66 / 71
燎原の火
しおりを挟む
蹴破ったドアから現れたのは、リリアーナだけの騎士だ。
リリアーナは彼の胸に惑うことなく飛び込む。
勢い任せに押し倒されたザカリスは、床に仰向けに倒れた。リリアーナはすぐさま、その鍛えられた胸板にピッタリと頬をつける。鼓膜を振動させる速い拍動。
これは幻ではない。
本物だ。
本物の、リリアーナだけの騎士だ。
リリアーナの頭上を、灰色に色づいた煙が横滑りしていく。
大好きな柑橘系の香水は薄れて、彼特有の雄臭さがツンと鼻先に入った。
それはリリアーナの雌を刺激するには充分だ。
リリアーナは子うさぎと渾名される。
兎は性欲が強い。他の動物が生後半年目以降で発情するのに比べて、兎は生後数ヶ月と早い。
リリアーナはこのような状況でさえ、いや、このような状況だからこそ、彼に抱かれたくて堪らない。
最後の最後まで子孫を残そうとする本能だ。
そういった点では、ザカリスの方が冷静だ。
「リリアーナ。退けるんだ。早くここから逃げなければ」
「ええ。ザカリス様。ハンカチを口に。煙を吸い込んだら危ないわ」
「あ、ああ」
「腰を屈めて。煙は上の方に溜まるから」
「わ、わかった」
危機的状況のときこそ、本質が現れる。
リリアーナはいつもの甘ったれた、繊細な顔立ちではなく、革命軍を先導する女神のような力強さで灰褐色の瞳を爛々と光らせた。
ザカリスはその瞳の鋭さに息を呑んだ。
轟々と燃え盛る炎は勢いを増し、天井へと昇っていく。
熱風が頬を焼く。
熱くて熱くて、汗がひっきりなしに額から頬へ、そして顎先へと垂れ落ちる。
チリチリと喉奥まで入り込んだ熱風は、確実に体力を奪っていく。皮膚がどろどろと蝋のように溶けそうだ。
安物の家具が蜃気楼でひしゃげていくようにさえ見えた。
壁から天井へと、炎はまるで生き物のように立ち昇り、あっと言う間に天井を覆い尽くした。
ミシミシとした崩壊間近の音。
「リリアーナ! 早く逃げろ! 」
ザカリスは出口へとリリアーナを押した。
ドアはすっかり炎に包まれてはいたが、かろうじて形をなしている。多少皮膚が焼けてしまうが、今ならまだ飛び出せる余地が残されている。
「ザカリス様! 」
リリアーナは悲鳴をあげた。
彼の左足首を崩れたテーブルの天板が潰し、覆い被さる。脚を抜こうにも、他の家具が邪魔をして身動きが取れない。
リリアーナは慌てて彼の脚に駆け寄り、テーブルを持ち上げようとした。
「熱っ! 」
まるで鉄の塊のように熱くなってしまっている。たちまちリリアーナの手のひらの皮が剥けた。
あのローブの男は、何かの薬品を撒いたのだ。
そうでなければ、この異常な炎の回り方といい、熱さといい、説明がつかない。
運が良ければ助かる。
男の言葉を理解する。
この状況下で運も何もない。あの男は、秘密を知る者全てを葬る気だ。最初から。
「俺は駄目だ! 早く逃げろ! 」
「嫌よ! あなたを置いていけないわ! 」
「バカ! 火傷するぞ! 」
「もうしてるわ! 」
毎朝、毎晩、欠かさずクリームを塗って手入れを怠らなかった手は皮が捲れ、火の粉によって水膨れが出来てしまった。
だが、そんなこと、ザカリスが助かるならどうだって良い。
それよりも、口論のために無駄に酸素を消費したくない。
今度こそ、彼を失いたくない。
ザカリスを救うために、リリアーナは死に戻ったのだから。
リリアーナは彼の胸に惑うことなく飛び込む。
勢い任せに押し倒されたザカリスは、床に仰向けに倒れた。リリアーナはすぐさま、その鍛えられた胸板にピッタリと頬をつける。鼓膜を振動させる速い拍動。
これは幻ではない。
本物だ。
本物の、リリアーナだけの騎士だ。
リリアーナの頭上を、灰色に色づいた煙が横滑りしていく。
大好きな柑橘系の香水は薄れて、彼特有の雄臭さがツンと鼻先に入った。
それはリリアーナの雌を刺激するには充分だ。
リリアーナは子うさぎと渾名される。
兎は性欲が強い。他の動物が生後半年目以降で発情するのに比べて、兎は生後数ヶ月と早い。
リリアーナはこのような状況でさえ、いや、このような状況だからこそ、彼に抱かれたくて堪らない。
最後の最後まで子孫を残そうとする本能だ。
そういった点では、ザカリスの方が冷静だ。
「リリアーナ。退けるんだ。早くここから逃げなければ」
「ええ。ザカリス様。ハンカチを口に。煙を吸い込んだら危ないわ」
「あ、ああ」
「腰を屈めて。煙は上の方に溜まるから」
「わ、わかった」
危機的状況のときこそ、本質が現れる。
リリアーナはいつもの甘ったれた、繊細な顔立ちではなく、革命軍を先導する女神のような力強さで灰褐色の瞳を爛々と光らせた。
ザカリスはその瞳の鋭さに息を呑んだ。
轟々と燃え盛る炎は勢いを増し、天井へと昇っていく。
熱風が頬を焼く。
熱くて熱くて、汗がひっきりなしに額から頬へ、そして顎先へと垂れ落ちる。
チリチリと喉奥まで入り込んだ熱風は、確実に体力を奪っていく。皮膚がどろどろと蝋のように溶けそうだ。
安物の家具が蜃気楼でひしゃげていくようにさえ見えた。
壁から天井へと、炎はまるで生き物のように立ち昇り、あっと言う間に天井を覆い尽くした。
ミシミシとした崩壊間近の音。
「リリアーナ! 早く逃げろ! 」
ザカリスは出口へとリリアーナを押した。
ドアはすっかり炎に包まれてはいたが、かろうじて形をなしている。多少皮膚が焼けてしまうが、今ならまだ飛び出せる余地が残されている。
「ザカリス様! 」
リリアーナは悲鳴をあげた。
彼の左足首を崩れたテーブルの天板が潰し、覆い被さる。脚を抜こうにも、他の家具が邪魔をして身動きが取れない。
リリアーナは慌てて彼の脚に駆け寄り、テーブルを持ち上げようとした。
「熱っ! 」
まるで鉄の塊のように熱くなってしまっている。たちまちリリアーナの手のひらの皮が剥けた。
あのローブの男は、何かの薬品を撒いたのだ。
そうでなければ、この異常な炎の回り方といい、熱さといい、説明がつかない。
運が良ければ助かる。
男の言葉を理解する。
この状況下で運も何もない。あの男は、秘密を知る者全てを葬る気だ。最初から。
「俺は駄目だ! 早く逃げろ! 」
「嫌よ! あなたを置いていけないわ! 」
「バカ! 火傷するぞ! 」
「もうしてるわ! 」
毎朝、毎晩、欠かさずクリームを塗って手入れを怠らなかった手は皮が捲れ、火の粉によって水膨れが出来てしまった。
だが、そんなこと、ザカリスが助かるならどうだって良い。
それよりも、口論のために無駄に酸素を消費したくない。
今度こそ、彼を失いたくない。
ザカリスを救うために、リリアーナは死に戻ったのだから。
63
お気に入りに追加
311
あなたにおすすめの小説
純潔の寵姫と傀儡の騎士
四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。
世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。
扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋
伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。
それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。
途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。
その真意が、テレジアにはわからなくて……。
*hotランキング 最高68位ありがとうございます♡
▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる