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危険なお茶会

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 シュプール伯爵邸は、別名を薔薇の城と呼ばれている。
 家紋にもなっている色とりどりの薔薇の花は、大振りのものから、可愛らしい小さな花弁まで、種々様々な品種を、庭師が丹精込めて開かせている。
 門から連なる淡いピンク色が、春も半ばの穏やかな風に乗り、ふわりと鼻腔をくすぐる。
 案内された中庭には、薔薇がデザインされたマホガニーのテーブルと椅子が整然と並べられていた。
 すでに何人かの招待客が席につき、にこやかな談笑を装いながら、腹の探り合いをしている。
 その令嬢や貴婦人の中でも、甲高い声を上げている、四十代に差し掛かった夫人が一際目を引いた。
 柿渋色の髪を後ろで一つに纏めて、最新のデザインである赤と黒のバイカラーのドレスを身につけている。王都でもいち早くそのデザインを取り入れている、小洒落た夫人。
「まあ!まあ!ようこそおいで下さいました、デラクール夫人!」
「このたびは、お招きいただきまして」
 この夫人こそが、シュプール伯爵夫人だ。

「シュプールには気をつけろ」

 ルパートの声が脳内で反芻する。
 ヒルダは引き攣りそうになる口元を、何とか笑顔にこしらえた。
「皆さん、今日の主役がいらっしゃいましたわ!」
 シュプール夫人の甲高い声に、わっと歓声が上がる。
「まあ。お会いしたかったわ」
「お話、お聞きかせくださいな」
「どうやってあの堅物公爵を骨抜きにしたのか」
 その場に招待されたのは、いづれも子爵夫人、男爵夫人、家庭教師、商家の娘、そして何故かカーソン公爵の愛人と、一風変わった顔ぶれだった。
 もしや、ヒルダの実家の身分を慮ったのだろうか。
 流行の服や菓子、音楽、観劇や、王都にある老舗のことなど、通り一遍の会話をすっ飛ばし、内容はいきなり社交界での猥談に入る。
 没落貴族は、茶会の招待など勿論受けたことはないが、母カサンドラは嗜みとして教えてくれたことがあった。
 だが、その嗜みも、今回の場には不用らしい。
「ご存じ?フレデリック子爵ったら、また隠し子がいらっしゃったそうよ。これで何人目かしら?」
「アスコット伯爵、娼館に通い詰めですって」
「コットン男爵、人には公に言えない病気をうつされたそうよ。ほら、あの方、愛人をたくさんお持ちで」
 耳に入るだけでムカムカするが、これらはまだ良い方で、猥談となると、聞くに堪えない。
「そういえば、シュプール伯爵夫人と公爵のロマンスも、何年か前にございましたわね」
「ええ。そんな噂、ありましたわ」
 仮にも新婚の妻がいる前で、あまりにも不躾な。
 噂は、ルパートの性癖にまで及び、ヒルダは奥歯を噛み締める。
 彼が情熱的なキス魔なんて、聞きたくない。
 そんなこと、知ってるし。
 主催のシュプール夫人といえば、せっかくの流行ドレスに誰も触れず、すっかり機嫌を損ねたようで、濃い化粧にひびを入れてばかり。
 ヒルダの左隣のカーソン公爵の愛人ときたら、相槌すら打たず、素知らぬ顔で紅茶に口をつけている。
 ぞくりと背筋に震えが走るほどの美人は、どのような仕草でも絵になる。

 永久に続くかと思われた猥談が、唐突に中断した。
「おい、随分楽しそうじゃねえか」
 一体、どこから入り込んだのか。
 山賊風の図体の大きな男が、同じような体格の屈強な男二人を従え、芝生をわざと荒らしながら、すでにテーブルの縁まで近寄ってきていた。
「きゃあああああ!」
 たちまち、阿鼻叫喚。
 金切り声を上げ、身を震わせ、ある者は椅子をひっくり返して、またある物はティーカップを割り、逃げ惑う。
 山賊はそんなむやみやたらと歳の重ねた夫人らには目も呉れず、ニタニタと笑いながら辺りを見渡す。
「ああ、いたいた。若い女。お前か」
 ヒルダのいる位置で視線を止めると、さらに下品な笑いを浮かべた。
「来い」
 ヒルダの細腕を掴もうと、丸太のような腕を伸ばす。
 三倍近くある腕の太さ。
 まともに向き合っても、勝ち目はない。
 ヒルダは動かず、正確に距離を測る。
 ジリジリと迫る巨体。
「おいおい、怖くて動けないのか?」
 まだだ。
「逃げなければ、この場で犯してやるぞ」
 あと少し。
「声もきけないってか?」
 今だ!
 ヒルダは父親仕込みの得意の回し蹴りを、股間に思い切り見舞ってやった。
 巨体は真後ろに吹っ飛び、椅子をバタバタと薙ぎ倒し、あっという間にその場に崩れ落ちた。
 白目を剥き、口から泡を吹いている。
 戦場では生きるか、死ぬか。
 騎士道精神なんて通じない。
 確実に仕留める方法を、即座に判断する。
 戦場の虎の教えだ。
「貴様あああああ!」
 残りの男二人が、驚愕の声を張り上げる。
「女!」
 憤怒の表情で、二人いっぺんに両脇から襲いかかってきた。
「よくも!」
 まずは右側。足をくの字に曲げ、鳩尾に入ったところで思い切り伸ばす。たちまち男の体は捻じ曲がり、倒れ伏した。
 次は左。延髄に手刀を入れる。前のめりになり、苦悶の表示で倒れ込み、土埃を巻き上げた。
 あっという間の出来事だ。
 額から垂れ落ちる汗を手の甲で拭い、招待客らは大丈夫かと振り返ったのに、シュプール夫人は別の意味に捉えたらしい。
「わ、私は、私は何も悪くないのよ!」
 青ざめ、腰が抜けてべたりとその場に座り込んだ夫人は、キンキンと声を張り上げた。
「仕方なかったのよ!お金がどうしてもいったの!」
 夫人は顔を両方の手で覆い、金切り声を繰り返す。
「言われるがままだったのよ!」
 とうとう、わっと外聞もなく泣き出す始末。
「私のせいじゃないわ!」
 涙でぐしゃぐしゃになり、化粧の剥がれてしまった顔を上げた、そのときだった。
「ぐわっ……!」
 潰れた悲鳴を上げ、夫人が瞠目した。
 そのまま、もんどりを打つ。
「シュプール夫人!」
 慌てて駆け寄り抱き起こせば、夫人は白目を剥いて、だらんと上半身が海老反りとなり、芝生に垂れた。
 喉仏が、矢で射抜かれている。
「ひいっ!」
 驚きと恐怖がない混ぜになり、悲鳴すら出てこない。喉奥が引き攣れる。
 咄嗟に手を離してしまった。
 夫人の肢体はぐにゃりと曲がって、芝生に仰向けになる。
 最早、息をしていないのは明らかだ。
 残りの招待客はと、ぐるりと首を回す。何とか命は無事だ。四つ這いになり、ヒイヒイとこの場から遠くを目指して逃げ惑っている。生まれたての子牛のごとく、地面についた両手両足が、大袈裟なくらい左右に揺れた。
 その姿があまりにも滑稽で、己の状態を客観視出来、ヒルダは何とか冷静さを取り戻せた。
「男たちは」
 巨漢らは、どうなったのか。
 ヒルダが股間を蹴り上げた男は、白目を剥いて悶絶していた。
 他の輩は、と辺りを見渡す。
「なっ!」
 またもや、言葉が喉で詰まる。
 シュプール夫人と同じように、残りの二人が喉仏を矢で正確に射抜かれ、息絶えていたのだ。
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