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女同士のヒソヒソ話
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マチルダが生まれた頃には、両親どちらの祖父母もとうに亡くなっていたから、マチルダは年寄りに接したことがない。
「可愛らしくて、とても情熱的な方ではないですか」
もし祖母が生きているなら、夫人のような方だろうかと、図々しくもそんなことを考えている。
「ブライス卿、お気づきになっていないようですから、野暮を承知で言いますが」
夫人は扇で隠した声をさらに低めた。
「首筋の歯形が隠れ切れてはおりませんよ」
たちまちロイは首筋を押さえて、思わず立ち上がってしまった。
マチルダも、目を見開いて固まってしまう。
馬車の中でロイがあんまり溜め息をつき、仕舞いに「精神を安定させてくれ」などと不埒にもスカートの中に手を入れてきたから、キスするふりで首筋に噛みついて懲らしめてやったのだ。
襟足に隠れる場所と目星をつけたが、外してしまった。
しかも運の悪いことに、夫人に気づかれて。
「まあまあ。今までに出会ったお嬢さん方とは、随分と趣が異なって。私、嫌いではなくてよ」
しどろもどろする夫婦を揶揄って、夫人はこの上なく楽しそうに声を弾ませる。侯爵夫人は、茶目っ気ある方だ。
「ブライス伯爵夫人は、マチルダさんと仰ったわね」
「はい」
マチルダはすぐさま姿勢を正す。
「これからはマチルダさんとお呼びしても? 」
「はい」
マチルダの溌剌とした返事に、夫人は上機嫌だ。
「私の前に来る方達といえば、呆れるくらい萎縮して。話せばしどろもどろ。正直、飽き飽きしていたのですよ」
理解は出来る。
一見すると気の好いおばあちゃんだが、その円な目は爛々として隙を与えない。穏やかな口調との落差があり過ぎて、警戒してしまう。
「あなたのように凛とした方は初めて」
マチルダのようにハキハキとした女性は、かなり珍しい部類に入るらしい。
「来月のお茶会に招待しますよ。きっと、皆さん歓迎なさるわ。うちに来る方は、皆さん、とても気の好い方ばかりだから、何も心配はいりませんからね」
侯爵夫人はマチルダが身分の低い家柄出身であるゆえに気後れするであろうことを予め読み、不安を払拭させる。
「私が主催するお茶会はあくまで楽しくお茶をする会ですから。家なんて関係ありませんよ」
お茶会は別名を「家庭招待会」とも呼ばれ、招待された妻はその家の顔となる。即ち、ヘマをやらかせば、社交界での夫の評判が左右されるのだ。
夫人はそれを全否定した。
侯爵夫人はマチルダと距離を詰めると、彼女に耳打ちする。
「ロイ・オルコットと呼ぶべきか。フェルロイ・ラムズと呼ぶべきか。彼、なかなか融通の利かないところがあるでしょう? あなたを困らせるようなことがあれば、このおばあちゃんが、とっちめてやるわよ。遠慮なく言いなさいな、マチルダ」
すっかり侯爵夫人はマチルダを気に入ったらしい。
夫人の子供といえば息子ばかりで、しかも揃って未だに独身。マチルダが侯爵夫人のことを「おばあちゃん」と思うように、夫人もマチルダを「孫」目線で見ている。
侯爵夫人はロイに接するときとは全く違う、砕けた喋り方で可愛らしくウィンクしてみせた。
「あ、あの? 侯爵夫人? 」
すっかり蚊帳の外のロイは、蒸し暑いわけでもないのに、しきりに汗を拭っている。
「何でもありません。女同士のヒソヒソ話ですよ」
侯爵夫人は楽しそうに笑う。
「ねえ、マチルダ? 」
すっかり打ち解けた侯爵夫人と妻に、ロイは不思議そうに瞬きを繰り返した。
「可愛らしくて、とても情熱的な方ではないですか」
もし祖母が生きているなら、夫人のような方だろうかと、図々しくもそんなことを考えている。
「ブライス卿、お気づきになっていないようですから、野暮を承知で言いますが」
夫人は扇で隠した声をさらに低めた。
「首筋の歯形が隠れ切れてはおりませんよ」
たちまちロイは首筋を押さえて、思わず立ち上がってしまった。
マチルダも、目を見開いて固まってしまう。
馬車の中でロイがあんまり溜め息をつき、仕舞いに「精神を安定させてくれ」などと不埒にもスカートの中に手を入れてきたから、キスするふりで首筋に噛みついて懲らしめてやったのだ。
襟足に隠れる場所と目星をつけたが、外してしまった。
しかも運の悪いことに、夫人に気づかれて。
「まあまあ。今までに出会ったお嬢さん方とは、随分と趣が異なって。私、嫌いではなくてよ」
しどろもどろする夫婦を揶揄って、夫人はこの上なく楽しそうに声を弾ませる。侯爵夫人は、茶目っ気ある方だ。
「ブライス伯爵夫人は、マチルダさんと仰ったわね」
「はい」
マチルダはすぐさま姿勢を正す。
「これからはマチルダさんとお呼びしても? 」
「はい」
マチルダの溌剌とした返事に、夫人は上機嫌だ。
「私の前に来る方達といえば、呆れるくらい萎縮して。話せばしどろもどろ。正直、飽き飽きしていたのですよ」
理解は出来る。
一見すると気の好いおばあちゃんだが、その円な目は爛々として隙を与えない。穏やかな口調との落差があり過ぎて、警戒してしまう。
「あなたのように凛とした方は初めて」
マチルダのようにハキハキとした女性は、かなり珍しい部類に入るらしい。
「来月のお茶会に招待しますよ。きっと、皆さん歓迎なさるわ。うちに来る方は、皆さん、とても気の好い方ばかりだから、何も心配はいりませんからね」
侯爵夫人はマチルダが身分の低い家柄出身であるゆえに気後れするであろうことを予め読み、不安を払拭させる。
「私が主催するお茶会はあくまで楽しくお茶をする会ですから。家なんて関係ありませんよ」
お茶会は別名を「家庭招待会」とも呼ばれ、招待された妻はその家の顔となる。即ち、ヘマをやらかせば、社交界での夫の評判が左右されるのだ。
夫人はそれを全否定した。
侯爵夫人はマチルダと距離を詰めると、彼女に耳打ちする。
「ロイ・オルコットと呼ぶべきか。フェルロイ・ラムズと呼ぶべきか。彼、なかなか融通の利かないところがあるでしょう? あなたを困らせるようなことがあれば、このおばあちゃんが、とっちめてやるわよ。遠慮なく言いなさいな、マチルダ」
すっかり侯爵夫人はマチルダを気に入ったらしい。
夫人の子供といえば息子ばかりで、しかも揃って未だに独身。マチルダが侯爵夫人のことを「おばあちゃん」と思うように、夫人もマチルダを「孫」目線で見ている。
侯爵夫人はロイに接するときとは全く違う、砕けた喋り方で可愛らしくウィンクしてみせた。
「あ、あの? 侯爵夫人? 」
すっかり蚊帳の外のロイは、蒸し暑いわけでもないのに、しきりに汗を拭っている。
「何でもありません。女同士のヒソヒソ話ですよ」
侯爵夫人は楽しそうに笑う。
「ねえ、マチルダ? 」
すっかり打ち解けた侯爵夫人と妻に、ロイは不思議そうに瞬きを繰り返した。
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