【完結】家庭教師イザベラは子爵様には負けたくない

晴 菜葉

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家庭教師になった理由

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 子爵邸で娘の家庭教師を募集している。
 イザベラに白羽の矢を立てたのは、働き先の寄宿学校の学校長だ。
「あなたは、こんな辺境の地に押し留めておいて良い人材じゃないわ」
 オールドミスの学校長は、まだ二十歳のイザベラに優しく諭した。
 貴族連中が、手の施しようのない我儘な娘や庶子を放り込む、別名「貴族の監獄」と呼ばれる場所。
 イザベラは十歳の頃から八年を生徒として、残り二年は教える立場としてその学校で過ごした。この先、結婚することなく一生をこの学校に尽くす。そう決意した矢先だった。
「私、何かとんでもないことをやらかしましましたか? 」
「いいえ」
「ここでは役立たず? 」
「いいえ」
「校長を怒らせた? 」
「いいえ」
「では何故、出ていかなければならないんですか? 」
 規則で雁字搦めだし、ご飯は不味いし、質素だし、ろくに外出も出来ない。奔放な貴族なら地獄だろうが、『あっちの世界』がろくなもんじゃないイザベラにとって、この『監獄』はまさに天国だった。
「先程も申しました。あなたは、こんな狭い世界にいてはいけません」
「ですから、何故? 」
「あなたは、もっと広い世界を見る必要があります。視野を広げ、知識を蓄え、様々な経験を積み、いづれは淑女として」
「必要ありません」
 きっぱりと遮る。
 イザベラには何ら必要ではない。この小さな世界で充分満たされている。
「職業斡旋所に勤める友人から、昨日、手紙が届きました。子爵はあなたを家庭教師として望まれています」
 イザベラの頭が白く爆ぜる。
 頭から血の気が引いていくのを実感する。指先がどんどん冷たくなっていき、目の前がぐらぐらと回転する。校長の顔がぐにゃりと歪んだ。
「酷いわ。勝手に話を纏めて」
 息も切れ切れにイザベラは吐き出す。
 両親の愛を知らないイザベラにとって、校長は唯一愛を教えてくれ、人生の指針を示してくれた方。母親代わりといっても過言ではない。
 だが、それはイザベラの一方通行だったのだ。
 校長はあくまで元教え子、単なる雇用した職員としか見ていなかった。でなければ、イザベラの知らないところで話を進めるはずがない。
 みるみるうちに、イザベラの翠緑の瞳から大粒の涙が溢れてくる。
「イザベラ・シュウェーター」
 校長は糊のかかったハンカチを取り出すと、まるで壊れ物に触れるかのごとく、丁寧にイザベラの涙を拭う。
「私はあなたを娘同然に思っていますよ」
 思ってもみないその言葉に、イザベラは弾かれたように顔を上げた。翠緑の瞳をこれでもかと見開く。
「だからこそ、です。私は娘の可能性を最大限に広げてあげたい」
 この親心がわかりますか? 校長は微笑んだ。
 随分、お年を召してしまった。イザベラは校長の皺だらけの顔をマジマジ見つめ、唇を噛み締める。
 常に気を張り、何かと言えば規則規則とヒステリックに喚き散らし、生徒から煙たがられていたのに。イザベラが学生の頃は、こんな穏やかに笑う方ではなかった。
 変わらないと思っても、自分の知らないところで周りはどんどん変わっていっている。
 校長の笑顔を前にし、イザベラは現実を突きつけられた。
 いつまでも、この天国にはいられない。続かない。
 最早、潮時だ。
 自分は守られる存在ではなくなったのだ。
「……承知しました」
 イザベラの心に冷たい風が駆け抜けていった。

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