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シンデレラの継母、密会する
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国王主催の夜会を翌日に控えたその日、デラクール邸に客人があった。
本邸ならともかく、わざわざ別荘を訪ねる者は珍しい。
一頭立ての見るからにあまり高価ではない貸馬車で、公爵の客人としては何故だか違和感がある。
ルパートが城に出向かず、朝からゆったりと部屋で寛いでいたのは、客人を迎えるためだった。
ドレスの最終確認のために、間もなくマダム・ジュリアスが来る。
それまでに一杯、水をもらおうと、ヒルダはエレナのいる台所に向かおうとしたときだった。
「あなた、どういうつもり?」
応接室からの聞き覚えのある声に、ヒルダはぎくりと歩みを止める。
まさか、この声は。
「そう、口うるさくするな。カサンドラ」
続いたルパートが、はっきりと相手の名前を口にした。
何故、母がここへ?
嫁いだ娘の近況を知りに訪ねた、と言われれば、何ら不思議ではない。
しかし、扉一枚隔てた二人の間には、どことなく親密な雰囲気がある。
「もう。いつも、そうやって誤魔化すんだから」
礼節を重んじる母らしからぬ、馴れ馴れしさ。
どくん、とヒルダの胸が大きく鳴る。
いけないことだと理解はしているが、息を殺して話の展開を追ってしまう。
「ヒルデカルドなら、明日から任務に入ってもらう」
淡々とルパート。
「そうではなくて」
いらいらと、カサンドラが遮る。
「十六も年の離れた娘を伴侶にだなんて」
「君も人のこと言えないだろう。亡くなった夫君は、いづれもかなり上だったはずだ」
「わざわざ私の娘を」
「関係ない。たまたま、君の娘だっただけだ」
二人は、元から知り合いだった?
そうであれば、何故、知らない体で接していたのか?
嫌な予感が、ヒルダの喉奥でつっかえる。
「ちゃんと、妻として接してくれているの?」
「不便のないように図っているつもりだ」
「私は、仮にもヒルダを妻として扱ってくれているか、聞いているのよ」
いつになく強い語気の母。
「あの子は強く装っているだけで、とても繊細な子です。傷つけるような真似はやめて」
「善処しよう」
カサンドラの、いつになくきつい物言いは、ただの知り合いではない間柄であると明白だ。
ヒルダは、ぎゅっと己の腕をかき抱く。膝が戦慄いていた。
「あなたの社交での噂は聞き及んでいます」
「何のことだ?」
「とぼけないで」
「別に珍しいことではない。健全な独身男性なら、茶飯事だろう」
「仮にもあなたは、既婚者よ。まさか、結婚後も繰り返すつもり?」
「随分、疑われたものだな」
やれやれ、とルパートの溜め息。
「さすがに、人の目があるからな」
ふと、立ち上がったかのような衣擦れの音。コツコツと鳴る男性の靴音。
「それとも、君が俺の相手をしてくれるのか?」
間髪を置かず、頬を叩いたような乾いた音。
「冗談だ。本気にするな」
「冗談にも、ほどがあります」
「この年になっても、君に説教されるとはな」
再び靴音がして、どかっと椅子に腰掛けた、やや乱暴な響きが続く。
「紛れもなく、ヒルダはあなたの妻よ。正真正銘の」
「国王の結婚承諾書があるからな」
「だったら」
「君の娘に、本来の意味での妻の役目が果たせるとは思えない」
はっきりと、ルパートは言い切る。
いよいよ、ヒルダの戦慄きは、足先から頭の先までを支配した。
喉奥が熱い。鼻先がツンとして、視界がどんどん曇っていく。薬指の指輪は真新しく輝いているはずなのに、今は酷くくすんで見えた。
「あなたの思い込みよ」
「あの娘を襲えと?まさか、母親が娘を犯せと焚きつけてくるとはな」
「下品な言い方はやめて」
「俺は子供には興味がない」
「ヒルダはれっきとした大人です」
「精神論を語っているんだ」
次から次へと涙がヒルダの頬を伝い、床に幾つもの染みを作る。
ルパートへの恋心を知って間もないうちに、秘めた想いはこれでもかと打ちのめされた。
まるで紙切れを二つに裂くように。
ルパートにとって、ヒルダはあくまで任務遂行の駒でしかない。
どれほど、怜悧な下に隠された表情を知ろうと、それは一方通行に過ぎず。
ルパートがヒルダに視線を向けることはないのだ。
「大丈夫ですか?」
一体、いつから傍にいたのか。
よろめいた体を背後から支えてくれたのは、マダム・ジュリアスだった。
気の毒そうにヒルダの背を撫でる。
残酷な現実に対する衝撃と、それを他人に知られた恥ずかしさで、ヒルダの瞳から溢れる涙は止まらず、鼻水まで啜る始末で、もうぐちゃぐちゃだった。
「公爵は、大馬鹿者ですよ」
マダムは扉の向こう側に歯を剥いてみせる。
「こんな素晴らしい素材を食わず嫌いだなんて」
レースの高級なハンカチで、惜しみなくヒルダの涙と鼻水を拭ってくれる。
「でもね、原石も磨いてあげなければ、ただの石ころ」
「マダム」
「さあ、泣かないで。明日の夜会に響きますよ」
ぐすん、とヒルダが鼻を啜れば、ゴシゴシとやや乱暴な手つきで濡れた部分を拭き取ってくれる。
「こうなったら、うんとおキレイになって、公爵に一泡吹かせてやりましょう」
どことなく芝居がかったマダムの言い方がおかしくて、ヒルダは唇を弧の字に描き、泣き笑いで頷く。
「そうそう、その意気ですよ。公爵を骨抜きにしてやりましょう」
あくまで前向きなマダムの言葉に、ヒルダは救われ、今度は大きく首を縦に振った。
本邸ならともかく、わざわざ別荘を訪ねる者は珍しい。
一頭立ての見るからにあまり高価ではない貸馬車で、公爵の客人としては何故だか違和感がある。
ルパートが城に出向かず、朝からゆったりと部屋で寛いでいたのは、客人を迎えるためだった。
ドレスの最終確認のために、間もなくマダム・ジュリアスが来る。
それまでに一杯、水をもらおうと、ヒルダはエレナのいる台所に向かおうとしたときだった。
「あなた、どういうつもり?」
応接室からの聞き覚えのある声に、ヒルダはぎくりと歩みを止める。
まさか、この声は。
「そう、口うるさくするな。カサンドラ」
続いたルパートが、はっきりと相手の名前を口にした。
何故、母がここへ?
嫁いだ娘の近況を知りに訪ねた、と言われれば、何ら不思議ではない。
しかし、扉一枚隔てた二人の間には、どことなく親密な雰囲気がある。
「もう。いつも、そうやって誤魔化すんだから」
礼節を重んじる母らしからぬ、馴れ馴れしさ。
どくん、とヒルダの胸が大きく鳴る。
いけないことだと理解はしているが、息を殺して話の展開を追ってしまう。
「ヒルデカルドなら、明日から任務に入ってもらう」
淡々とルパート。
「そうではなくて」
いらいらと、カサンドラが遮る。
「十六も年の離れた娘を伴侶にだなんて」
「君も人のこと言えないだろう。亡くなった夫君は、いづれもかなり上だったはずだ」
「わざわざ私の娘を」
「関係ない。たまたま、君の娘だっただけだ」
二人は、元から知り合いだった?
そうであれば、何故、知らない体で接していたのか?
嫌な予感が、ヒルダの喉奥でつっかえる。
「ちゃんと、妻として接してくれているの?」
「不便のないように図っているつもりだ」
「私は、仮にもヒルダを妻として扱ってくれているか、聞いているのよ」
いつになく強い語気の母。
「あの子は強く装っているだけで、とても繊細な子です。傷つけるような真似はやめて」
「善処しよう」
カサンドラの、いつになくきつい物言いは、ただの知り合いではない間柄であると明白だ。
ヒルダは、ぎゅっと己の腕をかき抱く。膝が戦慄いていた。
「あなたの社交での噂は聞き及んでいます」
「何のことだ?」
「とぼけないで」
「別に珍しいことではない。健全な独身男性なら、茶飯事だろう」
「仮にもあなたは、既婚者よ。まさか、結婚後も繰り返すつもり?」
「随分、疑われたものだな」
やれやれ、とルパートの溜め息。
「さすがに、人の目があるからな」
ふと、立ち上がったかのような衣擦れの音。コツコツと鳴る男性の靴音。
「それとも、君が俺の相手をしてくれるのか?」
間髪を置かず、頬を叩いたような乾いた音。
「冗談だ。本気にするな」
「冗談にも、ほどがあります」
「この年になっても、君に説教されるとはな」
再び靴音がして、どかっと椅子に腰掛けた、やや乱暴な響きが続く。
「紛れもなく、ヒルダはあなたの妻よ。正真正銘の」
「国王の結婚承諾書があるからな」
「だったら」
「君の娘に、本来の意味での妻の役目が果たせるとは思えない」
はっきりと、ルパートは言い切る。
いよいよ、ヒルダの戦慄きは、足先から頭の先までを支配した。
喉奥が熱い。鼻先がツンとして、視界がどんどん曇っていく。薬指の指輪は真新しく輝いているはずなのに、今は酷くくすんで見えた。
「あなたの思い込みよ」
「あの娘を襲えと?まさか、母親が娘を犯せと焚きつけてくるとはな」
「下品な言い方はやめて」
「俺は子供には興味がない」
「ヒルダはれっきとした大人です」
「精神論を語っているんだ」
次から次へと涙がヒルダの頬を伝い、床に幾つもの染みを作る。
ルパートへの恋心を知って間もないうちに、秘めた想いはこれでもかと打ちのめされた。
まるで紙切れを二つに裂くように。
ルパートにとって、ヒルダはあくまで任務遂行の駒でしかない。
どれほど、怜悧な下に隠された表情を知ろうと、それは一方通行に過ぎず。
ルパートがヒルダに視線を向けることはないのだ。
「大丈夫ですか?」
一体、いつから傍にいたのか。
よろめいた体を背後から支えてくれたのは、マダム・ジュリアスだった。
気の毒そうにヒルダの背を撫でる。
残酷な現実に対する衝撃と、それを他人に知られた恥ずかしさで、ヒルダの瞳から溢れる涙は止まらず、鼻水まで啜る始末で、もうぐちゃぐちゃだった。
「公爵は、大馬鹿者ですよ」
マダムは扉の向こう側に歯を剥いてみせる。
「こんな素晴らしい素材を食わず嫌いだなんて」
レースの高級なハンカチで、惜しみなくヒルダの涙と鼻水を拭ってくれる。
「でもね、原石も磨いてあげなければ、ただの石ころ」
「マダム」
「さあ、泣かないで。明日の夜会に響きますよ」
ぐすん、とヒルダが鼻を啜れば、ゴシゴシとやや乱暴な手つきで濡れた部分を拭き取ってくれる。
「こうなったら、うんとおキレイになって、公爵に一泡吹かせてやりましょう」
どことなく芝居がかったマダムの言い方がおかしくて、ヒルダは唇を弧の字に描き、泣き笑いで頷く。
「そうそう、その意気ですよ。公爵を骨抜きにしてやりましょう」
あくまで前向きなマダムの言葉に、ヒルダは救われ、今度は大きく首を縦に振った。
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