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続・恋の自覚は速やかに

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「私の馬はないのですか?」
 ヒルダは訝しんだ。
「俺と二人乗りでは不服か?」
 ルパートが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「いえ、そういうわけでは」
 いよいよ貧しくなってから馬を売り払ってしまったが、マーヴル家でもかつては馬を所有していた。乗馬は嗜んでいる。馬の扱いが出来ないというわけではない。
「眠りの森は広大な敷地だ。国の五分の一ほどある。不慣れな者が迷えば、出て来れない」
 ルパートは、やや早口で説明する。
 ヒルダが渋ったのは、己の腕前を見下されたからだけではない。
 二人乗り、即ち、ルパートに密着するということだ。
 浴室で目にした、精悍な胸板が過る。
 触れれば、さぞかし硬いのだろう。
 ヒルダの体温が急激に上昇する。
「ん?どうした?顔が赤いぞ」
「は、春にしては今朝は暑いですね」
「ん?ああ、確かに」
 不思議そうに首を傾げつつ、ルパートが同意する。
 幸いなことに、彼はヒルダの内心を知る由もない。
 まだ出発前だというのに、すでにじっとりと首筋が汗ばんだ。

 鬱蒼とした森は、木々のわずかな隙間からしか日の光を届かせない。
 手入れをされているとはいえ、長い冬から解放された春先は、ぐんぐんと若芽を伸ばし、種の繁栄の凄まじさを人間に見せつける。
 落ち葉が積もりきったままの薄暗い獣道を、艶やかなたてがみの漆黒の馬は鞭も加えられず悠々と地面を駆る。
 主人あるじ以外の人間を乗せることを拒むかのような気性の荒い雄馬のように思えたが、意外にもヒルダは歓迎された。乱暴な動きなど微塵もなく、むしろ揺れて苦痛にならないよう気遣っているようだ。
「どうした、随分おとなしいじゃないか」
 出発してからというもの、一言も発声しないヒルダに、背後からルパートが尋ねてくる。
「いつもの暴れっぷりはどうした」
「人を暴れ馬のように言わないでください」
「馬ではなく、虎だろう」
「馬でも虎でもありません」
「確かに。さしずめ今は兎というところか」
「何ですか、兎って」
「一見おとなしくて愛らしいが、機嫌を損ねると噛みついてくるからな」
「私は噛みつきません」
「油断ならない」
「いい加減に人を動物に例えるのは、やめてください」
 憎まれ口に、減らず口で応酬する。
 緊張で声が一オクターブ高くなってしまったのは、隠し通せただろうか。
 脈拍が速い。
 外側から腕を回して手綱を握るルパートに、すっぽりと包まれてしまっているせいだ。
 想像通り、背中に触れた相手の胸板は、引き締まった硬さがあった。
 想像と違ったのは、耳朶に相手の息がもろに吹きかかってくることだ。
「この森は隣国との境界となり、また、防衛となる」
 ルパートの響きが耳に馴染む。
「デラクール家はこの領地を、先の戦争以前から拝領し、代々守ってきた」
 だからこそ、行き過ぎた手入れは出来ない。あっさりと侵入を許すことは、国の崩落を招く結果となりかねない。
「一度迷えば、二度と出られない。脅しではないから、覚えておけ」
 ルパートの警告が鼓膜を揺する。
 あまりにも声が体に適応し過ぎて、ヒルダにとって、それは、寝物語の一文にしか捉えられなかった。

 不意に視界が白くなる。
 永遠と続きそうな暗がりから、一気に明るくなった。
 木々の間を澄んだ小川が渾々と流れ、木漏れ日が燦然と降り注ぐ。
 太陽光の恩恵か、今まで見当たらなかった野花がピンクや青の小さな花弁を開かせている。
 その花の蜜を吸いに、蝶や蜂が飛び交い、どこからともなくピチチピチチと雄鳥が伴侶を求めて愛を競っている。
 まだ眼球が調光をうまく認識出来ず、ヒルダは目を細め、馴染むのを辛抱強く待とうとした。
「きゃっ」
 突如、視界が浮いた。
 脳の理解が追いついたときには、すでにヒルダはルパートにお姫様抱っこされ、馬から降ろされたところだった。
「な、何をするんですか!」
「お前が愚図愚図としているからだ」
「離して下さい!」
 まるで小さな子供ではないか。恥ずかしくて、すぐ逃げようと体を捩って抵抗する。
「こら、じっとしろ」
「だったら、今すぐ降ろして」
「静かにしろ。暴れるな」
「こんな格好、侮辱だわ」
「さっさと降りてもらわなければ、困る。この場に連れてくれた馬を労いたいし、水もやらなければいけないし。逃げ出さないように適当な木に繋いでおかなければならない」
 たちまちヒルダはおとなしくなる。
 ヒルダもそこは同意見だ。
「今更、恥ずかしがることもないだろう。眠りの塔の帰りも、こうだったではないか」
 指摘され、ヒルダは罰が悪くなり目線を逸らした。
 あの日、ヒルダの手は再度ロープを握って戻れることが不可能なほど、血豆や皮が剥けてぼろぼろだった。
 ルパートは螺旋階段の南京錠を解くと、おもむろにヒルダを抱え、黙って階下へ降りたのだ。
 あのときは屈辱に耐え、滲む怒りを抑え込むことに必死で、余裕なかった。
「あ、あの日のことは、忘れてください」
 きっと鬼か悪魔のように牙を剥いた形相だっただろう。
「今になって、羞恥か?」
 あはは、とルパートが声を上げて笑う。
 ぎょっとヒルダは目を見開いた。
 笑うと鋭い双眸が消えて、表情が一変する。人懐こい少年のようにくだけた姿。
 騎士団服姿では、考えられないことだ。眠りの塔の前で、失言により殴られていた、あの若い騎士が見れば、口をあんぐり開けて呆然とするはずだ。
 思わずヒルダから笑みが零れる。
 憎まれ口が返ってくると思ったのだろう。予想に反してヒルダが笑ったので、ルパートはおや?と片眉を上げた。
「あなたの目には一体、私のことは、どのように映っているのですか?」
 馬だの虎だの兎だの、例え話に動物以外出てこない。
 くすくす笑うヒルダに、つられてルパートも笑い声を上げた。

 好き。

 不意にぽんとヒルダの胸にその言葉が浮かんだ。

 はっと息を呑む。

 ルパート様が好き。

 その言葉は、じわじわと血流となり、全身に染み渡る。

 私、ルパート様が好き。

 血流となり浸透したそれを、各器官はどこも否定することなく、すとんと受け入れた。
 彼に触れる手も、息遣いを感じる耳朶も、姿を焼き付ける眼も、早鐘を打つ心臓も、体中何もかもが「そうだ」と肯定していた。

 同時に、それが許されないことも自覚させられる。
 自分はあくまで雇われた身。
 任務が終われば、ぷっつり切れてしまう関係。

 それでも、好き。
 それでも構わないから、好き。

 眠りの森には魔物が棲んでいる。
 その御伽話は、あながち嘘ではない。
 生きていく上で交わることのない二人を引き合わせ、一生解けそうにない呪いを浸透させたのだから。


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