【完結】華麗なるマチルダの密約

晴 菜葉

文字の大きさ
上 下
76 / 114

女王蜂の毒針

しおりを挟む
「ロナルドが言うには、イメルダは、それはもう、つい、守ってやりたくなるくらい儚げで。頭がくらくらしたそうなんだと」
 確かに純白のドレスを着こなした可愛らしさで、目を潤ませて見上げる彼女には、老若男女問わず誰であろうと言いなりになる不可思議な魔力がある。
 一切なびかないロイが異質なだけであって。
「それで彼女は、伯爵夫妻に混乱を招いた隙に逃げ出すから、あることを手伝ってほしいと」
「ど、どのような? 」
 嫌な予感が掠める。
 マチルダは勿忘草が刺繍されたハンカチーフを握り締めた。
「海運会社が所有する倉庫に忍び込んで、積荷に苛性ソーダを混ぜろと」
「まあ! 」
 最高級の絹のハンカチーフが、くしゃくしゃに握り込まれて台無しになる。
「苛性ソーダは危険な薬物なのよ! もし誰かがそれを口にしていたら、怪我どころの騒ぎじゃないわ! 」
 ハンカチーフを千切らんばかりに引っ張りながら、マチルダは金切り声を上げた。
 苛性ソーダは、重篤な目の損傷と皮膚の薬傷が危険視されており、一度飲み込んだだけ、または皮膚に触れただけ、もしくは吸入しただけで重大な熱傷や失明、呼吸器障害を引き起こす。
「ああ。前回やられたときは、倉庫番が積荷の蓋が僅かにずれていることに気づいて出荷を取りやめたから良かったが」
「茶葉に混ぜられていたのよね? 」
「そうだ。もし出回っていたら、とんでもないことになっていた」
 最早、ハンカチーフの原型を留めていない絹の布地を、マチルダは左右から引っ張り、捻じ曲げる。
 恐ろしいことを遂行しようとした姉への怒りは、マグマとなってマチルダの全身の血液をどろどろと高温にさせた。
「イメルダは今回も上手くことが運ぶと考えたのだろう」
 対するロイは、あくまで事務的で抑揚がない。
「だが、彼女の目論見は外れた」
 ロイは組んだ脚を戻すと、ぐっと上半身を乗り出し、さらに声を低めた。
「ロナルドは忍び込む倉庫が、私の所有だとすぐに見抜いた。やつは、バカではない」
 おそらくイメルダは倉庫の所有者までは明かしていない。
 だが、倉庫の場所や特徴、取り扱う荷物によってロナルドはピンときたようだ。イメルダの標的が、あまりよろしくない自分のであると。
「そして、女に不自由しない。だから、イメルダの沼には嵌まらない。他の愚かな野郎達のようにはな」
 他の愚かな野郎は、女王蜂に従う働き蜂として、彼女に命じられるまま、何の疑いもなく、大それたことをやってのける。
「そしてイメルダは、ロナルドのことを何も知らない」
 たかだか生垣迷路で出会って、一度だけベッドを共にした仲。
「野郎のベッドでの狂乱ぶりで、自分の虜になったと踏んだのだろうが。野郎は大袈裟なだけだ。経験豊富だから、ちょっとやそっとでは、甘ったれの小娘になぞ心まで掻き乱されたりしない」
 さすが、。お見通しだ。
 マチルダは物言いたげにロイを睨みつける。
 彼女の心の声をしっかり聞いたロイは、目を逸らし、わざとらしい咳払いを繰り返す。
 「イメルダは何もわかっていない。野郎がこの上なく口の軽い男だと言うことを」
 目の荒いザルの秘密はダダ漏れだ。



 女王蜂の針は折れた。
 毒針が効かないどころか、狙った相手に反撃すらくらった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

【完結】体目的でもいいですか?

ユユ
恋愛
王太子殿下の婚約者候補だったルーナは 冤罪をかけられて断罪された。 顔に火傷を負った狂乱の戦士に 嫁がされることになった。 ルーナは内向的な令嬢だった。 冤罪という声も届かず罪人のように嫁ぎ先へ。 だが、護送中に巨大な熊に襲われ 馬車が暴走。 ルーナは瀕死の重症を負った。 というか一度死んだ。 神の悪戯か、日本で死んだ私がルーナとなって蘇った。 * 作り話です * 完結保証付きです * R18

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...