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第四章

猜疑心

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「そういえば、おいらが夜中に厠へ行ったとき、黒い外套を着た男と何やら興奮して喋っておいででした。是蔵さんには珍しい怒鳴り声が」
「何でそれを早く言わない!」
 怒鳴るには留まらず、殴りつけてやりたくなった。やはりこの子供は、大事な鍵を握っていたのだ。
 今にも胸倉を掴みかからんばかりの勢いに圧倒された貞吉は、背は低いものの東大寺の運慶快慶像のごとく睨みをきかせる吉森に、腰を抜かしてヒイヒイと声を掠める。
「こらこら、兄さん」
 上背があり力も半端ない森雪は、羽がい締めにして難なくそれを阻止した。
「兄さん。いじめてはいけませんよ。もしかして、仕置きを求めていますか?」
「なっ、何を馬鹿なことを!違う!」
 森雪の本気とも冗談ともつかない脅しは絶大な効果を発揮し、吉森の暴走は未遂に済んだ。
 貞吉は今にも泣き出しそうだ。
「す、すみません。刑事さんに何も聞かれなかったもので。そんなに深刻なこととは思わなかったし」
「お前は阿呆か!女中頭のトメとか小十菊殺しの容疑者は、黒い外套を着た男だって、新聞であれほど騒がれているだろうが!」
「すみません。おいら、字はあんまり読めないもので」
 何度も何度も必死に頭を下げる貞吉に、森雪は菩薩のごとく穏やかな笑みを与える。
「お前を責めているんじゃないからね。貞坊」
 今にも零れ落ちんばかりに目に涙を溜める貞吉に、もう行って良いと命じた。貞吉は逃げるように去って行く。
「よく話してくれたね」
 最後まで気遣いを忘れない。そんな森雪に、吉森は不機嫌に鼻を鳴らした。

「どうやら、二十四年前のことと関係があるようだな」
 腕組みをし、ぶつぶつとその単語を何回も繰り返す。
「二十四年前……二十四……あの床柱の刀傷と何か関係があるのかも」
 清右衛門翁が乱心して床柱に傷をつけたのが、二十四年前。
 一体、何があったのか。
 事実を知る二人は、最早、この世にはいない。
 不意に影が出来た。ハッと気付いた吉森は、森雪が腕を組んでちょっと小首を傾け、気だるそうに見下ろしてきたことに、眉をきつく寄せ剣呑とした目つきで応酬する。
「何だ」
「また僕の存在を忘れようとしている」
 よからぬことを企んでいるのは、口元をやや右斜め上に吊り上げる癖でもうわかっている。
 吉森はたちまち警戒を全身に張り巡らせた。
 ずっと胸に滞らせていた疑念を口に出す。
「お前、俺が事件を探ることを邪魔していないか」
「意外に鋭いですね」
 あっさりと森雪は認めた。
「もしかして犯人の見当がついているんじゃないのか」
 それには森雪は目を背ける。恍けているのは一目瞭然だ。黙秘権を行使する森雪の胸倉を吉森は掴み上げた。
「答えろ!」
 幾ら話を逸らそうとしたところで、吉森はそこに拘り続ける。森雪は深く溜め息を吐くと、観念したように肩を竦めた。
「ええ。何となく見当はついていますよ」
「誰だ!」
 声を張り上げ問い詰めるが、森雪はそれ以上答えるつもりはないらしい。
「もしかして香都子か」
 猜疑心はますます膨らんでいく。
「あの女はどうも怪しい」
 香都子の意味ありげな流し目が脳裏を過った。
 森雪は呆れたと言わんばかりに、やれやれと肩を竦め、唇から細く長い息を吐き出す。形の良い眉が下がっていた。
「妹を信じなくてどうします」
「あんな女、半分しか血が繋がっていないじゃないか」
「確実に半分は血縁者ですよ」
「そういうなら、お前もだろうが」
「そういえば、そうでしたね」
 いかがわしいことを吉森に繰り広げていたので、すっかりその事実を忘我していたらしい。森雪の答え方は、さして気にも止めていないといった具合だ。以前、堂々と何が問題があるのだと宣言していたのは、どうやらただの開き直りではなかったらしい。
 森雪の唇が近づく。
「お前の考える犯人が誰か言うまで、俺に一切触るな」
「やれやれ。強情な人だ」
「俺は本気だ」
 腰を屈めて接近する唇を、吉森は顔を背けて拒んだ。もう流されないぞと、意志の強さを身をもって示す。
 吉森の本気を確かに見て、ついに森雪も折れた。
 髪の毛をぐしゃぐしゃと掻くと、長めの前髪が睫毛の上で揺れ動いた。その前髪の下からこの上なく視線を鋭くさせ、忌々しいと舌を打ち鳴らす。彼の荒々しさが垣間見えた。

「高柳」
 森雪は憮然と呟く。
「高柳?」
 吉森の眉が上がった。
「高柳公彦か?」
 再度、確認する。
 吉森の目は胡散臭そうに森雪を眺めていた。
「その男は死んだだろ。まさか、生きてると考えているのか?」
 ハッと吉森は鼻を鳴らす。
「まさか死んだ男が実は生きていて、復讐するために舞い戻って来たと?」
「僕はそう考えています」
 きっぱりと森雪は言い切る。
 眼に曇りはない。
 吉森は言い返すのも馬鹿らしくなり、そっぽ向いた。
 そんな隙を森雪に与えてしまった。
 逞しい腕が、吉森の体を求めて、ぬっと伸びた。
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