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第三章

洞察

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 小馬鹿にされて、吉森は気色ばんだ。
「あの渡邊とかいう探偵を雇ったのは、そもそも誰だと思いますか? 」
 急に森雪は話題を変えた。
「清右衛門翁だろう」
「あの封筒は、父が亡くなった後に作られたものですよ」
「じゃあ、翁以外の誰が」
「大体の見当はついていますが。余計なことには関わらない方が身のためですよ」
 結局、これが言いたかったのだ。
 吉森は蚊帳の外。
 いや、それよりも、鳥籠の中に閉じ込められて、外界と遮断されているといった方がいい。
 吉森だけが、狭い世界の中でわけもわからず傍若無人さを装う道化を演じさせられているのだ。
 そんなことよりも、今は王宜丸だ。吉森は思い直した。
「さっさと、王宜丸の配合を教えろ。俺は、俺の中の何もかもを犠牲にしたんだ」
 森雪は何かを忠告したかったらしく、それが正しく吉森に伝わっていないとみて、明らかに失望の表情を見せた。
「そうですね。兄さんの精神力には、いつにも増して感服しますよ」
 チクリと嫌味を述べただけで、森雪はそれ以上の忠告は諦めたようだ。今、兄に説いたところで、余計に混乱させるか、もしくは機嫌を損ねるだけだと判断したためか。
「まず……」
 自室で二人きりなので、わざわざ耳元に口を寄せて声を潜める必要もない。ひとえに森雪の下心だ。あわよくば、再びの痴情を繰り返そうとしているのかも知れない。
 吉森の警戒はあながち外れてはいなかった。
 森雪の手が伸びて、間もなく袂に滑り込もうとした、そのときだった。
 どたばたと賑やかに渡り廊下の床板を蹴る音が、どんどん近づいてきたのだ。
 その足音がどこを目的としているのかすぐさま察知した森雪は、忌々しそうに舌打ちすると、素早く吉森と距離を置いた。
 駆けつけてきた丁稚は、襖の前で一旦止まって、遠慮がちに「若様」と呼びかけた。
 主人の自分が「吉森さん」で、部屋住みの弟が「若様」。丁稚の中での二人の比重に、吉森はむかっと思わず握った拳を固くする。
「どうしたんだ、貞坊」
 せっかくの機会を台無しにされて、腸が煮えくり返っているはずなのに、森雪はそんなこと億尾にも出さず、落ち着いた声で襖越しに問いかける。
「また、警察の方がお見えです」
 これには、さすがの森雪も堪えがきかなかったらしく、たちまち切れ長の目を鋭くさせると、今度は毒々しく口中で何やら罵った。

 いらついて指先をとんとんと机に叩きつける森雪の内心には露とも気付かず、大河原は出された茶を旨そうに啜る。
「あの女中頭のトメとかいうのは、なかなかの女ですな」
 呑気に言ってのける大河原に、森雪の隣に座する吉森はひやひやしていた。前戯を終えて、さあ今から本番だといったときに、横槍が入ったのだ。視線を机の下にある森雪の太腿の間に落とせば、案の定、そこは見事に膨れ上がっている。吉森も同じ男だ。気持ちはわからないでもない。尤も、その欲望の行き先が自分であることは勘弁してほしいが。
 そんなことを考えているうちに、話の内容はさらに進んでいく。
「強請りたかりをやって、生計を立てていたようだ」
「たかだか八十の婆さんでしょう」
「いやいや。かなり恨みを買っていたようですな。どこで聞いても悪い評判しか出て来ない」
「この不安定な時代に、珍しいことではないでしょう」
 いつになく剣呑とした森雪の雰囲気に、さすがに大河原もおや、と気が付いたようだが、よもやその原因が自分にあるとは思いもしない。
「最近、特にいい金蔓を見つけたと息巻いていたようですな」
 意味ありげに大河原は湯呑の縁からチラリとこちらへ視線を送ってきた。
「その金蔓が僕たちの誰かと言いたいのですか」
 正しく読み取った森雪は、さらに語気を強めた。
「いやいや。そこまでは」
「脅されて鬱陶しくなって殺したと」
 目の据わった森雪は、まさしく般若。ゆらりと燃え上がる青白い炎を彼の背に見た気がして、何とも言えぬ腋汗をじっとりと着物の下に感じる。
 それは吉森だけではなかった。
 目の前の大河原もハンカチでひとしきり首筋を拭っている。
 外は変わらず気温が低い。たとえ火鉢があろうと、決して暑苦しいほどではない。
「馬鹿馬鹿しい。もう帰って下さい。こんなつまらないことを話すくらいなら、さっさと是蔵殺しを解決して、行方を眩ませた音助を捜して下さい」
 森雪の声には得も知れぬ闇が潜んでおり、その場にいる全員を暗い気持ちに陥れた。
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