6 / 114
不手際
しおりを挟む
貴族のしきたりに倣って、アンサーはアニストン子爵へ、イメルダに求婚したい旨の手紙を送った。
平民と違って、貴族はしきたりにうるさい。
いきなり貴族の子女へ求婚するのは、この国では無礼にあたる。
手紙を送り承諾をもらえば、次は相手の父親を通して、意中の相手をデートに誘う。
それを何度か繰り返してから、食事に招かれ、本格的な婚姻話へと進んでいく。
爵位はないが、アンサーの家は財産持ちだ。トールボット石鹸会社といえば、今や国で一、二を争うほどの破竹の勢い。
そこに両家の思惑が透ける。
即ち、アニストン家は相手方がもたらす財産を、トールボット家は貴族と縁続きになる格式を。
この国では何ら不思議ではない。
むしろ、当然のこと。
婚姻話は、最早、当人だけの問題では済まないのだ。
発端は先週の食事会でのこと。
「マチルダ様。相談があるんです」
神妙な面持ちのアンサーは、玄関先で出迎えたマチルダに耳打ちした。
本来ならイメルダが未来の夫を出迎える手筈だが、化粧直しに時間をくい、妹が代理を務めるのがいつものお決まりだ。
その日、アンサーの様子はいつになく不自然極まりなかった。
出迎えたマチルダを見るなり表情を固くさせ、どことなく落ち着かない。所在なげにステッキの先でいじいじと床面を小突いた。
「イメルダ様のことで」
コツコツと大理石の床を叩くステッキ。これ以上、床を傷まみれにされては敵わない家令は、素早くアンサーからステッキを預かる。
すると今度は貧乏揺すり。
どうもアンサーの様子がおかしい。
マチルダは眉根を寄せた。
「お姉様のこと? 」
姉と何やら拗れているのだろうか。
偉ぶった貴族のドラ息子らと違って、アンサーは神経衰弱気味で、いつも何かにビクビクと怯えた素振りをしている。それが今夜は特に顕著だ。
「ええ。彼女と婚姻を結ぶ前に、どうしても確認したいことがあって」
慣例に則れば、今夜、彼は結婚を申し込む。
今更、何を確かめることがあるのだろうか。
しかも、婚約者にではなく、その妹に。
マチルダの目つきが鋭くなった。
「食事の前に少々時間がありますよね」
アンサーはモゾモゾと膝を擦り合わせながら窺う。
「ええ。お姉様の化粧直しは時間をくうから」
「そのとき、あなたの寝室に行っても良いかですか? 内密にしておきたい相談事が」
問題ごとなら、さっさと解決してもらわないと。
アンサーの、いちいちびくついた態度は、気のきついマチルダには我慢ならない。
とにかく、早く話をお仕舞いにしてしまいたかったのだ。
わざとらしくマチルダは深く息を吐き出すと、頷いた。
「わかりました」
アンサーの言うところの「確認したいこと」をてっとり早く終わらせることで頭がいっぱいで、肝心なことがすっかり思考から抜け落ちてしまっていた。
そのことが、この後、マチルダにとんでもない悪夢となって襲い掛かってくるとは、まだ知る由もない。
平民と違って、貴族はしきたりにうるさい。
いきなり貴族の子女へ求婚するのは、この国では無礼にあたる。
手紙を送り承諾をもらえば、次は相手の父親を通して、意中の相手をデートに誘う。
それを何度か繰り返してから、食事に招かれ、本格的な婚姻話へと進んでいく。
爵位はないが、アンサーの家は財産持ちだ。トールボット石鹸会社といえば、今や国で一、二を争うほどの破竹の勢い。
そこに両家の思惑が透ける。
即ち、アニストン家は相手方がもたらす財産を、トールボット家は貴族と縁続きになる格式を。
この国では何ら不思議ではない。
むしろ、当然のこと。
婚姻話は、最早、当人だけの問題では済まないのだ。
発端は先週の食事会でのこと。
「マチルダ様。相談があるんです」
神妙な面持ちのアンサーは、玄関先で出迎えたマチルダに耳打ちした。
本来ならイメルダが未来の夫を出迎える手筈だが、化粧直しに時間をくい、妹が代理を務めるのがいつものお決まりだ。
その日、アンサーの様子はいつになく不自然極まりなかった。
出迎えたマチルダを見るなり表情を固くさせ、どことなく落ち着かない。所在なげにステッキの先でいじいじと床面を小突いた。
「イメルダ様のことで」
コツコツと大理石の床を叩くステッキ。これ以上、床を傷まみれにされては敵わない家令は、素早くアンサーからステッキを預かる。
すると今度は貧乏揺すり。
どうもアンサーの様子がおかしい。
マチルダは眉根を寄せた。
「お姉様のこと? 」
姉と何やら拗れているのだろうか。
偉ぶった貴族のドラ息子らと違って、アンサーは神経衰弱気味で、いつも何かにビクビクと怯えた素振りをしている。それが今夜は特に顕著だ。
「ええ。彼女と婚姻を結ぶ前に、どうしても確認したいことがあって」
慣例に則れば、今夜、彼は結婚を申し込む。
今更、何を確かめることがあるのだろうか。
しかも、婚約者にではなく、その妹に。
マチルダの目つきが鋭くなった。
「食事の前に少々時間がありますよね」
アンサーはモゾモゾと膝を擦り合わせながら窺う。
「ええ。お姉様の化粧直しは時間をくうから」
「そのとき、あなたの寝室に行っても良いかですか? 内密にしておきたい相談事が」
問題ごとなら、さっさと解決してもらわないと。
アンサーの、いちいちびくついた態度は、気のきついマチルダには我慢ならない。
とにかく、早く話をお仕舞いにしてしまいたかったのだ。
わざとらしくマチルダは深く息を吐き出すと、頷いた。
「わかりました」
アンサーの言うところの「確認したいこと」をてっとり早く終わらせることで頭がいっぱいで、肝心なことがすっかり思考から抜け落ちてしまっていた。
そのことが、この後、マチルダにとんでもない悪夢となって襲い掛かってくるとは、まだ知る由もない。
21
お気に入りに追加
442
あなたにおすすめの小説


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……

だってお義姉様が
砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。
ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると……
他サイトでも掲載中。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

【完結】体目的でもいいですか?
ユユ
恋愛
王太子殿下の婚約者候補だったルーナは
冤罪をかけられて断罪された。
顔に火傷を負った狂乱の戦士に
嫁がされることになった。
ルーナは内向的な令嬢だった。
冤罪という声も届かず罪人のように嫁ぎ先へ。
だが、護送中に巨大な熊に襲われ 馬車が暴走。
ルーナは瀕死の重症を負った。
というか一度死んだ。
神の悪戯か、日本で死んだ私がルーナとなって蘇った。
* 作り話です
* 完結保証付きです
* R18
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる