6 / 26
ふとした疑問
しおりを挟む
勘定を済ませ、店を出たあたりでライナードは大きく伸びをした。
午後ともなれば店の並ぶ路地は若者でごった返している。
だが、平日の昼前といった中途半端な時間帯では、散歩する乳母車の母親とたまに擦れ違う程度で、シンとしている。沿道を走る馬車の数も知れている。
秋には見事な彩りをみせる銀杏の並木に添って黙々と足を進める。
半歩先を行く幅の広い背中。間近に拝めるだけでも、他の女連中より抜きん出ている。ちょっとした優越感が芽生え、レイノリアはようやく溜飲を下げた。
その広い背中が不意にぴたりと止まる。
「ところで。レイノリア・リュー」
振り返ったライナードは、心なしか頬の筋肉が固くなっている。
「お前、最近どうだ? 」
「え? 」
目を瞬かせたレイノリアに、明らかにしまったとライナードは額をぺちんと叩いた。すぐさま身振り手振りを加え、焦ったように補足する。
「いや。その。最近、困ってることとかないか? 」
「特には」
「そ、そうか」
空咳し、露骨に視線を逸らす。
隠し事をしているのは明らかだ。
不審に鼻に皺を寄せるレイノリアに、またしてもライナードは空咳でわざとらしく誤魔化した。
「何かあったら、すぐに俺に言えよ」
ぐしゃぐしゃに髪を撫で回された。
慣れたはずだが、今回は状況が違う。
職場ではない。
カッとレイノリアは首筋まで朱に染めた。
それでもライナードは気にする素振りすら見せず、体を反転させると再び足を進めた。
歩幅が狭くなったのは気のせいではない。レイノリアは小走りになり、真横に立つ。
並んだ靴のサイズは倍ほどある。そのことに気をとられ、あっと思ったときには隊長の家へと続く曲がり角を過ぎていた。
「隊長、過ぎましたよ? 」
「いやいや。俺もこっちに用事があってな。ついでだ」
左折し、昔ながらの路地を直進すれば、公爵家借り上げの宿屋がある。公爵邸に隣接していた職員寮は老朽化による建て替えで、来年の春に完成予定だ。それまでは、年配は公爵邸近辺に、若い連中は徒歩圏内にと散り散りだ。
三階の角部屋のバルコニーには、見慣れたレイノリアの洗濯物が物干し竿に掛かっていた。昨日の出勤前に忘れて、一晩中出しっぱなしだ。
見上げながら、ライナードは目を眇める。
「洗濯物、ちゃんと取り込んでおけよ。誰かに盗まれたら大変だ」
「ウブな娘じゃあるまいし。大丈夫ですよ」
しっかり、パンツとシュミーズを晒してしまった。色気もへったくれもない、一見して婆さんが身につけているのではなかろうかといったデザインだ。
今更、恥じてどうする。
レイノリアは、諦めたように肩を落とす。
「駄目だ。油断するな。万が一、火でも点けられたら一大事だ」
下着を盗まれるよりも、不審火の犯人の標的にされる確率の方が大きい。
今更ながら、ぞくっと肌が粟立つ。治安を維持する役職の者が火を出したなんて、洒落にならない。己の浅はかさに、レイノリアは唇を噛んだ。
「ちゃんと部屋入ったら、鍵を閉めておくんだぞ。二重鍵を忘れんなよ」
ケイン曰く丸切りの子供扱いで、レイノリアの頭をぐしゃぐしゃと無造作に撫でると、ライナードは片手を上げ、踵を返す。
だんだん遠ざかって行く広い背中。
「自分の立場くらいわかってる」
期待してはいけない。ケインの忠告が蘇る。自分は騎士団員。ライナードはあくまで上司。それ以上でも以下でもない。
心得ているつもりだ。
ズキッと痛む心臓を己の拳で一突きする。
階段手前で、ふとレイノリアの脳に疑問が浮かぶ。
どうして、私?
買い物なら同年代の気の合う仲間として、ワドルフを選ぶのが妥当だ。私服もセンスがあるし、老若問わず女遊びに長けているんだから、的確なアドバイスをしてくれるだろう。
どうして、年下の未婚の自分?
些細なモヤモヤは、階段を駆け上がって部屋の鍵を捻る段階になると、さらに膨れ上がり、結局答えは夜通し考えても思いつかなかった。
午後ともなれば店の並ぶ路地は若者でごった返している。
だが、平日の昼前といった中途半端な時間帯では、散歩する乳母車の母親とたまに擦れ違う程度で、シンとしている。沿道を走る馬車の数も知れている。
秋には見事な彩りをみせる銀杏の並木に添って黙々と足を進める。
半歩先を行く幅の広い背中。間近に拝めるだけでも、他の女連中より抜きん出ている。ちょっとした優越感が芽生え、レイノリアはようやく溜飲を下げた。
その広い背中が不意にぴたりと止まる。
「ところで。レイノリア・リュー」
振り返ったライナードは、心なしか頬の筋肉が固くなっている。
「お前、最近どうだ? 」
「え? 」
目を瞬かせたレイノリアに、明らかにしまったとライナードは額をぺちんと叩いた。すぐさま身振り手振りを加え、焦ったように補足する。
「いや。その。最近、困ってることとかないか? 」
「特には」
「そ、そうか」
空咳し、露骨に視線を逸らす。
隠し事をしているのは明らかだ。
不審に鼻に皺を寄せるレイノリアに、またしてもライナードは空咳でわざとらしく誤魔化した。
「何かあったら、すぐに俺に言えよ」
ぐしゃぐしゃに髪を撫で回された。
慣れたはずだが、今回は状況が違う。
職場ではない。
カッとレイノリアは首筋まで朱に染めた。
それでもライナードは気にする素振りすら見せず、体を反転させると再び足を進めた。
歩幅が狭くなったのは気のせいではない。レイノリアは小走りになり、真横に立つ。
並んだ靴のサイズは倍ほどある。そのことに気をとられ、あっと思ったときには隊長の家へと続く曲がり角を過ぎていた。
「隊長、過ぎましたよ? 」
「いやいや。俺もこっちに用事があってな。ついでだ」
左折し、昔ながらの路地を直進すれば、公爵家借り上げの宿屋がある。公爵邸に隣接していた職員寮は老朽化による建て替えで、来年の春に完成予定だ。それまでは、年配は公爵邸近辺に、若い連中は徒歩圏内にと散り散りだ。
三階の角部屋のバルコニーには、見慣れたレイノリアの洗濯物が物干し竿に掛かっていた。昨日の出勤前に忘れて、一晩中出しっぱなしだ。
見上げながら、ライナードは目を眇める。
「洗濯物、ちゃんと取り込んでおけよ。誰かに盗まれたら大変だ」
「ウブな娘じゃあるまいし。大丈夫ですよ」
しっかり、パンツとシュミーズを晒してしまった。色気もへったくれもない、一見して婆さんが身につけているのではなかろうかといったデザインだ。
今更、恥じてどうする。
レイノリアは、諦めたように肩を落とす。
「駄目だ。油断するな。万が一、火でも点けられたら一大事だ」
下着を盗まれるよりも、不審火の犯人の標的にされる確率の方が大きい。
今更ながら、ぞくっと肌が粟立つ。治安を維持する役職の者が火を出したなんて、洒落にならない。己の浅はかさに、レイノリアは唇を噛んだ。
「ちゃんと部屋入ったら、鍵を閉めておくんだぞ。二重鍵を忘れんなよ」
ケイン曰く丸切りの子供扱いで、レイノリアの頭をぐしゃぐしゃと無造作に撫でると、ライナードは片手を上げ、踵を返す。
だんだん遠ざかって行く広い背中。
「自分の立場くらいわかってる」
期待してはいけない。ケインの忠告が蘇る。自分は騎士団員。ライナードはあくまで上司。それ以上でも以下でもない。
心得ているつもりだ。
ズキッと痛む心臓を己の拳で一突きする。
階段手前で、ふとレイノリアの脳に疑問が浮かぶ。
どうして、私?
買い物なら同年代の気の合う仲間として、ワドルフを選ぶのが妥当だ。私服もセンスがあるし、老若問わず女遊びに長けているんだから、的確なアドバイスをしてくれるだろう。
どうして、年下の未婚の自分?
些細なモヤモヤは、階段を駆け上がって部屋の鍵を捻る段階になると、さらに膨れ上がり、結局答えは夜通し考えても思いつかなかった。
4
お気に入りに追加
201
あなたにおすすめの小説
旦那様、仕事に集中してください!~如何なる時も表情を変えない侯爵様。独占欲が強いなんて聞いていません!~
あん蜜
恋愛
いつ如何なる時も表情を変えないことで有名なアーレイ・ハンドバード侯爵と結婚した私は、夫に純潔を捧げる準備を整え、その時を待っていた。
結婚式では表情に変化のなかった夫だが、妻と愛し合っている最中に、それも初夜に、表情を変えないなんてことあるはずがない。
何の心配もしていなかった。
今から旦那様は、私だけに艶めいた表情を見せてくださる……そう思っていたのに――。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
ただの政略結婚だと思っていたのにわんこ系騎士から溺愛――いや、可及的速やかに挿れて頂きたいのだが!!
藤原ライラ
恋愛
生粋の文官家系の生まれのフランツィスカは、王命で武官家系のレオンハルトと結婚させられることになる。生まれも育ちも違う彼と分かり合うことなどそもそも諦めていたフランツィスカだったが、次第に彼の率直さに惹かれていく。
けれど、初夜で彼が泣き出してしまい――。
ツンデレ才女×わんこ騎士の、政略結婚からはじまる恋のお話。
☆ムーンライトノベルズにも掲載しています☆
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
箱入り令嬢と秘蜜の遊戯 -無垢な令嬢は王太子の溺愛で甘く蕩ける-
瀬月 ゆな
恋愛
「二人だけの秘密だよ」
伯爵家令嬢フィオレンツィアは、二歳年上の婚約者である王太子アドルフォードを子供の頃から「お兄様」と呼んで慕っている。
大人たちには秘密で口づけを交わし、素肌を曝し、まだ身体の交わりこそはないけれど身も心も離れられなくなって行く。
だけどせっかく社交界へのデビューを果たしたのに、アドルフォードはフィオレンツィアが夜会に出ることにあまり良い顔をしない。
そうして、従姉の振りをして一人こっそりと列席した夜会で、他の令嬢と親しそうに接するアドルフォードを見てしまい――。
「君の身体は誰のものなのか散々教え込んだつもりでいたけれど、まだ躾けが足りなかったかな」
第14回恋愛小説大賞にエントリーしています。
もしも気に入って下さったなら応援投票して下さると嬉しいです!
表紙には灰梅由雪様(https://twitter.com/haiumeyoshiyuki)が描いて下さったイラストを使用させていただいております。
☆エピソード完結型の連載として公開していた同タイトルの作品を元に、一つの話に再構築したものです。
完全に独立した全く別の話になっていますので、こちらだけでもお楽しみいただけると思います。
サブタイトルの後に「☆」マークがついている話にはR18描写が含まれますが、挿入シーン自体は最後の方にしかありません。
「★」マークがついている話はヒーロー視点です。
「ムーンライトノベルズ」様でも公開しています。
愛されていない、はずでした~催眠ネックレスが繋ぐ愛~
高遠すばる
恋愛
騎士公爵デューク・ラドクリフの妻であるミリエルは、夫に愛されないことに悩んでいた。
初恋の相手である夫には浮気のうわさもあり、もう愛し合う夫婦になることは諦めていたミリエル。
そんなある日、デュークからネックレスを贈られる。嬉しい気持ちと戸惑う気持ちがミリエルの内を占めるが、それをつけると、夫の様子が豹変して――?
「ミリエル……かわいらしい、私のミリエル」
装着したものを愛してしまうという魔法のネックレスが、こじれた想いを繋ぎなおす溺愛ラブロマンス。お楽しみくだされば幸いです。
純潔の寵姫と傀儡の騎士
四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。
世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。
【本編完結・R18】旦那様、子作りいたしましょう~悪評高きバツイチ侯爵は仔猫系令嬢に翻弄される~
とらやよい
恋愛
悪評高き侯爵の再婚相手に大抜擢されたのは多産家系の子爵令嬢エメリだった。
侯爵家の跡取りを産むため、子を産む道具として嫁いだエメリ。
お互い興味のない相手との政略結婚だったが……元来、生真面目な二人は子作りという目標に向け奮闘することに。
子作りという目標達成の為、二人は事件に立ち向かい距離は縮まったように思えたが…次第に互いの本心が見えずに苦しみ、すれ違うように……。
まだ恋を知らないエメリと外見と内面のギャップが激しい不器用で可愛い男ジョアキンの恋の物語。
❀第16回恋愛小説大賞に参加中です。
***補足説明***
R-18作品です。苦手な方はご注意ください。
R-18を含む話には※を付けてあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる