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炎の中
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「さて、お嬢さん」
一息ついてから、男はレイラの前に跪いた。
身を屈め、彼はレイラに科せられた拘束を解いてくれた。
彼との距離が近くなり、その面差しがはっきりする。
年齢は二十代後半ほど。ザカリスよりやや若いくらいだ。
褐色の肌は異国の血が入っているのかも知れない。面差しも、どことなく彫りが深い。
「君は見てはいけないものを見てしまったな」
彼は抑揚なく呟く。
言葉の通り、この国の裏側を思い切り目にしてしまった。
秘密を知った者の末路は一つ。
たちまちリリアーナの肌が粟立つ。
「だが君は、あのロナルドの指輪の贈り主だ」
男がザカリスの名を何故か口にしたことで、リリアーナはますます背筋を震わせた。
逃げられない。
無言の圧となり、リリアーナを縛る。
「俺としても、せっかく細工したものが葬られるのも惜しい」
彼の言葉の意味はよくわからないが、とにかくザカリスを守らなければ、とリリアーナに使命感が湧く。
「こうしよう。今からこの屋敷に火を点ける。生きて帰れるかは、運次第だ」
彼は人差し指を立てて提案する。
リリアーナを焼き殺すつもりだ。
そこで逃げおおせたら、彼はリリアーナを見逃すと言うのだ。
「ザカリス様に手は出さないのね? 」
「勿論」
平気で人の精神を壊す男だから信用に値しないが、取り敢えず信じてみるより他はない。
「もし生きて戻れたなら、今見たことは忘れろ」
男の目が不気味に光る。
「万が一、口にすれば」
一旦、言葉を区切る。
さすがに無垢な乙女には忍びないと思ったのか。
リリアーナはもうとっくに成人しているし、何度もザカリスと濃厚な交わりをしている。
それなのに、見た目の純真さは色褪せない。
「この世の果てまで追い回し、その喉に刃を突き立てるのね」
リリアーナはハッキリと口にした。
「そうだ」
男は神妙に頷く。
「では、未来のロナルド夫人。ご機嫌よう」
完璧な所作で男はリリアーナに別れを告げると、身を翻し、黒いローブは闇へと溶けて行った。
パチパチと小さく弾ける音。
男は宣言通りにドアの外に火を点けたのだ。
リリアーナは急いでドアノブを捻った。
「嘘! 開かないわ! 」
男が外からつっかえ棒をしているのだ。
これが、リリアーナに試した運だ。
運が良ければ逃げおおせると。
「何が運よ。運なんてなくても、逃げるわ! 」
リリアーナはすぐさま窓へと駆ける。
ドアが駄目なら窓から這い出せば良い。
「どうして! 」
リリアーナは絶句した。
男が窓に細工をしたのか、施錠されている。
リリアーナは椅子を引っ掴むと、ガラスを割るため思い切り振った。
と、その手が椅子の脚を離れ、ぼとりと転がり落ちる。
火の勢いは想像以上で、窓の外は赤い炎の海だ。
まずい。リリアーナは身を屈め、ハンカチーフで口を押さえた。
煙は軽いから上空を這う。
幼い頃に火事に遭ったとかいうロナルド家のメイドからの知識だ。
だが、炎はどうしようもない。
パチパチと小さく跳ねる音は、すでに轟々と盛り、別荘の半分を包んでいる。
一酸化炭素中毒か。それとも焼死か。
いづれにしても、助かる見込みはなさそうだ。
「いえ。私はまだザカリス様と逢引きをしていないわ! 」
リリアーナは己の胸をどんと突いた。
「たくさん、あの方と行きたい場所があるのよ。まだ死ねないわ! そうでしょ、リリアーナ! 」
己に対して発奮させる。
一度も逢引きしていないのに。彼とは婚約中の身。人前でいちゃいちゃしようと、誰にも咎められたりしない。堂々と彼と腕を組んで歩けるのだから。
「ザカリス様! 待っていて! 」
リリアーナは床を這いずり回り、他に出口がないかを調べる。
そんなとき、空耳が聞こえた。
「リリアーナ! どこだ! 」
あんまり逢引き、逢引きと、そんなことばかり考えていたから、とうとう脳の機能が狂ったのかも。
リリアーナは愛しい男に会いたくて堪らなくなり、鼻を啜る。
「リリアーナ! 」
今度は、よりハッキリ聞こえた。
「リリアーナ! 返事しろ! リリアーナ! 」
これは幻聴ではない。
リリアーナは確信する。
彼の声はどんどん近づいてきていた。
「ザカリス様! 」
リリアーナは愛しい男の名を叫んだ。
一息ついてから、男はレイラの前に跪いた。
身を屈め、彼はレイラに科せられた拘束を解いてくれた。
彼との距離が近くなり、その面差しがはっきりする。
年齢は二十代後半ほど。ザカリスよりやや若いくらいだ。
褐色の肌は異国の血が入っているのかも知れない。面差しも、どことなく彫りが深い。
「君は見てはいけないものを見てしまったな」
彼は抑揚なく呟く。
言葉の通り、この国の裏側を思い切り目にしてしまった。
秘密を知った者の末路は一つ。
たちまちリリアーナの肌が粟立つ。
「だが君は、あのロナルドの指輪の贈り主だ」
男がザカリスの名を何故か口にしたことで、リリアーナはますます背筋を震わせた。
逃げられない。
無言の圧となり、リリアーナを縛る。
「俺としても、せっかく細工したものが葬られるのも惜しい」
彼の言葉の意味はよくわからないが、とにかくザカリスを守らなければ、とリリアーナに使命感が湧く。
「こうしよう。今からこの屋敷に火を点ける。生きて帰れるかは、運次第だ」
彼は人差し指を立てて提案する。
リリアーナを焼き殺すつもりだ。
そこで逃げおおせたら、彼はリリアーナを見逃すと言うのだ。
「ザカリス様に手は出さないのね? 」
「勿論」
平気で人の精神を壊す男だから信用に値しないが、取り敢えず信じてみるより他はない。
「もし生きて戻れたなら、今見たことは忘れろ」
男の目が不気味に光る。
「万が一、口にすれば」
一旦、言葉を区切る。
さすがに無垢な乙女には忍びないと思ったのか。
リリアーナはもうとっくに成人しているし、何度もザカリスと濃厚な交わりをしている。
それなのに、見た目の純真さは色褪せない。
「この世の果てまで追い回し、その喉に刃を突き立てるのね」
リリアーナはハッキリと口にした。
「そうだ」
男は神妙に頷く。
「では、未来のロナルド夫人。ご機嫌よう」
完璧な所作で男はリリアーナに別れを告げると、身を翻し、黒いローブは闇へと溶けて行った。
パチパチと小さく弾ける音。
男は宣言通りにドアの外に火を点けたのだ。
リリアーナは急いでドアノブを捻った。
「嘘! 開かないわ! 」
男が外からつっかえ棒をしているのだ。
これが、リリアーナに試した運だ。
運が良ければ逃げおおせると。
「何が運よ。運なんてなくても、逃げるわ! 」
リリアーナはすぐさま窓へと駆ける。
ドアが駄目なら窓から這い出せば良い。
「どうして! 」
リリアーナは絶句した。
男が窓に細工をしたのか、施錠されている。
リリアーナは椅子を引っ掴むと、ガラスを割るため思い切り振った。
と、その手が椅子の脚を離れ、ぼとりと転がり落ちる。
火の勢いは想像以上で、窓の外は赤い炎の海だ。
まずい。リリアーナは身を屈め、ハンカチーフで口を押さえた。
煙は軽いから上空を這う。
幼い頃に火事に遭ったとかいうロナルド家のメイドからの知識だ。
だが、炎はどうしようもない。
パチパチと小さく跳ねる音は、すでに轟々と盛り、別荘の半分を包んでいる。
一酸化炭素中毒か。それとも焼死か。
いづれにしても、助かる見込みはなさそうだ。
「いえ。私はまだザカリス様と逢引きをしていないわ! 」
リリアーナは己の胸をどんと突いた。
「たくさん、あの方と行きたい場所があるのよ。まだ死ねないわ! そうでしょ、リリアーナ! 」
己に対して発奮させる。
一度も逢引きしていないのに。彼とは婚約中の身。人前でいちゃいちゃしようと、誰にも咎められたりしない。堂々と彼と腕を組んで歩けるのだから。
「ザカリス様! 待っていて! 」
リリアーナは床を這いずり回り、他に出口がないかを調べる。
そんなとき、空耳が聞こえた。
「リリアーナ! どこだ! 」
あんまり逢引き、逢引きと、そんなことばかり考えていたから、とうとう脳の機能が狂ったのかも。
リリアーナは愛しい男に会いたくて堪らなくなり、鼻を啜る。
「リリアーナ! 」
今度は、よりハッキリ聞こえた。
「リリアーナ! 返事しろ! リリアーナ! 」
これは幻聴ではない。
リリアーナは確信する。
彼の声はどんどん近づいてきていた。
「ザカリス様! 」
リリアーナは愛しい男の名を叫んだ。
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