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小動物の瞳

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 母の心配は杞憂となった。
 それ以降、妙な嫌がらせを受けることはなかった。
 飼い猫同然だった三毛が凄惨な目に遭ったことは、ハッサム邸の誰しもに昏い影を落としたが、それも日が経つにつれて次第に元の日常を取り戻していく。
 しばらくはショックで食事も摂れないリリアーナだったが、何とか元の食事量に戻ってきた。
 そこで、ようやくザカリスに顛末を話した。
 渦中で彼を巻き込みたくはなかったから。
「何故、早く言わないんだ! 」
 ザカリスは憤怒した。
 久しぶりのロナルド邸の図書室で、テーブルを挟んで向かい合ったザカリスは、興奮して鼻息荒く、どんと拳で天板を叩いた。
「わかっていたなら、伝手でお前を護衛させたのに! 」
「で、でも。私は無事だったし」
 予想外の怒りに萎縮したリリアーナは、弱々しく反論する。
「おかしいと思ったんだ! お前はなかなかうちには来ないし。てっきり、月のものが来なくて、思い悩んでいるとばかり」
「それなら、先週来ました」
「そ、そうか」
 ザカリスはやや頬を赤らめ、ぷいと顔を背ける。
 どうやら彼は、あのときのことを反芻しているらしい。
 つられてリリアーナの耳朶も熱を持つ。
 赤ん坊が出来ても不思議ではないくらいの交わりだった。
 しかし、神様はどうやらまだその時期には早いと判断したようだ。
 ごほん、とザカリスはわざとらしい咳払いで会話の修正をはかった。
「しかし、相当な嫌がらせだな。思い当たる人物といえば、レイラしかいないが」
 猫を八つ裂きにして放置するなんて、尋常ではない。
 リリアーナは、あのレイラならやりかねないとこっそり思った。
 死に戻る前、仮面舞踏会の夜、レイラは躊躇いなく銃口をリリアーナとザカリスに向けた。ザカリスからの愛情がないとわかると、引き金を引いたのだ。
 銃の扱いはそう簡単ではない。手振れがして、狙いを外してしまう。
 が、レイラは心臓を狙い撃ちした。
 訓練を積んだのは間違いなさそうだ。
 レイラのザカリスに対する執念は凄まじい。
「いや。レイラだけとは限らないか」
 ぶつぶつとザカリスは口中で、疑いのある者の名を幾つか挙げた。
 リリアーナのこめかみがひくつく。
「一体、どれほどの女性を泣かせてきたのですか? 」
「俺が言いたいのは、色恋以外の可能性だ」
 機嫌を損ねたザカリスは、ムスッとして言い返した。
「お前に恋慕する男の、捻じ曲がった愛情表現かも知れないじゃないか」
「ありえません」
「何故、言い切れる? 」
「だって。私はモテないんですもの」
「何を根拠に」
「私は壁の花だったのよ」
 リリアーナは小さな口を尖らせてむくれた。
 夜会では誰も声を掛けてはこない。
 華もなく地味で、色気なんてあったものではない。
 ザカリスが堕ちたのも、リリアーナが執拗に思いの丈をぶつけたからだ。
 言うなれば、リリアーナの掛けた術に嵌ってしまったのだ。
「それは、このロナルド男爵ザカリス・メイジャーに喧嘩を売ろうなんて強気なやつは、社交界にいるわけがないからな」
 せっかく整えた髪をガシガシかくと、ザカリスはうなじの汗を手の甲で拭う。
「……? 」
 ザカリスが思わせるぶりに一瞥を寄越して来たが、リリアーナこれっぽっちも理解っていない。
 くりくりした瞳で小首を傾げる姿は小動物のようで、庇護欲をそそられる。
 当時、ザカリスは恋愛感情など微塵もなかったが、純粋無垢を不埒な輩から守らなければといった使命にかられ、下心満載の男らを敵視し、彼女の騎士となっていた。
 結果的にその睨みで男らを遠ざけ、彼女を壁の花へと追いやってしまったのだが。
 リリアーナは己を過小評価することとなった。
 ザカリスは罪悪感と、彼女を手に入れた優越感とが混じる薄笑いを浮かべた。
 
 


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