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蠱惑の仮面舞踏会
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仮面舞踏会は、淫靡な空気に包まれている。
半音下がる楽団の音色は、二回目であろうとやはり耳慣れない。
天井の大半を占める豪奢なシャンデリアも、さほど多くはない招待客のために嫌でも耳に入る卑猥な会話も、何もかも調子はずれ。
リリアーナは、両親がこの日のために用意した青藤色の首元が詰まったドレスを身につけて、いつもは下ろしている髪を夜会巻きにしている。燃えるように赤い髪には、ネックレスと同じ真珠の髪飾り。一見すると地味だが、背中が大胆に開いて、婀娜な空気を纏っていた。
ザカリスと婚約中の身。もう一人前のレディである。母は彼女が出来る限り大人っぽく見られるよう仕上げた。
実際、彼女は男らの目を惹いた。
オレンジのライトに照らされ、気怠げに壁に凭れるリリアーナは、妖艶そのもの。
パートナーを連れた男らは、彼女の前を通り過ぎるたびに自分の連れと見比べて、悔いた顔で溜め息をついた。
「ねえ。あなたも、どなたかを狙ってらっしゃるの? 」
壁の花となっているのは、リリアーナだけではない。
菫色のドレス姿の、リリアーナと同じ年くらいの令嬢が囁いてきた。
誰からも声をかけられず、退屈凌ぎのようだ。
「私はあの方よ。ブライス伯爵」
彼女の目線の先では、入り口で招待客をもてなす青年の姿があった。
燕尾服を着こなす漆黒の髪の男。宝石を散らしたアイマスクで覆っているので、顔は判別しない。
が、彼はブライス伯爵にしたら痩せているし、雰囲気がどことなく柔らかい。まるで草食動物のよう。対する伯爵は肉食動物そのもので、野生の雄のように荒々しい。
彼は丸切りの別人だ、
菫色のドレスのこの令嬢は、一体何を見ているのだろう。
だが、令嬢の興味はもう伯爵から別に移っている。
「見て。アニストン家のご令嬢だわ。このような場にいらっしゃるなんて」
「え? 」
視線の先には、豊満な胸がこれでもかと目立つ、襟ぐりの開いたデザインの真っ赤なドレスの令嬢がいた。
ドレスと同じ色の仮面をつけているが、放つオーラが凄い。圧倒される。彼女を一目見ただけで、シャンと背筋が伸びた。
どれほど色気を出そうとしたところで、彼女を相手にすれば、リリアーナなんてまだまだお子様扱いだ。落ち込んでしまう。
「お堅いくせに。とうとうプライドを捨てて、男漁りかしら? 」
菫色ドレスの令嬢は鼻で笑った。
アニストン家の令嬢の凛々としたオーラと、男漁りなんて言葉は、ちぐはぐ過ぎて違和感すらある。
すでに真横では、意識は別を向いていた。
「あら、あれはロナルド卿ね」
いた!
リリアーナが目線をキョロキョロさせても、なかなか見当たらなかったのに。
彼の方から現れた。給仕を呼び止め、酒を頂戴している。
スラリとした体躯は、燕尾服がよく似合う。
機嫌良く周りの人と軽く挨拶を交わす姿は、リリアーナに見せるムスッとした顔はどこへやら。好青年そのもの。
若い娘らが黄色い声を上げるのもわからないでもない。
「か、彼は駄目よ。婚約中よ」
「わかってるわ。それに、彼はこちらからお断りよ」
「ど、どうして? 」
「彼、なかなかあちらがしつこいのよね」
「あちら? 」
「いやだ。純情ぶって。ベッドの話よ」
菫色ドレスの令嬢は、ニヤリといやらしく頬を歪めた。
「か、彼と寝たの? 」
リリアーナの口端がピクピクとひくつく。咄嗟に扇を広げて口元を隠した。
ザカリスは、一体どれほどの女性に手を出して来たのだろう。
リリアーナの心に落とされた一点の黒い染みが、じわじわと広がっていき、全身へと行き渡っていく。
「四月の中頃のことよ。一度きりよ。彼ったら、執拗に責めてくるし。それに、ベッドで別の女性と重ねてるのよ。最低」
「べ、別の女性を? 」
またもや、リリアーナの口が引き攣れる。
「ええ。名前を間違えるのよ。信じられない」
「そ、その女性の名前は? 」
リリアーナとの情事の際は、さすがに無礼は働かなかったが。
聞き捨てて良い話題ではない。
リリアーナの目がこめかみにつくくらい尖って、その言葉を深掘りする。
「あんな屈辱、忘れもしないわ」
菫色ドレスの令嬢は、悔しくて堪らないと、奥歯をギリギリ擦って、足をだん、と鳴らした。
「リリアーナよ」
「リリアーナ! 」
ザカリスの驚愕した声が被った。
半音下がる楽団の音色は、二回目であろうとやはり耳慣れない。
天井の大半を占める豪奢なシャンデリアも、さほど多くはない招待客のために嫌でも耳に入る卑猥な会話も、何もかも調子はずれ。
リリアーナは、両親がこの日のために用意した青藤色の首元が詰まったドレスを身につけて、いつもは下ろしている髪を夜会巻きにしている。燃えるように赤い髪には、ネックレスと同じ真珠の髪飾り。一見すると地味だが、背中が大胆に開いて、婀娜な空気を纏っていた。
ザカリスと婚約中の身。もう一人前のレディである。母は彼女が出来る限り大人っぽく見られるよう仕上げた。
実際、彼女は男らの目を惹いた。
オレンジのライトに照らされ、気怠げに壁に凭れるリリアーナは、妖艶そのもの。
パートナーを連れた男らは、彼女の前を通り過ぎるたびに自分の連れと見比べて、悔いた顔で溜め息をついた。
「ねえ。あなたも、どなたかを狙ってらっしゃるの? 」
壁の花となっているのは、リリアーナだけではない。
菫色のドレス姿の、リリアーナと同じ年くらいの令嬢が囁いてきた。
誰からも声をかけられず、退屈凌ぎのようだ。
「私はあの方よ。ブライス伯爵」
彼女の目線の先では、入り口で招待客をもてなす青年の姿があった。
燕尾服を着こなす漆黒の髪の男。宝石を散らしたアイマスクで覆っているので、顔は判別しない。
が、彼はブライス伯爵にしたら痩せているし、雰囲気がどことなく柔らかい。まるで草食動物のよう。対する伯爵は肉食動物そのもので、野生の雄のように荒々しい。
彼は丸切りの別人だ、
菫色のドレスのこの令嬢は、一体何を見ているのだろう。
だが、令嬢の興味はもう伯爵から別に移っている。
「見て。アニストン家のご令嬢だわ。このような場にいらっしゃるなんて」
「え? 」
視線の先には、豊満な胸がこれでもかと目立つ、襟ぐりの開いたデザインの真っ赤なドレスの令嬢がいた。
ドレスと同じ色の仮面をつけているが、放つオーラが凄い。圧倒される。彼女を一目見ただけで、シャンと背筋が伸びた。
どれほど色気を出そうとしたところで、彼女を相手にすれば、リリアーナなんてまだまだお子様扱いだ。落ち込んでしまう。
「お堅いくせに。とうとうプライドを捨てて、男漁りかしら? 」
菫色ドレスの令嬢は鼻で笑った。
アニストン家の令嬢の凛々としたオーラと、男漁りなんて言葉は、ちぐはぐ過ぎて違和感すらある。
すでに真横では、意識は別を向いていた。
「あら、あれはロナルド卿ね」
いた!
リリアーナが目線をキョロキョロさせても、なかなか見当たらなかったのに。
彼の方から現れた。給仕を呼び止め、酒を頂戴している。
スラリとした体躯は、燕尾服がよく似合う。
機嫌良く周りの人と軽く挨拶を交わす姿は、リリアーナに見せるムスッとした顔はどこへやら。好青年そのもの。
若い娘らが黄色い声を上げるのもわからないでもない。
「か、彼は駄目よ。婚約中よ」
「わかってるわ。それに、彼はこちらからお断りよ」
「ど、どうして? 」
「彼、なかなかあちらがしつこいのよね」
「あちら? 」
「いやだ。純情ぶって。ベッドの話よ」
菫色ドレスの令嬢は、ニヤリといやらしく頬を歪めた。
「か、彼と寝たの? 」
リリアーナの口端がピクピクとひくつく。咄嗟に扇を広げて口元を隠した。
ザカリスは、一体どれほどの女性に手を出して来たのだろう。
リリアーナの心に落とされた一点の黒い染みが、じわじわと広がっていき、全身へと行き渡っていく。
「四月の中頃のことよ。一度きりよ。彼ったら、執拗に責めてくるし。それに、ベッドで別の女性と重ねてるのよ。最低」
「べ、別の女性を? 」
またもや、リリアーナの口が引き攣れる。
「ええ。名前を間違えるのよ。信じられない」
「そ、その女性の名前は? 」
リリアーナとの情事の際は、さすがに無礼は働かなかったが。
聞き捨てて良い話題ではない。
リリアーナの目がこめかみにつくくらい尖って、その言葉を深掘りする。
「あんな屈辱、忘れもしないわ」
菫色ドレスの令嬢は、悔しくて堪らないと、奥歯をギリギリ擦って、足をだん、と鳴らした。
「リリアーナよ」
「リリアーナ! 」
ザカリスの驚愕した声が被った。
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