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第六章

忠告

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「何ですか、騒々しい」
 廊下の向こうから響いた声に、吉森はおろか森雪までびくっと体を痙攣させる。慌てて蒲団から森雪の手が抜かれた。
「どうしたというのです。私の部屋まで、吉森さんの声が届いていましたよ」
 いきなり襖を開けた松子は、声を張り上げた。
 吉森は肝を潰した。辰川で一番厄介な存在を、すっかり忙殺してしまっていた。万が一、最中の声が筒抜けになっていたら、どうなっていたことか。危うい状況が寸でのところで回避され、胸を撫で下ろすばかりだ。
 森雪といえば、もう冷静さを取り戻しており、突如現れた母に動揺する素振り一つなく、穏やかに説明する。
「兄さんが、不審な輩に狙われまして」
「吉森さんが? 」
 松子の顔色が変わった。そのときの松子の胸には、辰屋への恨みをもつ何者かが過ったのだろう。おそらく、生死の不明な高柳公彦の顔が。
 蒼褪め、唇を戦慄かせる松子の背中をそっと撫でると、森雪は囁いた。
「お母様、部屋で休みましょう」
「ええ」
 こくこくと何度も首を縦に振って、松子は森雪の言いなりとなる。襖を開け、森雪に凭れかかるような態勢で廊下に出た松子は、ふと気付いたように声色を変えた。
「あの探偵が見当らないけれど」
「そういえば」
 指摘され、ようやく森雪も気付いたらしい。
 松子は己の手をぎゅっと握り締める。
「あの男に油断してはいけませんよ」
「わかっていますよ、お母様」
 筒抜けの廊下での会話。
 吉森は襖たった一枚隔てた場所で、ごくりと唾を呑み下す。
 松子の声は険しく、そしてどことなく恐れさえ感じるほどに引き攣っている。
 森雪はおそらく、どう返してよいかわからず、微妙な面持ちだろう。
「見た目で判断しては、命取りになるような。そんな気がするのです」
 松子は指摘する。
 渡邊は一見すると頼りない、けれども名を上げようと画策し、何かあれば推理紛いを披露しようと図っているのが見え見えの、したたかに成り切れない男だ。松子はその姿を裏読みする。
「香都子が探偵に手紙を送った件」
 一旦、言葉を区切った後、松子は思い切ったように切り出す。
「どうして、清右衛門があの男に依頼出来るのです? 」
「え?」
「あの男は、半年前に日本に戻ったのでしょう」
「そんなことを話していましたね」
「お父上は三年前に亡くなっているのですよ。接点は?」
「……」
「……」
 妙な間があった。
 森雪は何やら考えに耽っているようだ。
  吉森は襖越しに、彼の動向を待つ。
「まさか……」
 ふと、森雪は呟いた。

 今、吉森の胸には、得体の知れない禍々しいものが渦巻いていた。
 全くの範囲外だった。渡邊など、辰川に何ら関係のない人物だと決めつけていた。
 仮に、高柳が生きていると考えて、その高柳が雇ったとすれば、辻褄が合うような気もする。
 犠牲者が出始めた頃に、巧い具合に現れた。普段の渡邊の動向は謎だ。やつが、探偵ではなく雇いの殺し屋だったとすれば。
 不意にジリリリリと鳴った。
 どたばたと森雪は足音を大きくさせ、電話機に向かう。
「ああ。大河原警部……え?」
 受話器を取った森雪がハッと息を詰まらせたのは、襖に阻まれているとはいえ、吉森にも正確に伝わってきた。
「香都子が!」
 それだけ叫ぶと、後は森雪の絶句だった。
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