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火柱
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「悪い、待たせた」
オリビアが去ってから数分後、片手にレモン水のグラスを持ったロイが駆け寄ってきた。
燕尾服の裾をたなびかせ、夜風が彼の漆黒の髪の先をふわりと揺らす。
まさに、絵本に登場する王子様。
「まったく、あの野郎は。ドレスの替えを用意出来なかったから破るな、だと? 私を何だと思ってるんだ」
今しがたまで誰かと会話していた内容に、ぶつくさ文句を呟いている。
絵本の王子様はお姫様を夢の国へと連れ出してくれるのに。
生憎と、目の前の男はマチルダの王子様ではなかった。
すでにオリビアの王子様だったのだ。
途端に血液が逆流し、マチルダは腰掛けていたガーデンチェアを蹴り倒す。
「どうした? 」
ロイは足を止めると、探るようにマチルダを一直線に見つめた。
マチルダの切れ長の瞳は尖って、まるで豹を彷彿させるくらい獰猛だ。
ロイは警戒しながら、ゆっくりと近づいていく。
マチルダの真正面に立ったとき、乾いた音がシンと静まり返った闇に響いた。
「馴れ馴れしくしないで! 」
平手を頬に受けたロイは、キョトンと目を丸くする。
「私を騙したのね! 」
マチルダは足を踏み鳴らした。
「マ、マチルダ? 」
剣幕に圧倒されたロイは、目を丸くしたまま、髪を乱しながらひとしきり足を踏み鳴らすマチルダを見守っていた。
彼女が気の済むまでそれを終えることを待っている。
「あなたの正体は、もうわかってるのよ! 」
ふくらはぎがいい加減に痛くなって動きを止めたマチルダは、ロイからレモン水を引ったくった。
たちまち、レモンの甘酸っぱい匂いが充満する。
空のグラスが足元に落ち、割れはせず、ごろごろとどこかへ転がった。
レモン水を真正面からまともに浴びたロイは、目が染みるのか片目を瞑って顔をしかめる。
「私を揶揄って、弄んで! 」
「い、いや。そんなつもりは」
水滴を指で跳ねのけながら、ロイはしどろもどろに返す。却ってマチルダの言葉に同意するような応え方だ。
「生意気な悪役令嬢がのぼせ上がっているのは、さぞかし面白かったでしょうね! 」
「ち、違う。そんなことはない」
ロイは頭を振って前髪に垂れる雫を払った。
「何が違うのよ! 私を騙していたくせに! 」
マチルダは我慢がならず、さらに声を張った。
「確かに君を騙したことは謝る。だけど、言い訳くらいさせてくれ」
ついにロイは認めた。
マチルダを騙していたと。
堪えていたはずの涙が一気に眼球に満ちて、あっという間に溢れた。幾筋も頬を伝っていき、伯爵から送られた絹のドレスにぐっしょりと黒い染みを作った。
「私にも立場というものがあるんだ。周りの状況を整えてから、正式に話すつもりだった」
「聞きたくないわ! 」
マチルダは首を振る。
涙が散った。
状況を整えるなんて、意味がわからない。
オリビアに許しを乞い、マチルダを手に入れる算段だろうか。
ロイの真後ろに、父に蔑ろにされて涙を堪える子供の幻が見えた。
「最低の男ね! 」
仮にも子供を持つ親のとる態度ではない。
「言う通りだ。私は最低だ」
ロイは大きく両手を広げた。まるで新人役者が初めて舞台に立ったかのように。
「認めたわね! 」
「ああ。正直に最初から話すべきだった」
「最初から聞いていたら、あなたなんかに近寄ったりしないわ! 」
「それだ! それだから、言い出せなかったんだ! 」
「当たり前よ! 」
急にロイが逆ギレして、マチルダの怒りはさらに燃えた。
今や彼女の中にあるのは火柱だ。爆発音と共に垂直に赤い炎を巻き上げる火柱。
オリビアが去ってから数分後、片手にレモン水のグラスを持ったロイが駆け寄ってきた。
燕尾服の裾をたなびかせ、夜風が彼の漆黒の髪の先をふわりと揺らす。
まさに、絵本に登場する王子様。
「まったく、あの野郎は。ドレスの替えを用意出来なかったから破るな、だと? 私を何だと思ってるんだ」
今しがたまで誰かと会話していた内容に、ぶつくさ文句を呟いている。
絵本の王子様はお姫様を夢の国へと連れ出してくれるのに。
生憎と、目の前の男はマチルダの王子様ではなかった。
すでにオリビアの王子様だったのだ。
途端に血液が逆流し、マチルダは腰掛けていたガーデンチェアを蹴り倒す。
「どうした? 」
ロイは足を止めると、探るようにマチルダを一直線に見つめた。
マチルダの切れ長の瞳は尖って、まるで豹を彷彿させるくらい獰猛だ。
ロイは警戒しながら、ゆっくりと近づいていく。
マチルダの真正面に立ったとき、乾いた音がシンと静まり返った闇に響いた。
「馴れ馴れしくしないで! 」
平手を頬に受けたロイは、キョトンと目を丸くする。
「私を騙したのね! 」
マチルダは足を踏み鳴らした。
「マ、マチルダ? 」
剣幕に圧倒されたロイは、目を丸くしたまま、髪を乱しながらひとしきり足を踏み鳴らすマチルダを見守っていた。
彼女が気の済むまでそれを終えることを待っている。
「あなたの正体は、もうわかってるのよ! 」
ふくらはぎがいい加減に痛くなって動きを止めたマチルダは、ロイからレモン水を引ったくった。
たちまち、レモンの甘酸っぱい匂いが充満する。
空のグラスが足元に落ち、割れはせず、ごろごろとどこかへ転がった。
レモン水を真正面からまともに浴びたロイは、目が染みるのか片目を瞑って顔をしかめる。
「私を揶揄って、弄んで! 」
「い、いや。そんなつもりは」
水滴を指で跳ねのけながら、ロイはしどろもどろに返す。却ってマチルダの言葉に同意するような応え方だ。
「生意気な悪役令嬢がのぼせ上がっているのは、さぞかし面白かったでしょうね! 」
「ち、違う。そんなことはない」
ロイは頭を振って前髪に垂れる雫を払った。
「何が違うのよ! 私を騙していたくせに! 」
マチルダは我慢がならず、さらに声を張った。
「確かに君を騙したことは謝る。だけど、言い訳くらいさせてくれ」
ついにロイは認めた。
マチルダを騙していたと。
堪えていたはずの涙が一気に眼球に満ちて、あっという間に溢れた。幾筋も頬を伝っていき、伯爵から送られた絹のドレスにぐっしょりと黒い染みを作った。
「私にも立場というものがあるんだ。周りの状況を整えてから、正式に話すつもりだった」
「聞きたくないわ! 」
マチルダは首を振る。
涙が散った。
状況を整えるなんて、意味がわからない。
オリビアに許しを乞い、マチルダを手に入れる算段だろうか。
ロイの真後ろに、父に蔑ろにされて涙を堪える子供の幻が見えた。
「最低の男ね! 」
仮にも子供を持つ親のとる態度ではない。
「言う通りだ。私は最低だ」
ロイは大きく両手を広げた。まるで新人役者が初めて舞台に立ったかのように。
「認めたわね! 」
「ああ。正直に最初から話すべきだった」
「最初から聞いていたら、あなたなんかに近寄ったりしないわ! 」
「それだ! それだから、言い出せなかったんだ! 」
「当たり前よ! 」
急にロイが逆ギレして、マチルダの怒りはさらに燃えた。
今や彼女の中にあるのは火柱だ。爆発音と共に垂直に赤い炎を巻き上げる火柱。
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