9 / 95
子爵様はやはり意地悪
しおりを挟む
ルミナスの友人はわいわい言いながら怒涛のように去っていき、広間には静寂が戻った。
柱時計が二時の鐘を打つ。
いい年をした大人が真っ昼間から羽目を外して酔っ払うなんて。
これだから貴族を名乗る連中は。
イザベラは、やだやだと首を左右に振って、頭の隅に湧き出した過去を散らし、消した。
「フィオナが指摘した通り、賢く見せるための変装か? 」
不意打ちの問いかけに、イザベラの体は床から三センチ浮いた。
てっきり皆んなと一緒に部屋を出て行き、今頃はふかふかの羽布団にくるまっていびきでもかいていると踏んでいたのに。
ルミナスは、まだ広間に居残っていたのだ。
「何が仰りたいの? 」
イザベラは牙を剥く。
「これだよ」
警戒心丸出しのイザベラにはちっとも臆さず、むしろ煽るかのように例のニタニタ笑いを張り付かせながら、意味深な台詞を宣う。
イザベラが聞き返すより早く、眼鏡を奪われてしまった。
「成程。この分厚いレンズに、こんな宝石が隠れていたとはね」
「返して」
「まあまあ。もっとじっくり見せてくれ」
腰を屈め後ろに手を回しているルミナスからの、ジロジロと食い入るような視線。あらゆる角度からそれを浴びて、まるで美術館の彫像同然。ハッキリ言って気分が悪い。
「そのお団子頭も、解けば何が出てくるかな」
「やめて! 」
ルミナスの長い指が纏めた髪に触れて、咄嗟にピシャリと手の甲を叩いてしまっていた。
「あっ! 」
イザベラの頭が真っ白になる。
あってはならないことだ。使用人が雇用主に手をあげるなど。
ハッと我に返ったイザベラは、次の瞬間には己の仕出かしてしまったことに狼狽え、可哀想なくらい目玉を右往左往させた。うまい言い訳が出て来ないのか、無意味に半開きになった口から覗く舌で、しきりに唇を舐めている。
「もしや誘っているのかい? 」
ルミナスの眉間に皺が寄った。
「え? 」
「無意識か。厄介だな」
ルミナスは渋い表情のまま、何やらぶつぶつと口中で繰り返している。
「わ、私は何てことを」
「君に手を叩かれたくらいで怪我をするほどやわじゃない」
などと、同情するような目つきでイザベラを見下ろしてくる。
「ただ、気に障ったから、私にも考えはある」
思わせぶりに頬が歪んだ。
イザベラの顔面から一気に血の気が引いた。
万が一クビにでもなれば、唯一の家だった寄宿学校を追い出された今、自分には帰る場所がない。
もしそうなれば、どこか遠い国に旅にでも出てみようか。例えば本で読んだ東の国。その国は見事な刺繍の民族衣装を纏い、金の産地として有名で金細工はそれはそれは素晴らしいとか。
ぼんやりと先走って計画を立てていたら、ルミナスに見透かされたのか、頭上から深い溜め息が落ちた。
「冗談だよ」
やれやれ、と下手くそな舞台役者のごとく肩を竦めた。
その仕草がイザベラの怒りに着火させる。
「そんなに怯えなくても良いだろう? 」
言いながら、ルミナスは眼鏡の蔓の先を弄んでいる。壊されでもしたら、堪ったもんじゃない。修理すれば済む話だが、その間イザベラは素顔を晒さなければならない。
「早く返してください」
「別に視力が悪いわけじゃないだろう」
「早く返してください! 」
イザベラはどん、と右足を踏み鳴らした。怒りは頂点に達している。
ルミナスとしてはもう少し揶揄いたいところだが、致し方ない。そんな彼の内心はお見通しで、イザベラはますます鼻息を荒げる。
「わかった」
ルミナスの赤い目がギラリと光った。悪戯を思いついた、そんな目だ。
「だけど、条件がある」
やはり。イザベラは案の定な展開に、嫌そうに顔をしかめ、ついでに溜め息を吐いた。突拍子のない思いつきでなければ良いけど。
しかし、イザベラの願いは虚しく。
「私にキスしてみなさい」
ルミナスはウィンクし、貴族の若い娘なら間違いなく黄色い声をあげる極上の笑顔を整えた。
柱時計が二時の鐘を打つ。
いい年をした大人が真っ昼間から羽目を外して酔っ払うなんて。
これだから貴族を名乗る連中は。
イザベラは、やだやだと首を左右に振って、頭の隅に湧き出した過去を散らし、消した。
「フィオナが指摘した通り、賢く見せるための変装か? 」
不意打ちの問いかけに、イザベラの体は床から三センチ浮いた。
てっきり皆んなと一緒に部屋を出て行き、今頃はふかふかの羽布団にくるまっていびきでもかいていると踏んでいたのに。
ルミナスは、まだ広間に居残っていたのだ。
「何が仰りたいの? 」
イザベラは牙を剥く。
「これだよ」
警戒心丸出しのイザベラにはちっとも臆さず、むしろ煽るかのように例のニタニタ笑いを張り付かせながら、意味深な台詞を宣う。
イザベラが聞き返すより早く、眼鏡を奪われてしまった。
「成程。この分厚いレンズに、こんな宝石が隠れていたとはね」
「返して」
「まあまあ。もっとじっくり見せてくれ」
腰を屈め後ろに手を回しているルミナスからの、ジロジロと食い入るような視線。あらゆる角度からそれを浴びて、まるで美術館の彫像同然。ハッキリ言って気分が悪い。
「そのお団子頭も、解けば何が出てくるかな」
「やめて! 」
ルミナスの長い指が纏めた髪に触れて、咄嗟にピシャリと手の甲を叩いてしまっていた。
「あっ! 」
イザベラの頭が真っ白になる。
あってはならないことだ。使用人が雇用主に手をあげるなど。
ハッと我に返ったイザベラは、次の瞬間には己の仕出かしてしまったことに狼狽え、可哀想なくらい目玉を右往左往させた。うまい言い訳が出て来ないのか、無意味に半開きになった口から覗く舌で、しきりに唇を舐めている。
「もしや誘っているのかい? 」
ルミナスの眉間に皺が寄った。
「え? 」
「無意識か。厄介だな」
ルミナスは渋い表情のまま、何やらぶつぶつと口中で繰り返している。
「わ、私は何てことを」
「君に手を叩かれたくらいで怪我をするほどやわじゃない」
などと、同情するような目つきでイザベラを見下ろしてくる。
「ただ、気に障ったから、私にも考えはある」
思わせぶりに頬が歪んだ。
イザベラの顔面から一気に血の気が引いた。
万が一クビにでもなれば、唯一の家だった寄宿学校を追い出された今、自分には帰る場所がない。
もしそうなれば、どこか遠い国に旅にでも出てみようか。例えば本で読んだ東の国。その国は見事な刺繍の民族衣装を纏い、金の産地として有名で金細工はそれはそれは素晴らしいとか。
ぼんやりと先走って計画を立てていたら、ルミナスに見透かされたのか、頭上から深い溜め息が落ちた。
「冗談だよ」
やれやれ、と下手くそな舞台役者のごとく肩を竦めた。
その仕草がイザベラの怒りに着火させる。
「そんなに怯えなくても良いだろう? 」
言いながら、ルミナスは眼鏡の蔓の先を弄んでいる。壊されでもしたら、堪ったもんじゃない。修理すれば済む話だが、その間イザベラは素顔を晒さなければならない。
「早く返してください」
「別に視力が悪いわけじゃないだろう」
「早く返してください! 」
イザベラはどん、と右足を踏み鳴らした。怒りは頂点に達している。
ルミナスとしてはもう少し揶揄いたいところだが、致し方ない。そんな彼の内心はお見通しで、イザベラはますます鼻息を荒げる。
「わかった」
ルミナスの赤い目がギラリと光った。悪戯を思いついた、そんな目だ。
「だけど、条件がある」
やはり。イザベラは案の定な展開に、嫌そうに顔をしかめ、ついでに溜め息を吐いた。突拍子のない思いつきでなければ良いけど。
しかし、イザベラの願いは虚しく。
「私にキスしてみなさい」
ルミナスはウィンクし、貴族の若い娘なら間違いなく黄色い声をあげる極上の笑顔を整えた。
4
お気に入りに追加
430
あなたにおすすめの小説
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】帝国滅亡の『大災厄』、飼い始めました
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
大陸を制覇し、全盛を極めたアティン帝国を一夜にして滅ぼした『大災厄』―――正体のわからぬ大災害の話は、御伽噺として世に広まっていた。
うっかり『大災厄』の正体を知った魔術師――ルリアージェ――は、大陸9つの国のうち、3つの国から追われることになる。逃亡生活の邪魔にしかならない絶世の美形を連れた彼女は、徐々に覇権争いに巻き込まれていく。
まさか『大災厄』を飼うことになるなんて―――。
真面目なようで、不真面目なファンタジーが今始まる!
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※2022/05/13 第10回ネット小説大賞、一次選考通過
※2019年春、エブリスタ長編ファンタジー特集に選ばれました(o´-ω-)o)ペコッ
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
妻とは死別する予定ですので、悪しからず。
砂山一座
恋愛
我儘な姫として軽んじられるクララベルと、いわくつきのバロッキー家のミスティ。
仲の悪い婚約者たちはお互いに利害だけで結ばれた婚約者を演じる。
――と思っているのはクララベルだけで、ミスティは初恋のクララベルが可愛くて仕方がない。
偽装結婚は、ミスティを亡命させることを条件として結ばれた契約なのに、徐々に別れがたくなっていく二人。愛の名のもとにすれ違っていく二人が、互いの幸福のために最善を尽くす愛の物語。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる