上 下
13 / 42

そして、夜会へ

しおりを挟む
 ついに、夜会当日となった。
「まあまあ、奥様!」
 エレナが歓喜する。
「なんて、お綺麗な!」
 率直な感想に恥ずかしくなり、ヒルダは頬を染めて俯く。
 エレナの隣では、最終確認と称して駆けつけてくれたマダムと、彼女自ら指名の化粧係が満足そうに目配せしている。
 マダムがデザインしてくれたドレスは、淡い水色で、大胆に胸元が開いていた。豊満な胸やヒルダの腰の細さや尻の形を品よく見せる細身のデザイン。極上の絹生地には、ふんだんにダイヤモンドが散りばめられている。
 マダム指名の化粧係の腕前は確かで、ヒルダの切れ長の瞳の琥珀色を生かしきったアイシャドウは、元来の睫毛の長さが際立つ。濃いめの唇は艶かしく、漆黒の髪は高い位置で結われ、首筋の色っぽさをやけに強調していた。
 首元を彩るサファイアのネックレスや、同じデザインのイヤリングが、さらにヒルダを蠱惑的にさせる。
 山猿などと悪様に例えられた姿は、最早どこにもない。
「素材がよろしいから、磨きがいがありましたわ」
 マダムはエレナの反応に満足そうに微笑む。
 そんなヒルダを前にしたルパートの感情は、一切読めない。相変わらずの怜悧さを保っている。
「あ、あの」
 綺麗ですか?
 ルパート様の伴侶として、恥ずかしくないですか?
 ヒルダはルパートの無反応さに心配になる。だが、上目遣いの問いかけは、ルパートには届いていないようだ。
「旦那様、奥様に何か言って差し上げて」
 エレナが助け船を出してくれた。
 さすがにマダムらの手前、坊ちゃまと呼ぶのは憚る。
「何を」
 ルパートの声は心なしか掠れていた。
「旦那様」
 ルパートは咳払いを一つし、何やら逡巡しているようだ。
「マダムの腕前は、なかなかなのものだな」
 エレナと、マダムら二人、そしてロバート、さらに御者までもが、やれやれと仕方なさそうに小さく首を横に振った。
「まったく、素直じゃないんだから」
 エレナの呟きに、皆、一様に頷いたのだった。

 春先の天候は移ろいやすいといわれているものの、今夜は穏やかな夜だった。
 空には燦然と星が瞬き、神々を形成している。澄み切った群青色の下、馬車はひたすら王宮を目指す。
 気持ちの良い外の空気に反して、客車キャビンに流れているのはそれらを帳消しにするものだった。
 真向かいに座るルパートは、先程から窓に凭れて目線を合わせようともしない。
 いつになく不機嫌そうではあるが、ヒルダと揃いの生地のスーツに身を包んだ姿は、きっちりと髪を整えている分、美丈夫さが倍以上だ。
「どうした?」
 窓の外を向いたまま、ルパートは気怠そうに問いかけてきた。
 見惚れていたことを見抜かれたかと、ぎくりとする。
「今から緊張してどうする」
 手厳しい。
 が、ルパートの容姿に我を忘れてしまったことが露呈しなかったため、よしとする。
「今夜は各地の貴族が一斉に集まる上、各国からの招待客も多い」
 独白のように淡々と続ける。
「俺は男らから情報を引き出す。お前は女達の懐に入り込んで、何か探れ」
 ヒルダの唇が戦慄く。
 薬指をぎゅっともう片方の手で握り込む。
 簡単なことではない。
 たった一度の夜会は、終日、壁の花として過ごした。
 貴族や各国要人の奥方との会話なんて、難易度が高い。
 エラなら、誰彼構わずにこやかに会話を楽しんだだろうが。
「いつもの威勢はどうした」
 小刻みな震えが、ルパートに伝わったらしい。
 ようやくこちらに向いた表情は、片眉を上げ、呆れていることが顕著だ。
「風呂場で、俺に技を仕掛けてきた元気はどうした」
 いきなり蒸し返された。
「あ、あれは!強盗かと思って!」
「蹴りはなかなか痛かったぞ」
「や、やだ!も、申し訳ありません!」
 何も言わないものだから、ちっともダメージを受けていないものだとばかり。
「腹に喰らいそうになった蹴りも、危なかったな」
「もう!あのときのことは、忘れてください!」
 素っ裸で強盗退治、しかも、相手がルパートであるとは、考えにも及ばなかった。
 ヒルダ最大の忘れたい過去だ。
 顔面が火を吹く。ファンデーションでは隠し切れない。両手で顔を隠し、いやいやと首を横に振った。
 あははははは、と楽しそうにルパートが笑う。
 今夜、初めて見せた笑顔は、一段と男前に拍車をかける。
「もう。笑い過ぎですよ」
 咎めつつ、もう少しこの笑顔を堪能したいと思う。
 が、ルパートはすぐさま真顔に戻った。
「ヒルダ」
「!」
 はっと、ヒルダが顔を上げる。
 ヒルデカルドではなく、ルパートから確かに、愛称で名を呼ばれた。
 そこには、一定の距離を保つよそよそしさが皆無だ。
「お前は俺の妻だ。堂々としていろ」
 言いながら、節のある大きな手のひらが、ヒルダの青ざめたり赤らんだりと忙しい片頬をすっぽりと包み込む。長い指先が目頭や瞼を弄び、やがて目の端を定位置に落ち着く。
 あたたかな指先の、薬指に光る証。
 もう彼は、夫婦を演じにかかっている。
 罪作りな男。
 目の前に座る女の本心なんて、ちっとも気づかない。
 片頬だけ体温が重なり異常な熱を発する。ヒルダは恨みがましく思いつつ、瞼を閉じ、相手から伝わる熱にしばし浸った。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

来世はあなたと結ばれませんように【再掲載】

倉世モナカ
恋愛
病弱だった私のために毎日昼夜問わず看病してくれた夫が過労により先に他界。私のせいで死んでしまった夫。来世は私なんかよりもっと素敵な女性と結ばれてほしい。それから私も後を追うようにこの世を去った。  時は来世に代わり、私は城に仕えるメイド、夫はそこに住んでいる王子へと転生していた。前世の記憶を持っている私は、夫だった王子と距離をとっていたが、あれよあれという間に彼が私に近づいてくる。それでも私はあなたとは結ばれませんから! 再投稿です。ご迷惑おかけします。 この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。

公爵夫人は国王陛下の愛妾を目指す

友鳥ことり
恋愛
カルサティ侯爵令嬢ベルティーユ・ガスタルディは、ラルジュ王国の若き国王アントワーヌ五世の王妃候補として有力視されていた。 ところが、アントワーヌ五世はロザージュ王国の王女と政略結婚することになる。 王妃になる道を閉ざされたベルは、王の愛妾を目指すことを決意を固めた。 ラルジュ王国では王の愛妾は既婚者であることが暗黙の了解となっているため、兄の親友であるダンビエール公爵オリヴィエール・デュフィの求婚に応え、公爵夫人になって王宮に上がる計画を立てる。 一方、以前からベルに執心していたオリヴィエールは半年の婚約期間を経て無事結婚すると、将来愛妾になるための稽古だと言いくるめて夫婦の親密さを深めようとして――。 国王の愛妾を目指すために公爵と結婚した令嬢と、彼女を溺愛する公爵の微妙にちぐはぐな新婚生活の物語。

【完結】あなたの色に染める〜無色の私が聖女になるまで〜

白崎りか
恋愛
色なしのアリアには、従兄のギルベルトが全てだった。 「ギルベルト様は私の婚約者よ! 近づかないで。色なしのくせに!」 (お兄様の婚約者に嫌われてしまった。もう、お兄様には会えないの? 私はかわいそうな「妹」でしかないから) ギルベルトと距離を置こうとすると、彼は「一緒に暮らそう」と言いだした。 「婚約者に愛情などない。大切なのは、アリアだけだ」  色なしは魔力がないはずなのに、アリアは魔法が使えることが分かった。 糸を染める魔法だ。染めた糸で刺繍したハンカチは、不思議な力を持っていた。 「こんな魔法は初めてだ」 薔薇の迷路で出会った王子は、アリアに手を差し伸べる。 「今のままでいいの? これは君にとって良い機会だよ」 アリアは魔法の力で聖女になる。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

処理中です...