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公爵の噂

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「デラクール公爵様、公爵夫人様」
 到着するなり、一斉に視線を浴びる。
 決して気持ちの良い視線ではない。
 長らく独身を貫いていた公爵が見初めた女は一体何者か……爵位は、容姿は、年齢は……皆一様に、不躾な値踏みだった。
「あの方がデラクール公爵の奥方?」
「随分、お若いのね」
「どちらのご出身?」
「初めて見るお顔だけど」
 ひそひそする声は全て女のものだ。
 ルパートを射止め損ねた嫉妬からか、どこかしら刺々しい。
 あのような荒んだ空気の中に入り込んで、情報を引き出せと?無理だ。
 自信のなさが、ヒルダを俯かせる。
「前を向け、ヒルダ」
 再びルパートはヒルダを愛称で呼んだ。
「俺の妻として、皆に顔を覚えてもらえ」
 それが、与えられた任務。
 これから能力を発揮しなければならない。
 少しでもルパートに認めてもらえるように。
 怖がっている場合ではない。
 ヒルダは真っ直ぐ背筋を伸ばした。
「おお、何て美しい」
「豪奢なドレスに負けない立ち居振る舞い」
「意志の強そうな眼差し」
「胸も随分育っているな」
「尻もなかなか色気がある」
「私はあの細い腰が」
 どよっと男達の空気が揺れ動く。
 しかしヒルダは、任務遂行にばかり気を取られて、それらは耳に入ってこない。
 賞賛から、だんだんいやらしい会話へと展開していくことには気づいていない。
「厄介な」
 頭一つ分上では、ルパートが小さく舌打ちする。
 ヒルダがここまで注目されるのは、想定外だったと言わんばかりに。
 下心満載の視線を、特有のひと睨みで蹴散らしていることをヒルダは知らない。

 国王メイソン三世は、金髪のややカールした髪と、同じ色の髭を鼻の下から顎にかけてたっぷりと蓄えた、間もなく初老に差し掛かる人物だ。
 長年の重責から眼差しは獰猛に光り、己の張った結界への侵入を何者であろうと拒む。孤独を携えた威厳、それらに満ち溢れていた。
 国王への結婚報告を兼ねた挨拶を済ませると、辛抱が事切れたかのごとく、緊張の汗が一斉に毛穴から吹き出した。
「飲み物をもらって来よう」
 見兼ねたルパートが給仕の元へ。
「デラクール夫人」
 一人になるや否や、待ち構えたかのように呼び止められる。
 手入れの行き届いた髪を丁寧に巻き上げ、レースやリボンをふんだんに使ったドレスを身につけた年頃の令嬢が数人、躾けられた所作で近寄ってきた。
 来た!
 一度解いた緊張が、再び張る。
 ルパートに命じられた任務遂行のときが、今だ。
「少しよろしいかしら?」
 中でも一際髪を重厚に縦に巻いた令嬢が、扇で目元まで隠しながら近寄ってくる。
「あの公爵様を射止めた方とお話したくて」
 顔半分以上を扇で隠してはいるものの、覗いた目元はぎらぎらと敵意剥き出しだ。
「あのような素晴らしい方を独占されて、羨ましい限りですわ」
 ねえ、と周囲の取り巻きに同意を求める。
「公爵様、いつも鷹揚自若となさっていて」
「え、ええ」
「それが、なかなかあちらは激しいでしょう?」
 ふふふ、と令嬢は意味を含んで流し目を呉れる。
「……それが何か」
 ヒルダの血がたちまち凍る。
 令嬢に喧嘩を売られた。
 剣術や武術では負けないが、腹の探り合いは戦力外だ。
「見初めたられたということは、余程、床上手ということでしょう?」
「ご教示いただきたいわ」
「羨ましい」
 ニタニタとらいやらしく目元に皺を寄せ、しかし眼差しはあくまで険しい。この女達はルパートと以前、関係があったのだ。確信する。
「あの方、噂以上の素晴らしさですもの」
「本当に、男神の彫像のよう」
「まあ、あなた。いやらしい」
 腹の探り合いではない。関係があったことを、ヒルダに露骨に知らしめている。
「あら、奥方様に睨まれてしまったわ」
 くすくすと勝ち誇った笑いを残し、令嬢らは去って行った。
 とてもじゃないが、任務遂行の余裕はない。
 ヒルダはぎりぎりと奥歯を噛んだ。
「あの、むっつり男め」
 冷静沈着を保っていると見せかけて、下半身は奔放だなんて。最低!性質たちが悪い!軟派してきた若い騎士の方がまだマシだ!
 ヒルダに対して、はっきり興味がないと言い切ったくせに。
「さっきの人と私と、どこが違うのよ」
 年齢は相手の方が少しばかり上のようだが、大差ない。
 もしやルパートは、むっちりした体型に色気を感じるのか。それとも、いかにも貴族らしい、回りくどい言い方が好みか。
 いづれにせよ、ヒルダとは正反対のタイプだ。
 どちらかといえば、エラに近い。
 妹の、無邪気な顔が蘇る。
 予想はしていたが、やはり夜会にエラの姿はなかった。
 あの天真爛漫を変えるなんて。
 魔物は森ではなく、城の中に巣食っている。

「収穫はあったか?」
 飲み物を携え、戻るなりルパートは尋ねた。 
「いいえ」
 ふんと鼻を鳴らし、そっぽ向いてやる。
「どうした?」
「遅かったですね」
「知り合いと話していてな。やはり、何も情報は出てこない。余程、大きな組織が動いているのか。それとも、警戒心の強い単独犯か」
 ふむ、と考え込む。
 遠くから視線を感じ見やると、先程の令嬢がニタニタ目元を歪ませていた。
 カッとヒルダの頭に血が昇る。
「どうした?険しい顔をして」
「私はてっきり、どこかのご令嬢を口説いているのかと」
「何のことだ?」
「あなたがいない間に、挨拶に来られた方がいらっしゃいました。数人」
 たちまちルパートの顔色が変わる。
「昔の話だ」
「あの方々は、そうは思っていませんよ」
「俺は結婚している」
「偽りのね」
 ルパートは、仕方なさそうに肩を竦めてみせた。それ以上の言い訳をせず、ヒルダの思うまま喋らせて、気が晴れるまで待つつもりだ。あくまで子供扱い。
 ますますヒルダは頭を沸騰させ、喉がらからからになり、ルパートの両手にあるグラスを引ったくった。
「お、おい」
 さすがに焦るルパートの前で、一気に飲み干す。喉奥が熱い。
 空きっ腹に度数の高いカクテルを矢継ぎ早に入れたため、酔いの回りが早い。
 いつしかホールには、管弦の音色が流れていた。
「ヒルダ、ダンスを」
 ルパートが手を差し出す。
 が、すぐに降ろした。
「無理そうだな」
 視界がふわりと揺らぐ。
「少し風にあたります」
 喉奥が焼けるくらいに熱く、足元も覚束ない。
「連れて行こう」
「結構です」
 ヒルダはふらふらになりながら、ベランダへの扉を目指す。
 ホールではダンスが始まっていた。優雅なステップの人々の隙間をふらふら危なっかしく抜きながら、窓辺へと距離を詰めていくヒルダ。

 ドン、と誰かの肩がぶつかり、あやうく弾け飛び、尻餅をつきかけた。
「きゃっ」
「おっと、失礼。お嬢さん」
 腕を引かれ、尻餅をつく寸前で引き戻される。
 国王を若返らせたような男性が、心配そうに顔を覗き込んでいた。
 国王よりも髪は短いものの、金髪はカールし、髭は鼻の下に八の字に蓄えている。国王は貫禄があるが、目の前の男性はすっきりとした細身で、紳士然としていた。
「叔父上」
「ああ、ルパートか」
 慌てて近寄ってきたルパートと、目の前のヒルダを、男性は交互に見比べる。
「そうか、あなたがルパートの奥方だね」
 言いながら目を細める。国王とは真逆の穏やかさ。
「ヒルダ、この方は俺の母の兄、カーソン公爵だ」
「よろしく。美しい奥方」
 ごく自然に、カーソン公爵はヒルダの片方の手の甲に軽くキスを落とす。
 心なしか、ルパートの片眉が吊る。
 酔いの回りきったヒルダの頭は、羞恥など皆無で、何事もなくその行為を流した。
「六つある王族公爵の筆頭だ」
 つまり、ルパートより階位は上。
 余裕のある雰囲気は、何もかも得た者特有のもの。
「筆頭といっても、王位継承権は九番目だがね」
 自虐的にカーソンは笑う。
「長兄のアルフレッドの下に、七人の王子がいるからな」
 ルパートが同意する。
「さあ、そろそろ私の愛人が嫉妬の炎を燃やす頃だ」
 カーソンは遠くに視線をずらす。
 そこには、艶めかしい美人が無表情で腕を組んでいた。ヒルダに負けず劣らず豊満な胸元に、しなやかな腰つき。燃えるような真っ赤な髪を掻き上げる姿は、媚びを売らずとも男の目を釘付けにする。
「失礼」
 いそいそと、カーソンが立ち去る。
「あのような紳士でも、愛人を持つんですね」
 カーソンの腕にしなだれかかる美人を横目に、ヒルダは鼻に皺を入れた。
「酔い過ぎだ」
「そうかも知れません」
 ヒルダの心臓をちくちくと刺す、先程の令嬢の誇った目つき。
 生まれて初めて、ヒルダは男女間に関する嫉妬の感情を持った。
 ルパートを真正面から見ると、昂る感情の赴くまま、呪いの言葉を吐いてしまいかねない。
「一人で夜風にあたります」
 言い残し、ベランダへと続く框扉を開いた。
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