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第五章
トメの特技
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二人が次に向かった先は、女中頭だったトメが暮らしていた長屋だ。
八十になるトメは、一人暮らしは心許ないと、義理の妹であるハルのところに身を寄せていたらしい。
町でも整備の手が入っていない、昔ながらの古びたままの地区が幾つかある。大河原から無理繰り聞き出した家は、破れた障子がそのままにされ、雨戸もところどころ剥がれ、よく見れば近所中がそのような有り様だ。真昼間から年寄りの酔っ払いがふらふらと無作為に歩き回っており、聞こえてくるのはヒステリックに怒鳴り散らす女の声。
軒先に忌中の提灯が吊るされてあるのを確認し、声を掛けようか躊躇しているときだった。
「何だい、あんたら」
洗濯籠を抱えながら、腰の曲がった六十過ぎの目つきの悪い女が、胡散臭そうに聞いてきた。どうやらこの女がハルらしい。
「あの……こ、こちらが……野中トメさん……のお宅……ですか? 」
無言ながら、醸し出す雰囲気は凄まじくおどろおどろしている。その黒く渦を巻くような空気に圧倒され、吉森が言葉をつっかえさせながら問いかけると、ハルはますます目元をきつくさせた。
「何者だい? 」
「辰川森雪といいます。こちらが兄の吉森です」
森雪はその空気を一蹴するような清楚な笑顔を張りつかせて答える。
それでもハルは、その急拵えの笑みには惑わされない。相変わらず、眉間の皺を深くしたままだ。
「辰川。そうか、あんたらが辰屋清春堂の噂の息子か」
即座に吉森らの正体を見破った六十女は、ちらりと辺りに目をやる。
それぞれの家の障子が一寸ほど開いて、長屋には不釣り合いな金持ち臭い恰好の男二人が何の目的だろうかと、近所の連中が興味深そうに様子を伺っている。
「まあ、中に入りな」
ハルは面倒臭そうに舌打ちすると、入り口を開いた。
「どうせ、うちの死んだ婆さんのことだろ」
トメが辰川の女中頭を勤めていたのは承知だ。
「で、何が聞きたいんだい? 」
ハルは畳の上で胡坐をかくなり、煙草に火を点けた。
「トメさんは、誰を脅していたのですか? 」
「も、森雪」
前触れもない森雪の質問の仕方に、吉森は慌てた。構わず、森雪は畳に上がるなり、ハルと対面する形で胡坐をかく。
「ふん。いきなり核心をつくんだね」
嫌そうに鼻に皺を寄せれば、年齢よりも遥かに老けて見える。
森雪は静かにハルの言葉を待った。
ハルは渋々といったふうに口を開いた。
「実のところ、私も詳しくは知らないんだよ。あの人、うちの兄さんが死んでそれっきりだったのに、いきなり今年になってのこのこ私を頼ってきてね。もうすぐ大きい金が入るから、面倒みろってさ」
「やはり、誰かを脅していたことに間違いはなさそうですね」
「まあ、それはあの人の商売だったからね」
「最期に話していたことを覚えていませんか?」
「忘れたね」
あっさりと言い切り、ハルは煙を吐く。
「こっちだって、迷惑してんだよ。そんな小汚い金なんか持って来られて、後でどんな仕打ちがあるかって。現に、あの人、とうとう命とられちまって」
森雪は懐から革製の財布を取り出すと、そこから何枚かの紙幣を抜く。ハルはごくりと唾を呑み下すと、その指先を目で追った。そして、目の前に差し出されるなり、勢いよく引っ手繰る。
「よくわからないけど、私は幾ら姿形を変えていようと、ちょっとした癖やら何やらで、本人だって見抜いちまうって、自慢してたよ」
ごそごそと袂に紙幣を仕舞込むなり、ハルは先程よりは幾らか愛想よく黄色い歯を剥いて笑いながら答える。
「……そうですか。姿形を変えていようと、見抜く……ですか」
森雪には何か思い至ることがあるらしく、顎に手を当て耽っていた。
八十になるトメは、一人暮らしは心許ないと、義理の妹であるハルのところに身を寄せていたらしい。
町でも整備の手が入っていない、昔ながらの古びたままの地区が幾つかある。大河原から無理繰り聞き出した家は、破れた障子がそのままにされ、雨戸もところどころ剥がれ、よく見れば近所中がそのような有り様だ。真昼間から年寄りの酔っ払いがふらふらと無作為に歩き回っており、聞こえてくるのはヒステリックに怒鳴り散らす女の声。
軒先に忌中の提灯が吊るされてあるのを確認し、声を掛けようか躊躇しているときだった。
「何だい、あんたら」
洗濯籠を抱えながら、腰の曲がった六十過ぎの目つきの悪い女が、胡散臭そうに聞いてきた。どうやらこの女がハルらしい。
「あの……こ、こちらが……野中トメさん……のお宅……ですか? 」
無言ながら、醸し出す雰囲気は凄まじくおどろおどろしている。その黒く渦を巻くような空気に圧倒され、吉森が言葉をつっかえさせながら問いかけると、ハルはますます目元をきつくさせた。
「何者だい? 」
「辰川森雪といいます。こちらが兄の吉森です」
森雪はその空気を一蹴するような清楚な笑顔を張りつかせて答える。
それでもハルは、その急拵えの笑みには惑わされない。相変わらず、眉間の皺を深くしたままだ。
「辰川。そうか、あんたらが辰屋清春堂の噂の息子か」
即座に吉森らの正体を見破った六十女は、ちらりと辺りに目をやる。
それぞれの家の障子が一寸ほど開いて、長屋には不釣り合いな金持ち臭い恰好の男二人が何の目的だろうかと、近所の連中が興味深そうに様子を伺っている。
「まあ、中に入りな」
ハルは面倒臭そうに舌打ちすると、入り口を開いた。
「どうせ、うちの死んだ婆さんのことだろ」
トメが辰川の女中頭を勤めていたのは承知だ。
「で、何が聞きたいんだい? 」
ハルは畳の上で胡坐をかくなり、煙草に火を点けた。
「トメさんは、誰を脅していたのですか? 」
「も、森雪」
前触れもない森雪の質問の仕方に、吉森は慌てた。構わず、森雪は畳に上がるなり、ハルと対面する形で胡坐をかく。
「ふん。いきなり核心をつくんだね」
嫌そうに鼻に皺を寄せれば、年齢よりも遥かに老けて見える。
森雪は静かにハルの言葉を待った。
ハルは渋々といったふうに口を開いた。
「実のところ、私も詳しくは知らないんだよ。あの人、うちの兄さんが死んでそれっきりだったのに、いきなり今年になってのこのこ私を頼ってきてね。もうすぐ大きい金が入るから、面倒みろってさ」
「やはり、誰かを脅していたことに間違いはなさそうですね」
「まあ、それはあの人の商売だったからね」
「最期に話していたことを覚えていませんか?」
「忘れたね」
あっさりと言い切り、ハルは煙を吐く。
「こっちだって、迷惑してんだよ。そんな小汚い金なんか持って来られて、後でどんな仕打ちがあるかって。現に、あの人、とうとう命とられちまって」
森雪は懐から革製の財布を取り出すと、そこから何枚かの紙幣を抜く。ハルはごくりと唾を呑み下すと、その指先を目で追った。そして、目の前に差し出されるなり、勢いよく引っ手繰る。
「よくわからないけど、私は幾ら姿形を変えていようと、ちょっとした癖やら何やらで、本人だって見抜いちまうって、自慢してたよ」
ごそごそと袂に紙幣を仕舞込むなり、ハルは先程よりは幾らか愛想よく黄色い歯を剥いて笑いながら答える。
「……そうですか。姿形を変えていようと、見抜く……ですか」
森雪には何か思い至ることがあるらしく、顎に手を当て耽っていた。
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