。そのまま優雅な仕草で鞘に収めた。
誰もが陶然とその姿から目が離れない。
ルパートのみ、腕を組んで満足そうに頷いた。
静寂が漂う。
その空気感を破ったのは、アルフレッドだ。
「お見事」
敬意の拍手。
つられるように、その場にいた全員が惜しみない拍手を送り、それは中庭を揺るがすほどの大きさで広がっていった。
「さすが、虎の娘だな」
ガーデンチェアに腰掛けたところで、ルパートに感心された。
メイドが運んできた葡萄ジュースを一気に飲み干したヒルダは、唇を尖らせる。
「その言い方は、好きではありません」
「さすが、俺の妻だ」
言い直したルパートに、たちまちヒルダは顔から湯気を吹いた。
ルパート本人の口から、まさか妻と呼ばれるなんて。
「ああ。確かに。ルパートが惚れた女性だけあるよ」
アルフレッドが追随し、ついにヒルダの顔から火が轟轟と燃え、耳まで真っ赤になり、テーブルに突っ伏して悶える羽目となった。
ルパートは、部下らを一斉に見やる。
全員、背筋を正した。
「お前らは、まだ休憩はなしだ!」
ルパートの目つきが鋭い。
「素振り二百回!今すぐ始めろ!」
虎の娘が相手だとしても、全く歯が立たないとは。
王家直属の名が廃るというものだ。
妻を誇らしく思う反面、騎士団の不甲斐なさに、ルパートの怒りは沸点に達した。
「王太子様」
アルフレッドに気づくと、皆一様に動きを止めて、礼儀正しくお辞儀する。
「続けて構わないよ」
にこやかなアルフレッドに、剣を握り直した彼らは、またもやピタリと動きを止めた。
「た、隊長!」
たちまち、その場だけ気温が摂氏三度ほど低くなる。
「俺は今日は休日だ」
ぶっきらぼうにルパートが一言。
今日の彼は騎士服ではなく、黒のジャケットに、リネンのシャツ、スラックスといった、砕けた服装だ。
あからさまに、部下全員が安堵の息をつく。
王立騎士団陸戦隊隊長は、やはり鬼か、悪魔か。
思わずくすくすと、笑い声を漏らしてしまうヒルダ。
「隊長、もしやそちらは、奥方ですか?」
茶髪にそばかすの、まだ十代らしき若い騎士が、目元をほんのり赤らめながら尋ねてきた。
「ああ」
またもや、ぶっきらぼうな一言。
たちまち、騎士団の中がわあっと色めきたつ。つい今しがたまで張っていた緊張が、どこかに吹き飛んでしまった。
「お綺麗な方だなあ」
「随分、お若いし」
「まるで女神様だあ」
年頃から中年に差し掛かるまでの隊員全員、顔を赤らめ惚けたようにヒルダを直視する。
清く正しく美しくを地でいく彼らは、どうやら女性に対する免疫がないらしい。
男性から賞賛など浴びたことが一度もないヒルダは、困惑しつつ、自身を納得させた。
「お前達。俺が休みだからと、腑抜けているようだな」
額に青筋を立て、憮然とするルパートに、再び気温が下降する。
「ヒルダ」
真後ろに控える妻を、抑揚のない声で呼んだ。
「カイルと一戦交えてみろ」
一番若そうな、先程の茶髪にそばかすの青年が、おろおろと両手を広げて、眉を八の字に下げる。
「た、隊長。しかし」
「何だ」
「この方は女性で」
「だから何だ」
「女性相手に剣を振るうのは、幾ら何でも」
ルパートは反論を無視する。
「ヒルダ。その格好では動きにくいだろうから、着替えて来い」
有無を言わせぬ物言いに、ヒルダは渋々と頷く。
ルパートの無茶振りは、今に始まったことではない。
今日はエラに会いに来たのであって、騎士団の稽古に付き合いに来たのではないのに。
「へえ、面白い余興が始まるね」
ヒルダの剣さばきを見たことのないアルフレッドは、碧の瞳をいつもの倍以上、きらきらさせた。
「デラクール公爵がお見えよ」
「まあ、今日は休みじゃなかったの?」
「ふふ。あなたも早くお姿を拝見してきなさいよ」
年頃のメイドらが、きゃいきゃいとはしゃいでいる。
隣室でアルフレッドが用意したシャツの袖を捲りながら、ヒルダはふうっと溜め息を吐いた。
ルパートが熱い視線を受けるのは、貴族からだけではない。
彼女らに対する苛立ち。そして、それを上回る優越感。
ヒルダは今まで持ち合わせていなかった感情に心地よさを抱き、うっとりと薬指の指輪を撫でた。
「手加減するな、ヒルダ」
言って、渡された剣は模造刀だった。
相手のカイルも同様だ。
万が一を考慮のこと。
だが、技をまともに体に受ければ、打撲は免れない。
頭を切り替える。
ルパートの妻は、一旦、頭の隅に押しやった。
一人の戦士。戦場の虎、最期の弟子としての立場。
ギラリ、と切れ長の瞳に不穏な色が混ざる。
たちまち目つきの変わったヒルダに、剣を構えたカイルは怯んだ。
ルパートの背後で守られるようにかしずく可憐さは、すっかり消失してしまっている。
じりり、と無意識下で後ずさるカイル。
隙が生まれたのを、ヒルダは見逃さなかった。
防御態勢が崩れている。
ヒルダは容赦なく、がら空きの左脇腹に打ち込む。
「うわっ」
小気味良い音が響き、手応えはあった。
だが、さすがは国王直属の騎士、倒れるのを堪えて構えの姿勢に入る。
男と比べて、やはり体格と力は劣る。努力で埋めるにも、限界がある。
それを補うには、俊敏な動きしかない。
息つく暇も与えず、ヒルダはどんどん技を繰り出した。
右脇腹、左脛、鳩尾、右脛、喉元と、確実にダメージを与える部分に打ち込んでいく。
初めこそ直に喰らわされたものの、カイルは以後はヒルダの動きを目で追い、寸でのところで攻撃を受け止めている。
刀と刀がぶつかり合う、激しい音。
しかし、カイルは前進出来ず、後ずさってばかり。ぐっしょりと汗まみれだ。
「す、凄い」
隊員他、アルフレッド、騒ぎを聞きつけ見学に来た侍従やら、その場にいる全員が息を呑んだ。
一見すると幼さの残る少女だが、その形相は戦うことに飢えた鬼。目を剥き、牙のように犬歯を覗かせ、ひたすら敵を追い詰めていく。
彼女の背後で、一匹の大きな虎の幻が吼えた。
決着は、あっという間だった。
カイルの模造刀が上空を舞い、真っ逆さまに落下した。
そばかすだらけの鼻先に突きつけた剣先を、ヒルダはすっと戻す。そのまま優雅な仕草で鞘に収めた。
誰もが陶然とその姿から目が離れない。
ルパートのみ、腕を組んで満足そうに頷いた。
静寂が漂う。
その空気感を破ったのは、アルフレッドだ。
「お見事」
敬意の拍手。
つられるように、その場にいた全員が惜しみない拍手を送り、それは中庭を揺るがすほどの大きさで広がっていった。
「さすが、虎の娘だな」
ガーデンチェアに腰掛けたところで、ルパートに感心された。
メイドが運んできた葡萄ジュースを一気に飲み干したヒルダは、唇を尖らせる。
「その言い方は、好きではありません」
「さすが、俺の妻だ」
言い直したルパートに、たちまちヒルダは顔から湯気を吹いた。
ルパート本人の口から、まさか妻と呼ばれるなんて。
「ああ。確かに。ルパートが惚れた女性だけあるよ」
アルフレッドが追随し、ついにヒルダの顔から火が轟轟と燃え、耳まで真っ赤になり、テーブルに突っ伏して悶える羽目となった。
ルパートは、部下らを一斉に見やる。
全員、背筋を正した。
「お前らは、まだ休憩はなしだ!」
ルパートの目つきが鋭い。
「素振り二百回!今すぐ始めろ!」
虎の娘が相手だとしても、全く歯が立たないとは。
王家直属の名が廃るというものだ。
妻を誇らしく思う反面、騎士団の不甲斐なさに、ルパートの怒りは沸点に達した。
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