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恋の始まり2(回想)
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「おい! 何をしている! 」
響きのあるアルトの声が割って入った。
女子にしてはやや低く、男子にしては甲高い。
変声期直前の、若々しい少年の声。
「何だ、お前は? 」
熊男は、ギロリと第三者を睨みつけた。
「その娘を離せ! 」
ボブカットした艶のある黒味がかった茶色い髪、青緑色の眼差しは白い肌に映え、成長真っ盛りにいる、まだあまり高くない身長。
漆黒のズボンだから、少年に違いない。
が、喉仏が出ていないから、一見すると活発な令嬢に見えなくもない。
だが、熊男らの会話で、やはり少年であると判明する。
「ははは。まだガキじゃねえか」
「うるさい! 俺はもう十四だ! 」
「まだ声変わりもしていないガキが」
「黙れ! 」
少年は素早くリリアーナまで駆け寄ると、彼女の楯となった。幼いリリアーナは、すっぽりと少年の背中に隠れた。
「わしに楯突く気か? 」
ニヤリと男が黄色い歯を剥く。
少年は拳を握るなり、ファイテングポーズをとる。
「黙れ! 俺はこれでも腕っぷしはある方だ! 」
「抜かせ」
「お前のような熊男をボクシングで負かせたこともあるんだからな! 」
「ふざけたガキめ! 」
いきなり熊男が握り拳を繰り出した。
リリアーナの顔ほどある大きな毛むくじゃらの拳だ。風を切る音が重々しい。そんなものを腹に受ければ、内臓が捻られてしまう。
「危ない! 」
リリアーナは思わず両手で顔を覆った。
目の前をヒュン、と風が横切る。
恐る恐る指の間から覗いてみれば、少年はひらりひらりと拳を余裕でかわしていた。息切れ一つしていない。
対する男は、顔を真っ赤にして鼻からは荒々しく湯気を吹いている。
歯を食い縛り、男は拳を振り下ろす。
少年はまたもやヒラリと体を捻った。
彼は長い脚を伸ばした。
興奮した男が、脇目もふらず少年目指して走り、その脚に引っかかった。
「うおおおお! 」
勢いつけて男は一回転し、仰向けに倒れ込んだ。
少年がパンチを繰り出すまでもなく、熊男は気絶した。
「ザカリス! どうした! 」
熊男が転んだ物凄い地響きに、何事かと駆け寄ってきた参列者達は、その奇妙な光景に誰しもが硬直せざるを得なかった。
大柄な男が仰向けで気絶し、少年は済ました顔で乱れたシャツの襟首を直し、幼いリリアーナはえんえんと泣き喚いている。
「誘拐未遂だ! 」
少年は駆け寄ってきた大人達にピシャリと告げた。
「何だと! 」
リリアーナの父が青ざめる。
「リリアーナ! 」
リリアーナの母が娘を抱きしめた。
「わああああん! 」
一連の出来事が脳内で処理出来ないリリアーナは、とにかく泣いて、泣いて、どくどくと心音の跳ねる母の胸に顔を埋めた。
「ザカリス様。あなたは娘の恩人だわ」
リリアーナの母は涙を零し、少年に頭を下げた。
「ザカリス様……」
リリアーナは、その名を頭に刻み込んだ。
絵本の中から飛び出した王子様。
彼女の中で、何かが弾けた。
「よく耐えたな。偉いぞ」
ザカリスは腰を屈めてリリアーナに目線を合わせると、ふわりと優しく微笑む。
リリアーナの王子様。
リリアーナの胸がぽうっ、と熱くなる。
「きっと、亡くなった母が呼んだのだと思います」
ザカリスはリリアーナの母へ顔を向けるなり、真剣な声音でそんなことを言っている。
「本来なら、ここは素通りする場所なのに。何故か気になってしまって、戻って来たら」
リリアーナの母は大きく頷いた。
「ユリアーノは、リリアーナをとても可愛がっていたから。きっと、助けるようにとあなたに告げたんだわ」
「そうかも知れませんね。この子のことは、よく母からの手紙で知っていました」
「ユリアーノは、リリアーナを娘同然に可愛いがってくれていたわ」
「はい。子供は俺だけだから、次は女の子が欲しいとよく言っていました」
それから、再び視線をリリアーナへ。
目が合って、リリアーナは赤面する。
「ユリアーノは、いづれ、あなた達が一緒になってくれたらと」
「それは、まだまだ遠い未来の話ですよ」
ザカリスは勝手に進む母らの空想に苦笑する。
「私、ザカリス様のお嫁さんになりたいわ」
そのとき、リリアーナは決意した。
ザカリスの嫁になる。
彼女の一途な想いは、この日から始まった。
「そうね。あなたとザカリス様が未来で同じ気持ちだったらね」
うっとりと母は同調し、母娘は遠い未来に想いを馳せた。
ザカリスは再び寄宿学校へと戻り、リリアーナは寂しさと、それを上回るほどの恋慕を積み重ねていった。
彼が十八で卒業し、再び屋敷に戻って来たとき、リリアーナの知る少年の姿を一切、失っていた。
変声期を終えてアルトの高さはなくなり、背も高い。鍛え抜かれた筋肉質な体躯は、線の細さなど皆無。手も倍以上に大きくなって、ごつごつと節張っている。あのときなかった喉仏。
だけど変わらない、青緑色の優しい眼差し。
彼は、リリアーナが描いた王子様ではなくなっていたが、大人になった彼こそが彼女の理想の男性像そのものとなるのだった。
響きのあるアルトの声が割って入った。
女子にしてはやや低く、男子にしては甲高い。
変声期直前の、若々しい少年の声。
「何だ、お前は? 」
熊男は、ギロリと第三者を睨みつけた。
「その娘を離せ! 」
ボブカットした艶のある黒味がかった茶色い髪、青緑色の眼差しは白い肌に映え、成長真っ盛りにいる、まだあまり高くない身長。
漆黒のズボンだから、少年に違いない。
が、喉仏が出ていないから、一見すると活発な令嬢に見えなくもない。
だが、熊男らの会話で、やはり少年であると判明する。
「ははは。まだガキじゃねえか」
「うるさい! 俺はもう十四だ! 」
「まだ声変わりもしていないガキが」
「黙れ! 」
少年は素早くリリアーナまで駆け寄ると、彼女の楯となった。幼いリリアーナは、すっぽりと少年の背中に隠れた。
「わしに楯突く気か? 」
ニヤリと男が黄色い歯を剥く。
少年は拳を握るなり、ファイテングポーズをとる。
「黙れ! 俺はこれでも腕っぷしはある方だ! 」
「抜かせ」
「お前のような熊男をボクシングで負かせたこともあるんだからな! 」
「ふざけたガキめ! 」
いきなり熊男が握り拳を繰り出した。
リリアーナの顔ほどある大きな毛むくじゃらの拳だ。風を切る音が重々しい。そんなものを腹に受ければ、内臓が捻られてしまう。
「危ない! 」
リリアーナは思わず両手で顔を覆った。
目の前をヒュン、と風が横切る。
恐る恐る指の間から覗いてみれば、少年はひらりひらりと拳を余裕でかわしていた。息切れ一つしていない。
対する男は、顔を真っ赤にして鼻からは荒々しく湯気を吹いている。
歯を食い縛り、男は拳を振り下ろす。
少年はまたもやヒラリと体を捻った。
彼は長い脚を伸ばした。
興奮した男が、脇目もふらず少年目指して走り、その脚に引っかかった。
「うおおおお! 」
勢いつけて男は一回転し、仰向けに倒れ込んだ。
少年がパンチを繰り出すまでもなく、熊男は気絶した。
「ザカリス! どうした! 」
熊男が転んだ物凄い地響きに、何事かと駆け寄ってきた参列者達は、その奇妙な光景に誰しもが硬直せざるを得なかった。
大柄な男が仰向けで気絶し、少年は済ました顔で乱れたシャツの襟首を直し、幼いリリアーナはえんえんと泣き喚いている。
「誘拐未遂だ! 」
少年は駆け寄ってきた大人達にピシャリと告げた。
「何だと! 」
リリアーナの父が青ざめる。
「リリアーナ! 」
リリアーナの母が娘を抱きしめた。
「わああああん! 」
一連の出来事が脳内で処理出来ないリリアーナは、とにかく泣いて、泣いて、どくどくと心音の跳ねる母の胸に顔を埋めた。
「ザカリス様。あなたは娘の恩人だわ」
リリアーナの母は涙を零し、少年に頭を下げた。
「ザカリス様……」
リリアーナは、その名を頭に刻み込んだ。
絵本の中から飛び出した王子様。
彼女の中で、何かが弾けた。
「よく耐えたな。偉いぞ」
ザカリスは腰を屈めてリリアーナに目線を合わせると、ふわりと優しく微笑む。
リリアーナの王子様。
リリアーナの胸がぽうっ、と熱くなる。
「きっと、亡くなった母が呼んだのだと思います」
ザカリスはリリアーナの母へ顔を向けるなり、真剣な声音でそんなことを言っている。
「本来なら、ここは素通りする場所なのに。何故か気になってしまって、戻って来たら」
リリアーナの母は大きく頷いた。
「ユリアーノは、リリアーナをとても可愛がっていたから。きっと、助けるようにとあなたに告げたんだわ」
「そうかも知れませんね。この子のことは、よく母からの手紙で知っていました」
「ユリアーノは、リリアーナを娘同然に可愛いがってくれていたわ」
「はい。子供は俺だけだから、次は女の子が欲しいとよく言っていました」
それから、再び視線をリリアーナへ。
目が合って、リリアーナは赤面する。
「ユリアーノは、いづれ、あなた達が一緒になってくれたらと」
「それは、まだまだ遠い未来の話ですよ」
ザカリスは勝手に進む母らの空想に苦笑する。
「私、ザカリス様のお嫁さんになりたいわ」
そのとき、リリアーナは決意した。
ザカリスの嫁になる。
彼女の一途な想いは、この日から始まった。
「そうね。あなたとザカリス様が未来で同じ気持ちだったらね」
うっとりと母は同調し、母娘は遠い未来に想いを馳せた。
ザカリスは再び寄宿学校へと戻り、リリアーナは寂しさと、それを上回るほどの恋慕を積み重ねていった。
彼が十八で卒業し、再び屋敷に戻って来たとき、リリアーナの知る少年の姿を一切、失っていた。
変声期を終えてアルトの高さはなくなり、背も高い。鍛え抜かれた筋肉質な体躯は、線の細さなど皆無。手も倍以上に大きくなって、ごつごつと節張っている。あのときなかった喉仏。
だけど変わらない、青緑色の優しい眼差し。
彼は、リリアーナが描いた王子様ではなくなっていたが、大人になった彼こそが彼女の理想の男性像そのものとなるのだった。
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