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迷路の中
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「フィオナ様? フィオナ様? 」
元々背の低いイザベラにとって、生垣は鬱蒼とした森そのものと呼んでも過言ではない。薄暗くて、圧迫感が半端ない。迷い込んだら出られない。それはイザベラにとって、決して脅しなんかじゃない。本当に迷子になってしまう。
それなのに、入り口からしばらく進んだところで、いきなりフィオナは手を振り解くと、どこかに走り去ってしまった。
去り際、物騒な言葉を残して。
「あなたに、素敵な男性を宛てがってあげるわ」
企みのある、むしろ悪意を含んだ笑い方。
「経験豊富な男よ。ちょーっと酒臭くて、阿片を嗜んでいるけど。後腐れない関係には、ピッタリよ」
言いたいことだけ言って、生垣を右に折れ、左に折れ、正面突き当たりのニ叉路をどちらに曲がったのか、もうわからない。
「ま、待って! 」
「お互い楽しみましょうよ」
甲高い笑い声が風に乗り、どこからともなく流れてくる。
「ああ、そうそう。ミハイル氏は嗜虐趣味があるから、気をつけて」
笑い声と共に、どうしようもない忠告を混じえて。
きゃいきゃいと楽しむ若い娘らの声が聞こえてくるものの、高い生垣に阻まれ、姿は見えない。
出口から大きく外れているのか、誰も通らない。
方向感覚を失ったイザベラは、その場に座り込んだ。
このような場合、焦って闇雲に動くのは、余計に危うい。じっとその場に腰を据えれば、そのうちジョナサン卿の従者が異常に気付いて飛んできてくれるはず。テラスから望遠鏡で監視しているのは、ちゃんと確認済みだ。
だからといって、心細くないわけではない。まるで世界に独りぼっちになった気分。こんな想いは、もうすっかり忘れていたのに。
「アークライト様の馬鹿」
誰に聞かせるわけでもなく、つい口に出してしまった。
自分がこんなに大変なのに、今頃はどこかで男爵令嬢とよろしくやっているのだ。頭の隅にすら、悲嘆に暮れる家庭教師のことなど思いも浮かべずに。
気持ちとは裏腹に、なんて澄み渡った天気だろう。イザベラの心は土砂降りだ。
もう何度目になるかわからない深い溜め息をつく。そんなイザベラに、どこからともなく足音が近づいていた。
「イザベラを見失ったただと! 」
ヒステリックに怒鳴りつけられ、監視役の男はびくびくと首を縮めた。
迷路の出口にはルミナスを始め、旧友のジョナサンと彼の愛人、ローズ男爵令嬢、その幼馴染のカイル男爵家次男坊が揃っている。
「は、はい。途中までは確かにお姿はあったのですが」
恐る恐る、土と芝でレンズの汚れた眼鏡を差し出す。
ルミナスはそれを引ったくった。
間違いなくイザベラのものだ。
「神隠しにあったとでも言うのか! 」
フィオナが迷路から出て来たのは、もう三時間前になる。一緒にいるはずのイザベラは、未だに出て来ない。
フィオナを捕まえて問いただすも「知らないわ」の一点張り。彼女は飽き飽きしたように、屋敷に戻ってしまった。
それから三時間。イザベラは忽然と消えてしまった。まるで最初から存在していなかったように。
「落ち着け、アークライト」
「これが落ち着いていられるか! 」
いらいらと無意味にその場をうろつく。
「石鹸会社のミハイルも来ていたんだろ! ……まさか! 」
「考え過ぎだ、アークライト。ミハイルにも好みがあるだろ……と、失礼」
ジロリと睨みつけられて、ジョナサンは口を噤んだ。
「やつは無類の女好きだ」
ルミナスは親指の爪を噛む。
「だからってなあ。あのミハイルがなあ」
ジョナサンはしきりに首を捻るばかり。
ルミナスは、整えた髪をガシガシと掻き乱す。最早、苛立ちは限界に達していた。
「お前は知らないだろうが、イザベラはああ見えて、なかなか胸があって、尻が柔らかくて、腰の線も細くてだな。恥ずかしそうに胸を隠す姿なんて、かなり情欲を掻き立てられるんだよ! 」
「何でお前がそれを知ってるんだ」
「ああ! こんなことなら、悪い虫を寄せ付けないように顔中にキスマークをつけておけば良かった! くそっ! 」
「取り乱して、とんでもないことを口走ってるぞ」
我を忘れた友人に、やれやれとジョナサンは呆れて肩を落とす。絶対に駄目な話を暴露されてしまった。
「アークライト卿。そう言えば、かなり大きな袋を担いだ男らが何人か、出口あたりをウロウロしていました」
それまで黙っていたカイル家次男坊が、思い出したように前のめりになった。
「それだ! 」
弾かれたようにルミナスが顔を上げた。
「これだけ探しても、迷路にも屋敷にもいないとなると。イザベラは拉致されたんだ! 」
ルミナスは断言する。
誰一人、否定する者はいなかった。
元々背の低いイザベラにとって、生垣は鬱蒼とした森そのものと呼んでも過言ではない。薄暗くて、圧迫感が半端ない。迷い込んだら出られない。それはイザベラにとって、決して脅しなんかじゃない。本当に迷子になってしまう。
それなのに、入り口からしばらく進んだところで、いきなりフィオナは手を振り解くと、どこかに走り去ってしまった。
去り際、物騒な言葉を残して。
「あなたに、素敵な男性を宛てがってあげるわ」
企みのある、むしろ悪意を含んだ笑い方。
「経験豊富な男よ。ちょーっと酒臭くて、阿片を嗜んでいるけど。後腐れない関係には、ピッタリよ」
言いたいことだけ言って、生垣を右に折れ、左に折れ、正面突き当たりのニ叉路をどちらに曲がったのか、もうわからない。
「ま、待って! 」
「お互い楽しみましょうよ」
甲高い笑い声が風に乗り、どこからともなく流れてくる。
「ああ、そうそう。ミハイル氏は嗜虐趣味があるから、気をつけて」
笑い声と共に、どうしようもない忠告を混じえて。
きゃいきゃいと楽しむ若い娘らの声が聞こえてくるものの、高い生垣に阻まれ、姿は見えない。
出口から大きく外れているのか、誰も通らない。
方向感覚を失ったイザベラは、その場に座り込んだ。
このような場合、焦って闇雲に動くのは、余計に危うい。じっとその場に腰を据えれば、そのうちジョナサン卿の従者が異常に気付いて飛んできてくれるはず。テラスから望遠鏡で監視しているのは、ちゃんと確認済みだ。
だからといって、心細くないわけではない。まるで世界に独りぼっちになった気分。こんな想いは、もうすっかり忘れていたのに。
「アークライト様の馬鹿」
誰に聞かせるわけでもなく、つい口に出してしまった。
自分がこんなに大変なのに、今頃はどこかで男爵令嬢とよろしくやっているのだ。頭の隅にすら、悲嘆に暮れる家庭教師のことなど思いも浮かべずに。
気持ちとは裏腹に、なんて澄み渡った天気だろう。イザベラの心は土砂降りだ。
もう何度目になるかわからない深い溜め息をつく。そんなイザベラに、どこからともなく足音が近づいていた。
「イザベラを見失ったただと! 」
ヒステリックに怒鳴りつけられ、監視役の男はびくびくと首を縮めた。
迷路の出口にはルミナスを始め、旧友のジョナサンと彼の愛人、ローズ男爵令嬢、その幼馴染のカイル男爵家次男坊が揃っている。
「は、はい。途中までは確かにお姿はあったのですが」
恐る恐る、土と芝でレンズの汚れた眼鏡を差し出す。
ルミナスはそれを引ったくった。
間違いなくイザベラのものだ。
「神隠しにあったとでも言うのか! 」
フィオナが迷路から出て来たのは、もう三時間前になる。一緒にいるはずのイザベラは、未だに出て来ない。
フィオナを捕まえて問いただすも「知らないわ」の一点張り。彼女は飽き飽きしたように、屋敷に戻ってしまった。
それから三時間。イザベラは忽然と消えてしまった。まるで最初から存在していなかったように。
「落ち着け、アークライト」
「これが落ち着いていられるか! 」
いらいらと無意味にその場をうろつく。
「石鹸会社のミハイルも来ていたんだろ! ……まさか! 」
「考え過ぎだ、アークライト。ミハイルにも好みがあるだろ……と、失礼」
ジロリと睨みつけられて、ジョナサンは口を噤んだ。
「やつは無類の女好きだ」
ルミナスは親指の爪を噛む。
「だからってなあ。あのミハイルがなあ」
ジョナサンはしきりに首を捻るばかり。
ルミナスは、整えた髪をガシガシと掻き乱す。最早、苛立ちは限界に達していた。
「お前は知らないだろうが、イザベラはああ見えて、なかなか胸があって、尻が柔らかくて、腰の線も細くてだな。恥ずかしそうに胸を隠す姿なんて、かなり情欲を掻き立てられるんだよ! 」
「何でお前がそれを知ってるんだ」
「ああ! こんなことなら、悪い虫を寄せ付けないように顔中にキスマークをつけておけば良かった! くそっ! 」
「取り乱して、とんでもないことを口走ってるぞ」
我を忘れた友人に、やれやれとジョナサンは呆れて肩を落とす。絶対に駄目な話を暴露されてしまった。
「アークライト卿。そう言えば、かなり大きな袋を担いだ男らが何人か、出口あたりをウロウロしていました」
それまで黙っていたカイル家次男坊が、思い出したように前のめりになった。
「それだ! 」
弾かれたようにルミナスが顔を上げた。
「これだけ探しても、迷路にも屋敷にもいないとなると。イザベラは拉致されたんだ! 」
ルミナスは断言する。
誰一人、否定する者はいなかった。
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