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シンデレラの姉、初任務

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 案の定というべきか。
 ルパートがヒルダの寝室を訪れることはなかった。
 自分はお飾りの妻なのだから、期待はしていない。
 してはいないが、待つのは自由だ。
 ベッドの端に腰かけ、銅像のごとく微動だにせず、月が真上から西へ傾き、太陽が玻璃窓を輝かせても、ヒルダは挫けず同じ姿勢をひたすら保っていた。いつの間にか睡魔に負けてしまったが、ぎりぎりまで粘り、もう、最後の方はほとんど意地になってしまっていた。
 眠れないのは、また別の理由もある。
 日焼けして浅黒い精悍な肉体が、頭から離れない。筋肉が隆起した胸板、剣を軽々と振り回すであろう上腕二頭筋、引き締まる下腿、そして、そして、ばっちり見てしまった臍の下の神秘の部分。
「きゃああああ!」
 経験豊富なエラから毎度のごとく、あけすけな閨の出来事を聞かされていた(正確にはエラが一方的に)ため、耳年増ではあったが。
 聞くと見るでは大違い。
「きゃあああ!。やだ、やだ。ちょっと」
 顔面に体中の熱が一気に集中する。
「落ち着け、落ち着け」
 ルパートのことは、なかったことに。
「うん、何もなかった。私は何も見てない。うん」
 しかし、良い体だった。
 まるで神話に出てくる男神のような。
 違う違う違う。忘れるんだ。
「は、はしたない。私ったら」
 顔の火照りをどうにかしようと手で仰ぐが、無駄な動きだ。
「意外に服の下は細身だったなあ」
 ゆとりのあるデザインに見える騎士服のため、拳闘士並みにごつい体かと思ったが、ヒルダと同様に着痩せするタイプだ。
 またしても記憶が甦り、またもや赤面。
 一晩中そんなことを繰り返してしまっていた。

「どうした、ひどい隈だが」
 朝食の際、ルパートが片眉を吊った。
 どきん、と心臓が跳ねる。
 朝食前、あれほど起こりうる問答を頭の中で予行練習していたが、すべてが骨折りと化す。
 紅潮する頬は誤魔化しようがない。
 対して、ルパートにとっては、浴場でのハプニングなど些細な出来事に他ならないのだ。あっさり幕引きされてしまって、話題にすら上らない。
「眠れなかったか?」
 どの口がそれを聞く。ヒルダはギリギリと奥歯を噛んだ。
「誰のせいで」
「何だと?」
「いいえ。おかげさまで、ぐっすり眠れました」
 朝食のパンにいちごジャムを塗りながら、あえて嫌味っぽく返してやった。
 貧乏家ではジャムすら贅沢品、せっかく堪能しようと思ったのに。台無しだ。
「それなら良かった。今後も自己管理に努めるように」
 あくまでヒルダとは契約上の関係だと強調したいらしい。
 これは、妙な期待はするなと釘をさしているのだ。
「言われなくとも」
 泣きたくなった。
 自分は灰かぶりシンデレラなどと妄言をのたまい、幸せな結婚に向けて発った妹とは、雲泥の差だ。
 ミルクたっぷりのふわふわのパンも、今はちっとも味がしない。
 せっかくのご馳走なのに。
 弟のマシュウは焼きたてのパンが大好物だった。貧しいため、売れ残りの固くて形の不揃いのものしか買えないから、今、目の前の籠から溢れているのを見たら、頬をピンクに染めて喜ぶことだろう。
 家に残して来た弟に申し訳なく、いらいら具合も重なり、素直にパンの味を堪能出来ない。
 そんなヒルダの内心など知る由もなく、控えるエレナ夫妻は、あたたかな眼差しで新婚夫婦を見守っている。
 どうせルパートの台詞も、昨晩の情事の激しさからの気遣いだと、誤解しているのだ。きっと。
 あいにくだが、気遣い無用の間柄だ。
「ああ、忘れるところだった」
 ふと、ルパートは家令のロバートに、あれを持って来いと何やら命じた。
 ロバートから小さな箱を受け取るやおもむろに立ち上がって、ずんずんとヒルダの前まで大股で移動した。
 テーブルに影が出来る。
 ヒルダが座っているから尚、仁王立ちで見下ろしてくる男の迫力は凄まじい。ただでさえ大男で、目つきが悪いのに。
「な、何ですか」
 別に叱られるようなことはしていない、はずだ。
「手を出せ。左手だ」
 短く命令してくる。
 まだロープの傷痕を確かめようとするのだろうか。
「坊ちゃま。奥様が戸惑っておりますよ」
 エレナが助け舟を出してくれる。
「日頃から、何事も順序が大事と申しておりますでしょう」
「わかっている」
 軽く諌められ、不服そうに頷く。口を尖らせるその表情は、まさに大人に叱られた小さい子供のものだ。
「ヒルデガルド、受け取りたまえ」
 それは、シンプルな銀の指輪。デラクール家の紋章に使用されている、睡蓮の花が刻印されていた。銀の輝き具合から、一目で一級品だとわかる代物。
「こ、これは」
「遅くなったが、結婚指輪だ」
「このような上等な物を」
「デラクール公爵夫人の身につける品だ。当然だろう」
「でも」
 任務が終われば、不必要な品だ。どうせ不用となるものに大枚をはたくなんて。
「ごちゃごちゃ、うるさい。サイズを確かめるから、早く指を出せ」
 ヒルダの遠慮にうんざりし始めて、ルパートはこめかみに筋を浮かせる。
「坊ちゃま」
 エレナの咎めに、ルパートは咳払いを一つ、それから深呼吸も。
 国王直属の騎士団隊長も、これでは形無しだ。
「右ではない、左。薬指だ」
 男性から指輪を嵌められる機会など、生まれてこのかたなかったものだから、わたわたとテーブルの上で両方の手を出したり引っ込めたり。
 おかげで、再度ルパートのこめかみに青筋を引かせてしまった。
「うん。サイズぴったりだ。俺の目利きもなかなかだろう」
 かと思えば、得意げにうんうん頷き、どうだ、と己の目の確かさを使用人に誇っている。
 常に物事に動じず、感情などというものが存在しているのか疑わしい、蝋人形のような男との印象だったが。
 仮初であろうと夫となった人物は、ちゃんと人間らしく感情を剥き出しにしている。
「二週間後に夜会だ。王家の招待を受けた」
 来た!
 蝋人形の蝋の溶け具合に興味があったヒルダが、一気に現実に引き戻される。
「その席で国王に結婚したことを報告する」
「何だか大掛かりですね」
「貴族なら当然のことだ」
「私、ダンスなんて踊れません」
「ん?マーヴル夫人が言っていたぞ。お前はなかなか見込みがよいと」
「それは屋敷でのちょっとしたお遊びで。国王様の前で披露するのとは、わけが違います」
「ヒルデガルド」
 濃紺の双眸が怜悧な刃のごとく尖る。
「お前の役目は貴族の奥方や令嬢から話を聞くことだ」
 びくり、とヒルダの全身の神経が引き攣った。
 特務師団に雇われた諜報員。
 それが、与えられた任務だ。
 男では引き出せない情報を探り、国王暗殺を阻止する。
 指輪もドレスも、そのための道具でしかない。
「わかってます」
 御伽話のお姫様のようだと一瞬浮かれていたが。
 立場を弁えろ。
 ルパートの声なき声を視線から受け止めて、ヒルダは毅然と姿勢を正した。
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