【完結】シンデレラの姉は眠れる森の騎士と偽装結婚する

晴 菜葉

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愛はバスルームでは生まれない ※R18

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 うっかり天国に迷い込んでしまったのかと思った。
 大理石の床は広々としており、同じ素材の浴槽は円形で、これまた広く大きい。まるで小さな池のようだ。
 浴槽にはたっぷりと湯が張られ、石鹸の爽やかな香りが漂っている。湯気で視界が心許ない分、余計に嗅覚を刺激した。
 有無を言わせぬにこやかなエレナの監視の元、渋々と服を脱いで入室したはいいが、あまりにも贅沢過ぎて逆に身動きが取れない。
「どうぞ、ごゆっくり」
 エレナの気配が消えた。
「ごゆっくりって。どうしたらいいの」
 素っ裸で棒立ちになってしまう。
 家の風呂といえば、必要最低限のこじんまりしたもので、浴槽なんて足も伸ばせない窮屈なものだった。石鹸なんて高級でなかなか手が出せない代物。エラの散財には泣かされたっけ。
 そうこうするうちに、くしゃみを一つ。
 阿呆みたいに突っ立っていては、いい加減に風邪をひいてしまう。
「とりあえず、湯につかろう。うん」
 誰に言うでもなく決意し、勇気を出して爪先を湯に浸してみた。
 湯加減はちょうどよく、指先から熱が浸透していく。
 全身を浸せば、水飛沫が小さく上がった。
「とんでもないことになっちゃったな」
 快適さは穏やかな心を作る。同時に、冷静さを取り戻させた。
 幾ら見返りのためとはいえ、夜会では雲の上の存在の人物に嫁ぐことになるなんて。
 壁の花をしていた社交界デビューデビュタントの自分に、大声で教えてあげたい。
「上級貴族に囲まれていたあの人が、私の夫になるのよ……ってね」
 回想に委ねているときだった。
 湯気が奇妙に動いた。
 はっと息を呑んだときには、すでに何者かの浴室への侵入を許してしまっていた。
 不届きものは、頭を蹴り上げてやる。
 浴槽から上がるや、否応なしに右足を伸ばし、空気を切るごとく横に滑らせる。
 手ごたえはあった。
 しかし、感覚がやけに硬い。
 おそらく相手が腕で攻撃を防いだのだ。
「何の!まだまだよ!」
 間髪入れず、拳を相手の顎あたりに繰り出す。
 湯気で視界が悪く、相手の姿はぼんやりとした影でしかないため、うまく狙えない。
 またしても阻まれる。
 しかも、繰り出した拳を手のひらで受け止められた。そのまま握り込まれ、手の動きを封じられる。
「くそおおお!」
 手が封じられても、まだ足が残っている。
 膝を直角に曲げ、膝頭で鳩尾を狙う。
 相手は器用に体を捩って、またしてもかわされた。
「これならどう!」
 顎に頭突きをくらわしてやる。
 強盗なぞには負けられない。
 マーヴル邸にいたときは、強盗は拳一発で伸び上がったが。
 今回の輩はなかなか手強い。
「強盗のくせに!」
 奥歯を噛んで思い切り屈伸したときだった。
「いい加減にしろ!」
 ピシャリと頬を叩かれる。
 かなりの手加減はあった。
 よろめいたのは、痛みのせいではない。湯気で隠された人物の正体が判明したからだ。
「嘘でしょ」
 ヒルダの額を一筋の雫が伝う。
 湯気が晴れる。
 そこにいた人物、それは。
「……デラクール卿?」

 足の裏が床面に縫い付けられたかのごとく、微塵も動けない。
 視界が何回転もした。
「まったく。色気など皆無だな」
 わざとらしく嘆息するルパートは、忌々しいと言わんばかりに舌打ちする。元来の目つきの悪さが際立った。
「失礼な!」
 憤慨するヒルダ。
「事実だろう。まったく、会って間もない男に臆面もなく裸を晒すどころか、躊躇なく突然攻撃を仕掛けてきて」
 やれやれ、とルパートは肩を竦めてみせた。
 裸?
 そのキーワードに、ヒルダははっと自分の置かれた状況を思い出した。
「きゃああああああああ!」
 たちまち顔面が火を吹いた。
 強盗を退治することに夢中になり過ぎ、自分がどのような状態でいるのか、頭から吹っ飛んでしまっていた。
 しかも、目の前の相手も、場所が場所なので、当然同じだ。
「きゃあああああああ!」
 次の叫びは、ルパートを見たからだ。左手で顔を覆っても、もう遅い。しっかり瞼の裏に焼き付けてしまった。
 八歳の弟のものとは、丸きり別の物だ。
「今更か?」
 心底呆れたように、ルパートは深く息を吐いた。
 一刻も早く露出している部分を隠したかったが、右手首を頭の上で捻り上げられたままなので、不可能だ。
「あ、あなたが何故ここに」
「自分の家の風呂に入って文句を言われる筋合いはない」
「どうして、今」
「書き物に煮詰まって、気分転換だ。いつもの時間よりだいぶ早い風呂だが、おかげでとんだ災難にあった」
 まさか襲われるとはな、とルパートが手を引き寄せ、ヒルダの顔を覗き込む。
 濃紺の瞳の中に映る己の姿がくっきりとわかる距離。
「やはり服の下は女の体だな」
 ニタリと唇を吊るルパートに、ヒルダの体温は確実に摂氏一度上昇した。
 家族以外に晒したことのない服の下は、乳房が丸く膨らみ、しなやかに腰が曲線し、尻が筋肉質に小さく盛り上がっている。太腿から下の脚は鍛えているとはいえ、まだまだ細い。
「先日の手のひらの傷は、まだ治らないな。痛むか?」
 言いながら、ロープの食い込みの痕にキスを落とす。
 キスされた部分に火がつく。
 熱くて、たまらない。
「い、痛みはありません」
「そうか」
「痕が残らなければよいが」
 またしても、同じ部分にキス。
 初心うぶなヒルダの反応を明らかに楽しんでいる。
「やだ。離して」
 額からだんだん下がるルパートの視線に耐えきれず、ヒルダは身をよじって、鋭い感覚から逃れようと抵抗した。いやいやと首を横に振ることしか出来ない。今、ルパートの鋭さが、へその下に集中している。
 小刻みに震え出したヒルダ。
「安心しろ」
 鼻先にルパートの吐息がかかる。
「子供に欲情するほど、俺は飢えてはいない」
「!」
 切れ長のヒルダの琥珀の瞳が、これでもかと見開いた。
 同年代と比較して確かに色気がないことは認めるが。
 頭から否定されては、さすがにヒルダの自尊心に傷が入る。
「し、失敬な!」
「俺を楽しませるには、かなり不足だな」
 またしても馬鹿にした笑い方。喉の奥を鳴らすルパートが疳に触る。
 拘束が解かれた。
 ぶるぶると両方の拳を振るわせ、ヒルダは仁王立ちになり、ルパートを睨みつけた。
「そうだ。夫婦なのだから、デラクール卿ではなく、ファーストネームで呼ぶように」
 ヒルダの怒りを無視し、あくまで業務として命じてくる。
「今後はルパート、と」
 これでは上司と部下ではないか。
 微塵にも夫婦としての色香は存在しない。
 少しは女としての魅力を感じてもいいのに。
 己の今の姿を棚に上げ、ヒルダはあくまで視線のみでルパートを詰った。
 声に出さないのは、なけなしのプライドだ。
 あいにく、ルパートにはちっとも伝わっていない。
「ゆっくり湯に浸かって休め」」
 怒りのおさまらないヒルダをその場に残してルパートは立ち去った。

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