寡黙な消防士でも恋はする

晴 菜葉

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 カードキーを差し込んで開けた扉の先には、ダブルベッドが置かれていた。紺色で統一されたシンプルな部屋。何でダブルベッド?などとふと湧いた疑問をそのまま見過ごす程度に、俺は酔っている。
 ベッド脇の書斎机にキーを放り投げ、椅子にジャケットを掛けると、日浦はベッドの上にどかっと腰を下ろした。
「あっちゃん、離婚したんだって?」
 いきなりかよ。
 俺は聞かない振りで、よろめく足取りで洗面所に入り、蛇口を捻る。無言で顔を洗った。火照った顔に水滴が気持ち良い。
「この前、飲んだとき、総務の子からチラッと聞いたんだ」
 わざわざ洗面所まで追いかけてきて、続ける話かよ。ああ、うるせえな。何でこう、うちの署の女はお喋りなのかねえ。離婚に関する手続きをして、まだ一週間と経っていないぞ。そもそも、何で酒の席で暴露するんだ。守秘義務はどうした。俺はいらいらを誤魔化すため乱暴に顔を擦った。
「つまり、もう他人のもんじゃないってことだよな」
 日浦が独り言ちる。何となく、ここで反論しておかなければならない気になった。
「俺は俺だ。誰のもんでもねえよ」
「酔ってると、饒舌だな」
 返ってきたのは、小馬鹿にしたような笑いだ。ムカーッと、俺の中に潜んでいた不良時代の俺が出て来た。音つきで振り返ると、拭きさがしの水滴が散った。
「うるせえな。大体、鉄仮面って何だよ。この渾名のおかげで、市局に行くたびに女共がクスクスと。迷惑してんだよ」
「ハハハ。やっぱり」
「笑い事じゃねえ」
 唾を飛ばして、日浦の襟首を絞め上げ、前後に振る。
「俺はお前みたいに、へらへらへらへら誰彼構わず愛想振り撒いてるわけじゃねえんだよ。それを何だ、ええ?鉄仮面って」
「大黒谷の元締めは健在か」
「何だと……うう……」
 やっぱり空きっ腹に一気に三杯は無謀だったか。しかも、興奮したのがいけなかった。膝から力が抜け、ずるずると日浦の脛を手が滑っていく。
「ちょ、ちょっと。あっちゃん!大丈夫か!」
「気持ち悪い。黙ってろ。吐く……ううぇ……」
 胃から食道を通って込み上げてくる酸っぱさが、たちまち口内に溢れ返る。熱い塊が一気に口から噴出した。
「げえええええ」
 蛙が喉を潰したような声は誰のだ。俺だ。
「あああああ!」
 じゃあ、金切り声を上げているのは。日浦だ。
 日浦は半泣きになりながら、降参のポーズを取っておろおろしている。やつの上等の革靴とズボンを、容赦なく吐瀉物まみれにしてしまった。悪い、と心の中で手を合わせると、またしても熱さが喉を。今度はシャツとジャケットまで。蒼白になってぶるぶると小刻みに体を揺する日浦よ。本当にすまない。
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