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第五章
高柳の過去
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「ええ、ええ。私は十四の頃からかれこれ二十五年、ここに勤めておりますよ」
話が進むうち、藤谷薬品に二十年以上も勤めているのは、掃除婦のヨシ以外にいないとのことだった。
高柳公彦の名を出してみる。
「高柳。ああ、はいはい。あの男前ですね。覚えておりますとも」
「本当ですか! 」
これほど早く、目的が果たされたことに、吉森は拍子抜けしてしまった。
「ええ、ええ。といっても、そちらの若様を見て、今、思い出しましたよ。他人の空似とは恐ろしいものですね。世の中には三人、似ている人間がいるとかいいますけど」
そちらの若様、のところでヨシはうっとりした目を森雪に向けた。彼女のそれは、まさに恋に浮かされる乙女そのもので、高柳にどういった感情を持っていたのか一目瞭然だった。
「……それほど僕によく似ていますか。その男は」
「ええ、ええ。もう、瓜二つといってもいいほどで。本当に、高柳さんによく似てらっしゃる」
瓜二つだと指摘され、森雪の顔がたちまち険しくなる。確かに、容疑者かも知れぬ男と似ているのは気分の悪いものだ。ヨシはそういった事実を知らないので、軽々しく口にしたのだが、隣にいる吉森は肝を潰す思いだった。
「高柳とはどういう人間ですか」
「あの方は、本当に心根のお優しい方ですよ。当時、色気も何もあったもんじゃない小娘だった私にまで、親切にしてくれて。『おヨシさん、活動写真に行かないか』とよく誘ってくれたもんですよ。尤も、私はなかなか仕事が引けず、結局一度も行かれず仕舞いでしたが」
言いながら、何やら思い出したのか、白い前掛けの裾で目尻を拭う。
「おかわいそうに。工場で給金泥棒がありましてね。従業員の日当を三十人分、そっくり高柳さんが盗んだと大騒ぎになりまして」
「そんなことが」
「ええ。他にも、工場の若い子に手を出したとか。なまじ仕事も出来て顔もいいとくるものですからね、反感を買うこともありましたよ」
森雪が伸び上がった。
「ちなみに、その若い子というのは男ですか」
何故、そこを突っ込む。吉森は頭を抱えた。
ヨシは崇拝する高柳の黒い部分に露骨に食いつかれて、さすがにむっと顔を曇らせる。仕事先が懇意にしたがる辰屋相手なので、かろうじて辛抱しているのは明白で、握り締めた雑巾がくしゃくしゃと皺だらけになっている。
「あくまで、陥れるための策略話ですよ」
「男ですね」
森雪は念を押した。
「火のないところに煙は立たないと、よく言いますからね」
これ以上は場を険悪にさせてしまう。吉森は慌てて礼を言うと、森雪を引っ張り、一目散に出て行った。
「あの掃除婦の話を聞く限りでは、とても人殺しするやつには思えないな」
帰りの市電を待ちながら率直な感想を述べる吉森に、森雪は珍しく不機嫌に鼻を鳴らす。
「腹の黒いやつほど、表では善人を振る舞うものですよ」
それはお前のことだろう。吉森は喉元まで出かかった言葉をかろうじて呑み込んだ。どうも森雪は、高柳公彦といった人物に関して、悪い印象を抱いているようだ。もしかすると、自分と同じ空気を纏う似た者同士であるがゆえの嫌悪感でも発しているのだろうか。
話が進むうち、藤谷薬品に二十年以上も勤めているのは、掃除婦のヨシ以外にいないとのことだった。
高柳公彦の名を出してみる。
「高柳。ああ、はいはい。あの男前ですね。覚えておりますとも」
「本当ですか! 」
これほど早く、目的が果たされたことに、吉森は拍子抜けしてしまった。
「ええ、ええ。といっても、そちらの若様を見て、今、思い出しましたよ。他人の空似とは恐ろしいものですね。世の中には三人、似ている人間がいるとかいいますけど」
そちらの若様、のところでヨシはうっとりした目を森雪に向けた。彼女のそれは、まさに恋に浮かされる乙女そのもので、高柳にどういった感情を持っていたのか一目瞭然だった。
「……それほど僕によく似ていますか。その男は」
「ええ、ええ。もう、瓜二つといってもいいほどで。本当に、高柳さんによく似てらっしゃる」
瓜二つだと指摘され、森雪の顔がたちまち険しくなる。確かに、容疑者かも知れぬ男と似ているのは気分の悪いものだ。ヨシはそういった事実を知らないので、軽々しく口にしたのだが、隣にいる吉森は肝を潰す思いだった。
「高柳とはどういう人間ですか」
「あの方は、本当に心根のお優しい方ですよ。当時、色気も何もあったもんじゃない小娘だった私にまで、親切にしてくれて。『おヨシさん、活動写真に行かないか』とよく誘ってくれたもんですよ。尤も、私はなかなか仕事が引けず、結局一度も行かれず仕舞いでしたが」
言いながら、何やら思い出したのか、白い前掛けの裾で目尻を拭う。
「おかわいそうに。工場で給金泥棒がありましてね。従業員の日当を三十人分、そっくり高柳さんが盗んだと大騒ぎになりまして」
「そんなことが」
「ええ。他にも、工場の若い子に手を出したとか。なまじ仕事も出来て顔もいいとくるものですからね、反感を買うこともありましたよ」
森雪が伸び上がった。
「ちなみに、その若い子というのは男ですか」
何故、そこを突っ込む。吉森は頭を抱えた。
ヨシは崇拝する高柳の黒い部分に露骨に食いつかれて、さすがにむっと顔を曇らせる。仕事先が懇意にしたがる辰屋相手なので、かろうじて辛抱しているのは明白で、握り締めた雑巾がくしゃくしゃと皺だらけになっている。
「あくまで、陥れるための策略話ですよ」
「男ですね」
森雪は念を押した。
「火のないところに煙は立たないと、よく言いますからね」
これ以上は場を険悪にさせてしまう。吉森は慌てて礼を言うと、森雪を引っ張り、一目散に出て行った。
「あの掃除婦の話を聞く限りでは、とても人殺しするやつには思えないな」
帰りの市電を待ちながら率直な感想を述べる吉森に、森雪は珍しく不機嫌に鼻を鳴らす。
「腹の黒いやつほど、表では善人を振る舞うものですよ」
それはお前のことだろう。吉森は喉元まで出かかった言葉をかろうじて呑み込んだ。どうも森雪は、高柳公彦といった人物に関して、悪い印象を抱いているようだ。もしかすると、自分と同じ空気を纏う似た者同士であるがゆえの嫌悪感でも発しているのだろうか。
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