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女王蜂の毒針
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「ロナルドが言うには、イメルダは、それはもう、つい、守ってやりたくなるくらい儚げで。頭がくらくらしたそうなんだと」
確かに純白のドレスを着こなした可愛らしさで、目を潤ませて見上げる彼女には、老若男女問わず誰であろうと言いなりになる不可思議な魔力がある。
一切靡かないロイが異質なだけであって。
「それで彼女は、伯爵夫妻に混乱を招いた隙に逃げ出すから、あることを手伝ってほしいと」
「ど、どのような? 」
嫌な予感が掠める。
マチルダは勿忘草が刺繍されたハンカチーフを握り締めた。
「海運会社が所有する倉庫に忍び込んで、積荷に苛性ソーダを混ぜろと」
「まあ! 」
最高級の絹のハンカチーフが、くしゃくしゃに握り込まれて台無しになる。
「苛性ソーダは危険な薬物なのよ! もし誰かがそれを口にしていたら、怪我どころの騒ぎじゃないわ! 」
ハンカチーフを千切らんばかりに引っ張りながら、マチルダは金切り声を上げた。
苛性ソーダは、重篤な目の損傷と皮膚の薬傷が危険視されており、一度飲み込んだだけ、または皮膚に触れただけ、もしくは吸入しただけで重大な熱傷や失明、呼吸器障害を引き起こす。
「ああ。前回やられたときは、倉庫番が積荷の蓋が僅かにずれていることに気づいて出荷を取りやめたから良かったが」
「茶葉に混ぜられていたのよね? 」
「そうだ。もし出回っていたら、とんでもないことになっていた」
最早、ハンカチーフの原型を留めていない絹の布地を、マチルダは左右から引っ張り、捻じ曲げる。
恐ろしいことを遂行しようとした姉への怒りは、マグマとなってマチルダの全身の血液をどろどろと高温にさせた。
「イメルダは今回も上手くことが運ぶと考えたのだろう」
対するロイは、あくまで事務的で抑揚がない。
「だが、彼女の目論見は外れた」
ロイは組んだ脚を戻すと、ぐっと上半身を乗り出し、さらに声を低めた。
「ロナルドは忍び込む倉庫が、私の所有だとすぐに見抜いた。やつは、バカではない」
おそらくイメルダは倉庫の所有者までは明かしていない。
だが、倉庫の場所や特徴、取り扱う荷物によってロナルドはピンときたようだ。イメルダの標的が、あまりよろしくない自分のお友達であると。
「そして、女に不自由しない。だから、イメルダの沼には嵌まらない。他の愚かな野郎達のようにはな」
他の愚かな野郎は、女王蜂に従う働き蜂として、彼女に命じられるまま、何の疑いもなく、大それたことをやってのける。
「そしてイメルダは、ロナルドのことを何も知らない」
たかだか生垣迷路で出会って、一度だけベッドを共にした仲。
「野郎のベッドでの狂乱ぶりで、自分の虜になったと踏んだのだろうが。野郎は大袈裟なだけだ。経験豊富だから、ちょっとやそっとでは、甘ったれの小娘になぞ心まで掻き乱されたりしない」
さすが、乱れた友人関係。お見通しだ。
マチルダは物言いたげにロイを睨みつける。
彼女の心の声をしっかり聞いたロイは、目を逸らし、わざとらしい咳払いを繰り返す。
「イメルダは何もわかっていない。野郎がこの上なく口の軽い男だと言うことを」
目の荒いザルの秘密はダダ漏れだ。
女王蜂の針は折れた。
毒針が効かないどころか、狙った相手に反撃すらくらった。
確かに純白のドレスを着こなした可愛らしさで、目を潤ませて見上げる彼女には、老若男女問わず誰であろうと言いなりになる不可思議な魔力がある。
一切靡かないロイが異質なだけであって。
「それで彼女は、伯爵夫妻に混乱を招いた隙に逃げ出すから、あることを手伝ってほしいと」
「ど、どのような? 」
嫌な予感が掠める。
マチルダは勿忘草が刺繍されたハンカチーフを握り締めた。
「海運会社が所有する倉庫に忍び込んで、積荷に苛性ソーダを混ぜろと」
「まあ! 」
最高級の絹のハンカチーフが、くしゃくしゃに握り込まれて台無しになる。
「苛性ソーダは危険な薬物なのよ! もし誰かがそれを口にしていたら、怪我どころの騒ぎじゃないわ! 」
ハンカチーフを千切らんばかりに引っ張りながら、マチルダは金切り声を上げた。
苛性ソーダは、重篤な目の損傷と皮膚の薬傷が危険視されており、一度飲み込んだだけ、または皮膚に触れただけ、もしくは吸入しただけで重大な熱傷や失明、呼吸器障害を引き起こす。
「ああ。前回やられたときは、倉庫番が積荷の蓋が僅かにずれていることに気づいて出荷を取りやめたから良かったが」
「茶葉に混ぜられていたのよね? 」
「そうだ。もし出回っていたら、とんでもないことになっていた」
最早、ハンカチーフの原型を留めていない絹の布地を、マチルダは左右から引っ張り、捻じ曲げる。
恐ろしいことを遂行しようとした姉への怒りは、マグマとなってマチルダの全身の血液をどろどろと高温にさせた。
「イメルダは今回も上手くことが運ぶと考えたのだろう」
対するロイは、あくまで事務的で抑揚がない。
「だが、彼女の目論見は外れた」
ロイは組んだ脚を戻すと、ぐっと上半身を乗り出し、さらに声を低めた。
「ロナルドは忍び込む倉庫が、私の所有だとすぐに見抜いた。やつは、バカではない」
おそらくイメルダは倉庫の所有者までは明かしていない。
だが、倉庫の場所や特徴、取り扱う荷物によってロナルドはピンときたようだ。イメルダの標的が、あまりよろしくない自分のお友達であると。
「そして、女に不自由しない。だから、イメルダの沼には嵌まらない。他の愚かな野郎達のようにはな」
他の愚かな野郎は、女王蜂に従う働き蜂として、彼女に命じられるまま、何の疑いもなく、大それたことをやってのける。
「そしてイメルダは、ロナルドのことを何も知らない」
たかだか生垣迷路で出会って、一度だけベッドを共にした仲。
「野郎のベッドでの狂乱ぶりで、自分の虜になったと踏んだのだろうが。野郎は大袈裟なだけだ。経験豊富だから、ちょっとやそっとでは、甘ったれの小娘になぞ心まで掻き乱されたりしない」
さすが、乱れた友人関係。お見通しだ。
マチルダは物言いたげにロイを睨みつける。
彼女の心の声をしっかり聞いたロイは、目を逸らし、わざとらしい咳払いを繰り返す。
「イメルダは何もわかっていない。野郎がこの上なく口の軽い男だと言うことを」
目の荒いザルの秘密はダダ漏れだ。
女王蜂の針は折れた。
毒針が効かないどころか、狙った相手に反撃すらくらった。
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