上 下
31 / 71

暗雲低迷

しおりを挟む
 おかしい! 
 リリアーナが気づいたときには、ケロッグの馬車は鬱蒼とした森の中へと入って行くところだった。
 生い茂る針葉樹を切り拓いて造られた道は、あまり人の手が入っていないのか、舗装がされずにガタガタしている。車輪に小石が噛むごとに、車体が大きく跳ね上がった。
「ど、どこへ連れて行くつもりですか? 」
 リリアーナは蒼白になり、膝が戦慄くのを止められない。恐ろしい考えが、森を進むごとに膨らんでいき、歯の根がかちかち鳴った。
「ハッサムの屋敷に帰してくれるのではなくて? 」
 老紳士の見た目にすっかり騙されてしまった。
 カバのように、おっとりした優しい雰囲気の方。
 しかしカバは毎年五百と人間を噛み殺す、凶暴な哺乳類だ。一噛みで、一溜まりもない。
 油断した。
「帰しますよ、勿論」
 ケロッグは弾む車体のせいで体を上下させながら、ニンマリと頬肉を歪ませる。
「では、早く帰して」
 リリアーナの睨みなど、この男は何ら気にしてはいない。
「なあに。まだ黄昏時まで時間がある。寄り道くらいは、構わないだろう? 」
「これは、れっきとした誘拐ですよ」
「滅多なことを言うものではない。単なる、我が家への招待だ」
 ケロッグは済まして言った。
 彼は養豚業を営んでいると言っていた。貴族の令嬢を誘拐・監禁などと世間に知れ渡れば、会社の存続に深く関わる。余程の馬鹿ではない限り、愚かなことにはならないはず。
 リリアーナは曖昧な算段に、取り敢ず己を納得させる。
 そうでなければ、発狂してしまいかねなかった。
「あんた、あのロナルドにかなり可愛がられているのだな」
「嫌われているの間違いです」
 リリアーナは即座に否定する。
 その返答に、ケロッグは不服そうに鼻を鳴らした。
「そんなことで誤魔化したつもりか? 」
「何が仰りたいの? 」
「まだ白を切るつもりか」
 またもや、カバのように大きな鼻の穴から息が漏れる。
「迷路で君達はキスを交わしていただろう? 」
「……! 」
 見られていた! 
 人の通りのないところだからと思っていたのに。
「私の可愛い可愛いル・シャットが、君らに嫉妬をしてな。だから私が、少々、君を懲らしめてやろうと思ってな」
 ケロッグにはどうやら可愛がっている女性がいるらしい。
 このような誘拐スレスレの行為も、その女性のためだ。
「随分と猫可愛がりなんですね」 
「ああ。今、一番のお気に入りの愛玩動物だよ」
 動物に例える時点で、この男が女性をどのような目で見ているかわかる。
 リリアーナは軽蔑し、睨んだ。
「それで、その猫はいらっしゃるの? 」
「うちの猫は、使い古しの家畜小屋になど寄り付かんよ」
 これからどこに連れて行かれるかも判明する。
 およそ招待をするべき場所ではないことを。
「今後は私の猫の機嫌を損ねることはやめておくれ」
「随分と身勝手ね」   
 リリアーナの、いつもは穏やかな灰褐色の瞳に火が点く。火は灰を赤く色づかせた。
「私に、ザカリス様に近寄るなと言いたいのね? 」
「見かけによらず、物分かりの良い娘だな」
 小娘の睨みなど意に介さず、ケロッグはせせら笑う。
「お前も、わしのペットに加えてやろうか? 」
「結構よ! 」
「それは残念」
 ケロッグは頬をたるませた。
「ロナルドに速達を送った。後は、あの男の采配だな」
 監禁ではなく、あくまで招待であることをケロッグは示唆した。
「果たして、来るのか、来ないのか」
 そもそも、今頃はイメルダとベッドでよろしくやっているはずだから、速達が彼の手に届くことすら危うい。
 リリアーナは涙を堪えて鼻を啜った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...