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悪意のある日
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「きゃああああ! 」
突如、玄関先で上がった悲鳴は、若い掃除メイドのものだ。
まだ奉公に不慣れなこの若いメイドは、廊下をモップ掛けしていたらバケツはひっくり返す、花瓶を粉々に砕く、蜘蛛の巣取りをしていたら顔に蜘蛛がついたと喚き散らすと、落ち着きない娘ではあるが。
今朝の悲鳴は、誰が聞いても異常な響きを持っている。
「な、何だ! どうした! 」
あまりの叫びに、家令はおろか、ハッサム男爵直々に玄関まで飛び出してきた。夫人や一人娘まで引き連れて。
「こ、これは! 」
リリアーナの父は息を呑んだ。
母は、たちまち顔から色を抜いてよろめく。
両親の背中越しにそれを見たリリアーナは絶句した。
三毛猫がずたずたに切り裂かれ、死骸と化して門前に放置されていた。
ハッサム邸に出入りし、使用人らに可愛がられていた野良猫である。あんまり可愛がられて、名前までつけられ、すでに飼い猫同然だった。
晴れた日にテラスで本を読んでいたリリアーナも、その野良猫のことはよく知っており、可愛らしい声で餌を要求するものだから、厨房からよくお菓子を頂戴して与えたりしていた。
それが、今朝、無惨な姿に変貌していた。
単なる怪我や、仲間内との喧嘩の果てではない。
明らかに鋭利な刃物が入っている。
「ま、前から門の前にゴミを撒かれる嫌がらせはあったのですが」
掃除メイドは泣き腫らした目で口にした。
「何だと! 」
たちまち父の顔つきが変わる。
リリアーナとよく似た灰褐色の瞳が揺らいだ。
「どうして黙っていた! 」
いつもは温和で通るハッサム男爵だが、今回はそれが潜み、喉彦が震えるくらいに声を張り上げた。
貴族にありがちな肥えた体型ではなく、元々の体質なのか、マッチ棒のような貧弱な体の、どこからそれほどまでに大声が出せるのか。
怒鳴り散らさたメイドは、びりびりと全身を痙攣させた。
「そ、それは。お嬢様への些細な嫌がらせかと」
語尾が弱々しい。
メイドが含んでいるのは、リリアーナがザカリスと婚約したことでもたらされた弊害ではないかとの疑いだ。
社交界では次々と優良に相手が見つかり、見目良し地位良し財産ありの貴族の男は限られてきた。
四十間近いジョナサン男爵が、二十以上も下の小娘を娶ってから、特に独身の女らの目の色が変わり出した。切迫した色が顕著だ。
そして今、令嬢らが照準を定めたのが、ザカリスだった。
その彼も、ついに先日、婚約した。
令嬢らが嫉妬しないわけがない。
特にザカリスは、あちらこちらで愛を撒き散らしてきた身。
リリアーナが妬まれることは、あり得ない話ではない。
「リリアーナ。決して外に出歩いては行けないよ」
猫を丁寧に葬るよう命じてから、父はリリアーナに言い聞かせた。
「ザカリス様にも会えないの? 」
せっかく婚約を交わしたのに。
彼とは逢引きすらしたことがなかったため、これから彼と訪ねたい場所を指を折って考えていたのに。
「お前にもしものことがあれば、彼は悲しむどころではない」
「そうよ、リリアーナ。ようやく、ユリアーノとの約束が叶うのよ」
父の台詞に、母も重ねる。
「だけど。間もなく仮面舞踏会だわ」
リリアーナとザカリスの命を奪った因縁の日まで間もなく。
ザカリスを失わないために、今まで奔走してきた。
当日、リリアーナが不参加では、今までが水の泡となる。
ザカリスを守らなければ。
「しばらく様子を見て、参加するか決めましょう」
両親にとって上級貴族とお近づきになる願ってもない好機だが、娘の命がかかっているなら別だ。
「警察に報告しましょう。何かあってからでは遅いわ」
「いや、無駄だ。警察は、コトが起こってからでしか動かない」
治安のよろしくない国では、警察の手はまだまだ足りない。
リリアーナの護衛など、国王に近しい者でない限り、期待出来ない。
「何も起こらなければ良いけど」
母は様々なことを考えながら、ポツリと呟いた。
突如、玄関先で上がった悲鳴は、若い掃除メイドのものだ。
まだ奉公に不慣れなこの若いメイドは、廊下をモップ掛けしていたらバケツはひっくり返す、花瓶を粉々に砕く、蜘蛛の巣取りをしていたら顔に蜘蛛がついたと喚き散らすと、落ち着きない娘ではあるが。
今朝の悲鳴は、誰が聞いても異常な響きを持っている。
「な、何だ! どうした! 」
あまりの叫びに、家令はおろか、ハッサム男爵直々に玄関まで飛び出してきた。夫人や一人娘まで引き連れて。
「こ、これは! 」
リリアーナの父は息を呑んだ。
母は、たちまち顔から色を抜いてよろめく。
両親の背中越しにそれを見たリリアーナは絶句した。
三毛猫がずたずたに切り裂かれ、死骸と化して門前に放置されていた。
ハッサム邸に出入りし、使用人らに可愛がられていた野良猫である。あんまり可愛がられて、名前までつけられ、すでに飼い猫同然だった。
晴れた日にテラスで本を読んでいたリリアーナも、その野良猫のことはよく知っており、可愛らしい声で餌を要求するものだから、厨房からよくお菓子を頂戴して与えたりしていた。
それが、今朝、無惨な姿に変貌していた。
単なる怪我や、仲間内との喧嘩の果てではない。
明らかに鋭利な刃物が入っている。
「ま、前から門の前にゴミを撒かれる嫌がらせはあったのですが」
掃除メイドは泣き腫らした目で口にした。
「何だと! 」
たちまち父の顔つきが変わる。
リリアーナとよく似た灰褐色の瞳が揺らいだ。
「どうして黙っていた! 」
いつもは温和で通るハッサム男爵だが、今回はそれが潜み、喉彦が震えるくらいに声を張り上げた。
貴族にありがちな肥えた体型ではなく、元々の体質なのか、マッチ棒のような貧弱な体の、どこからそれほどまでに大声が出せるのか。
怒鳴り散らさたメイドは、びりびりと全身を痙攣させた。
「そ、それは。お嬢様への些細な嫌がらせかと」
語尾が弱々しい。
メイドが含んでいるのは、リリアーナがザカリスと婚約したことでもたらされた弊害ではないかとの疑いだ。
社交界では次々と優良に相手が見つかり、見目良し地位良し財産ありの貴族の男は限られてきた。
四十間近いジョナサン男爵が、二十以上も下の小娘を娶ってから、特に独身の女らの目の色が変わり出した。切迫した色が顕著だ。
そして今、令嬢らが照準を定めたのが、ザカリスだった。
その彼も、ついに先日、婚約した。
令嬢らが嫉妬しないわけがない。
特にザカリスは、あちらこちらで愛を撒き散らしてきた身。
リリアーナが妬まれることは、あり得ない話ではない。
「リリアーナ。決して外に出歩いては行けないよ」
猫を丁寧に葬るよう命じてから、父はリリアーナに言い聞かせた。
「ザカリス様にも会えないの? 」
せっかく婚約を交わしたのに。
彼とは逢引きすらしたことがなかったため、これから彼と訪ねたい場所を指を折って考えていたのに。
「お前にもしものことがあれば、彼は悲しむどころではない」
「そうよ、リリアーナ。ようやく、ユリアーノとの約束が叶うのよ」
父の台詞に、母も重ねる。
「だけど。間もなく仮面舞踏会だわ」
リリアーナとザカリスの命を奪った因縁の日まで間もなく。
ザカリスを失わないために、今まで奔走してきた。
当日、リリアーナが不参加では、今までが水の泡となる。
ザカリスを守らなければ。
「しばらく様子を見て、参加するか決めましょう」
両親にとって上級貴族とお近づきになる願ってもない好機だが、娘の命がかかっているなら別だ。
「警察に報告しましょう。何かあってからでは遅いわ」
「いや、無駄だ。警察は、コトが起こってからでしか動かない」
治安のよろしくない国では、警察の手はまだまだ足りない。
リリアーナの護衛など、国王に近しい者でない限り、期待出来ない。
「何も起こらなければ良いけど」
母は様々なことを考えながら、ポツリと呟いた。
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