54 / 71
悪意の秘め事
しおりを挟む
渡り廊下を挟んでいるので、大広間の惨状は伝わってこない。
荒れ狂う伯爵にザカリスが怪我を負わされていないか、祈るばかりだ。
リリアーナはローブを羽織ると、カーテンをほんの少し開いた。
ブライス邸に到着した頃は星の瞬きが素晴らしく晴れ渡っていたというのに、今は月も星もなく、ぽってりと湿気を含んで重くなった雲が空から垂れ下がっている。
ぬるい風が頬を撫でた。
じきに雨がくる。
「ハッサム男爵家ご令嬢リリアーナ・ラーナ様」
控えめなノックの後、名指しされた。
「ロナルド男爵様からのご伝言です」
「ザカリス様から? 」
リリアーナは怪訝に眉を寄せる。
ザカリスは伯爵の狂乱を止めに行ったきり、もう一時間は経つが未だに戻ってくる素振りがない。
余程、拗れているのかと、不安に思ったときだ。
「ザカリス様がどうかしましたか? 」
彼に何かあったのだろうか。テーブルや椅子、その他諸々が滅茶苦茶に破壊されていると聞いた。
まさか、放り投げられた椅子で頭を打ちつけでもしたのだろうか。
悪く傾くばかりの想像に、リリアーナは唇を戦慄かせる。
「男爵から命じられました。どうぞ、こちらへ」
「ザカリス様が? 何を? 」
「あなた様の身を確保するようにと」
やはり、彼の身に何かあったのだ。
そのときのリリアーナは、ザカリスの身を案じるあまり、己に迫る悪意など微塵も感じなかった。
警戒心も何も持たず、とにかくドアの外にいる何某かに話を聞かなくては。
彼女の脳裏には、頭を負傷して血を垂れ流すしかめ面のザカリスが浮かんでいた。
逸る気を抑えることなど出来ず、覚束ない指で内鍵を解く。
ドアが開いた。
目の前にいたのは、給仕を担うメイドだ。
年齢は不詳。
リリアーナと同い年にでも、はたまた、年配にも見える。
その一因は、肌艶だ。ガサガサに荒れた肌に、全く化粧気のなさ。
目は落ち窪んで、隈が目立つ。ただ、鈍く光る青い目は抜け目なくギョロリとして、思わず身が竦んでしまう。
傷んだ髪は赤茶色で、ところどころ白髪が混じっていた。
ブライス家のメイドは、上流らしく誰しもが身なりに気を使っている。白髪混じりはともかく、纏めた髪がほつれるなど以ての外、服の皺一つにさえ目を光らせているはず。
だが、今、リリアーナの前にいるメイドときたら、どことなくだらしなく感じる。
リリアーナの中で、危険を報せる合図が点滅した。
「あなた、この屋敷のメイドではないわね? 」
すると、そのメイドは否定もせず、皮の剥けた唇をニタリと斜めに吊った。
「成程。警戒心のないバカな小娘かと思ってたけど」
ガラガラに掠れた声からは、女性特有の高さはない。
「ハッサム男爵家の令嬢リリアーナ・ラーナ」
ハスキーな声で呼ばれたかと思えば、口元にハンカチーフを押し付けられる。
「ん! んん! 」
かろうじて鼻からは息が吸えるが声を封じ込められた。
鳩尾を物凄い力が入る。
「……! 」
衝撃を感じる間もなく、目の前が暗転した。
荒れ狂う伯爵にザカリスが怪我を負わされていないか、祈るばかりだ。
リリアーナはローブを羽織ると、カーテンをほんの少し開いた。
ブライス邸に到着した頃は星の瞬きが素晴らしく晴れ渡っていたというのに、今は月も星もなく、ぽってりと湿気を含んで重くなった雲が空から垂れ下がっている。
ぬるい風が頬を撫でた。
じきに雨がくる。
「ハッサム男爵家ご令嬢リリアーナ・ラーナ様」
控えめなノックの後、名指しされた。
「ロナルド男爵様からのご伝言です」
「ザカリス様から? 」
リリアーナは怪訝に眉を寄せる。
ザカリスは伯爵の狂乱を止めに行ったきり、もう一時間は経つが未だに戻ってくる素振りがない。
余程、拗れているのかと、不安に思ったときだ。
「ザカリス様がどうかしましたか? 」
彼に何かあったのだろうか。テーブルや椅子、その他諸々が滅茶苦茶に破壊されていると聞いた。
まさか、放り投げられた椅子で頭を打ちつけでもしたのだろうか。
悪く傾くばかりの想像に、リリアーナは唇を戦慄かせる。
「男爵から命じられました。どうぞ、こちらへ」
「ザカリス様が? 何を? 」
「あなた様の身を確保するようにと」
やはり、彼の身に何かあったのだ。
そのときのリリアーナは、ザカリスの身を案じるあまり、己に迫る悪意など微塵も感じなかった。
警戒心も何も持たず、とにかくドアの外にいる何某かに話を聞かなくては。
彼女の脳裏には、頭を負傷して血を垂れ流すしかめ面のザカリスが浮かんでいた。
逸る気を抑えることなど出来ず、覚束ない指で内鍵を解く。
ドアが開いた。
目の前にいたのは、給仕を担うメイドだ。
年齢は不詳。
リリアーナと同い年にでも、はたまた、年配にも見える。
その一因は、肌艶だ。ガサガサに荒れた肌に、全く化粧気のなさ。
目は落ち窪んで、隈が目立つ。ただ、鈍く光る青い目は抜け目なくギョロリとして、思わず身が竦んでしまう。
傷んだ髪は赤茶色で、ところどころ白髪が混じっていた。
ブライス家のメイドは、上流らしく誰しもが身なりに気を使っている。白髪混じりはともかく、纏めた髪がほつれるなど以ての外、服の皺一つにさえ目を光らせているはず。
だが、今、リリアーナの前にいるメイドときたら、どことなくだらしなく感じる。
リリアーナの中で、危険を報せる合図が点滅した。
「あなた、この屋敷のメイドではないわね? 」
すると、そのメイドは否定もせず、皮の剥けた唇をニタリと斜めに吊った。
「成程。警戒心のないバカな小娘かと思ってたけど」
ガラガラに掠れた声からは、女性特有の高さはない。
「ハッサム男爵家の令嬢リリアーナ・ラーナ」
ハスキーな声で呼ばれたかと思えば、口元にハンカチーフを押し付けられる。
「ん! んん! 」
かろうじて鼻からは息が吸えるが声を封じ込められた。
鳩尾を物凄い力が入る。
「……! 」
衝撃を感じる間もなく、目の前が暗転した。
36
お気に入りに追加
307
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる