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夫(仮)の行方
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「アークライト卿はどちらへ? 」
彼は朝食もそこそこに、二頭立ての馬車で出て行ってしまった。
「お母様。夫婦なんですから、そんなよそよそしい」
「い、今は私は家庭教師。雇われた身です」
貴族の公用語の、新しい単語のページを繰る。
「じゃあ、いつならお父様を名前で呼んであげるのかしら? 」
ふふ、と意味ありげにアリアは唇から舌を覗かせて笑った。
そもそも、イザベラは仮初の妻だ。
ルミナスがそれを望んだ。彼は堅物の家庭教師を揶揄うことにだけ心を砕き、一人娘を溺愛している。そして、未だに亡き妻を忘れていない。忘れられないと、先日、彼は確かに認めた。
だったら、どうしてベッドを共にしたのだろう。三日三晩も。
媚薬で苦しむイザベラが可哀想だったから?
女性との後腐れない関係を楽しんできた彼なら、可哀想な家庭教師と寝るくらい、どうってことなかった?
考えれば考えるほど、滅入ってくる。
朝のメイド達の会話が尾を引いていた。
ルミナスは、毎月十日、決まって誰にも行き先を告げずに出掛けていた。
悪友との約束も、狙っていた令嬢との逢引きも、投資に関する会合でさえ、その日は一切の予定も入れず。
「きっと、月に一度の愛人のところだわ」
掃除担当のメイドが廊下を拭きながら、もう一人に話しかけているのが、扉の向こう側から聞こえてきた。
ルミナスが出掛けた直後のこと。
「もう十年ですって。毎月欠かさず足を運ばれて」
「ご結婚されても変わらないのね」
「あら。前の奥様を愛されてたんじゃなかったの? 」
「ほら。それは、それ。遊びは別よ」
「じゃあ、イザベラ様は? 」
「アリア様の相手を所望しただけでしょ」
「成程。納得した」
「でなければ、どうして、あのような方が」
使用人から成り上がった奥様(仮)に、わざと聞かせている節がある。彼女らが面白くないのは理解出来る。美意識の低い、ギャンギャン喧しいだけのオールドミスが、憧れの子爵を射止めたのだ。ただの平民の分際で。
彼女らは、くすくすと笑いながら遠ざかっていった。
ルミナスと偽装結婚に至るまで、彼の行き先など別に気にしたことがなかった。
彼はいつもパッと目を引く令嬢を連れ歩いていたし、下世話な寝物語は一介の家庭教師の耳にまで届くくらいだから、派手に浮き名を流していたのだろう。
そんなルミナスの火遊びは、まるでお芝居のようで、イザベラにとって現実的ではなかった。遠巻きに眺めているだけ。
それなのに、たとえ嘘でも妻の座を得て、欲が出てしまった。
イザベラは己の姿を鏡に映す。
まったくもって、子爵の好みからかけ離れている。
いつも隣にはべらせていた女性とは、丸切りの真逆。ルミナスの目の端にも引っ掛からないくらい、地味で野暮ったい自分。
それなら、せめて……せめて、チラリとさえ見てくれたら……。
イザベラは眼鏡を外し、お団子髪を解いた。
彼は朝食もそこそこに、二頭立ての馬車で出て行ってしまった。
「お母様。夫婦なんですから、そんなよそよそしい」
「い、今は私は家庭教師。雇われた身です」
貴族の公用語の、新しい単語のページを繰る。
「じゃあ、いつならお父様を名前で呼んであげるのかしら? 」
ふふ、と意味ありげにアリアは唇から舌を覗かせて笑った。
そもそも、イザベラは仮初の妻だ。
ルミナスがそれを望んだ。彼は堅物の家庭教師を揶揄うことにだけ心を砕き、一人娘を溺愛している。そして、未だに亡き妻を忘れていない。忘れられないと、先日、彼は確かに認めた。
だったら、どうしてベッドを共にしたのだろう。三日三晩も。
媚薬で苦しむイザベラが可哀想だったから?
女性との後腐れない関係を楽しんできた彼なら、可哀想な家庭教師と寝るくらい、どうってことなかった?
考えれば考えるほど、滅入ってくる。
朝のメイド達の会話が尾を引いていた。
ルミナスは、毎月十日、決まって誰にも行き先を告げずに出掛けていた。
悪友との約束も、狙っていた令嬢との逢引きも、投資に関する会合でさえ、その日は一切の予定も入れず。
「きっと、月に一度の愛人のところだわ」
掃除担当のメイドが廊下を拭きながら、もう一人に話しかけているのが、扉の向こう側から聞こえてきた。
ルミナスが出掛けた直後のこと。
「もう十年ですって。毎月欠かさず足を運ばれて」
「ご結婚されても変わらないのね」
「あら。前の奥様を愛されてたんじゃなかったの? 」
「ほら。それは、それ。遊びは別よ」
「じゃあ、イザベラ様は? 」
「アリア様の相手を所望しただけでしょ」
「成程。納得した」
「でなければ、どうして、あのような方が」
使用人から成り上がった奥様(仮)に、わざと聞かせている節がある。彼女らが面白くないのは理解出来る。美意識の低い、ギャンギャン喧しいだけのオールドミスが、憧れの子爵を射止めたのだ。ただの平民の分際で。
彼女らは、くすくすと笑いながら遠ざかっていった。
ルミナスと偽装結婚に至るまで、彼の行き先など別に気にしたことがなかった。
彼はいつもパッと目を引く令嬢を連れ歩いていたし、下世話な寝物語は一介の家庭教師の耳にまで届くくらいだから、派手に浮き名を流していたのだろう。
そんなルミナスの火遊びは、まるでお芝居のようで、イザベラにとって現実的ではなかった。遠巻きに眺めているだけ。
それなのに、たとえ嘘でも妻の座を得て、欲が出てしまった。
イザベラは己の姿を鏡に映す。
まったくもって、子爵の好みからかけ離れている。
いつも隣にはべらせていた女性とは、丸切りの真逆。ルミナスの目の端にも引っ掛からないくらい、地味で野暮ったい自分。
それなら、せめて……せめて、チラリとさえ見てくれたら……。
イザベラは眼鏡を外し、お団子髪を解いた。
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