39 / 42
第四章
束の間の休息
しおりを挟む
いつの間にか、うとうとしていたらしい。
馬の扱いが上手い御者といえど、やはりでこぼこ道では馬車は傾く。このような不安定な状況では絶対に眠れそうにはないと思っていたのに、どうやら体はすぐに順応したようだ。
揺り起こされて目を開ければ、幾らか柔和な顔つきのエデュアルトが視界に入った。
「もう着いたの? 」
目を擦りながら尋ねれば、すぐさま厳しい顔つきに戻ったエデュアルトがかぶりを振った。
「今回はニ時間ほど宿で休むことになりそうだ」
いつの間にか宿屋の前に停車していた。
一つ前に立ち寄った宿屋よりは賑わっている。目的地まで近づいていることを実感する。
「一刻も早く経ちたいわ」
「それが、そうもいかない」
エデュアルトは困ったように、ぐしゃりと前髪を潰した。
「皆んな、考えることは似たり寄ったりだ。なかなか貸し馬車が捕まらない」
王国から見て辺境の村といえど、管轄はれっきとした隣国になる。この国は、四つの連合国として構成されていた。
国が違えば、法律も違う。
そこが結婚条例の抜け穴だ。
国境を越えることとなる。二人分の通行許可証をどのように手に入れたのかはわからないが、エデュアルトは自分が持つあらゆる伝手を使って驚くほどの早さでちゃんとそれを用意していた。
王都では結婚の法律がかなり厳しいので、それらに背いたカップルは何百組と馬車道を通って辺境を目指した。
駆け落ち婚の聖地を目指して。
そこで結婚式を挙げ、晴れて夫婦として既成事実を作り、王都へと戻る。
勿論、駆け落ちなどといったスキャンダルを起こすのだから、エデュアルトは爵位こそあれ社交界に戻るのは時間が掛かるだろう。
アメリアだって、爪弾きにされる。
いかに浅はかなことを彼に望んでしまったのだろう。
アメリアは申し訳なさで、鼻の奥がツンとした。
宿屋はエデュアルトの特技で、一時間という条件がありながら易々と借りることが出来た。
アメリアが先に部屋に入る。
エデュアルトはアメリアには続かず、事務室へと宿の若い娘と消えていったのを、知らない振りをした。
お礼として宿屋の若い娘にキスだけでは済まないことをしているのだ。
アメリアの憶測はあながち間違ってはいない。
部屋に戻ってきたエデュアルトの首筋には、薄紫色のキス痕がこれみよがしについていた。
アメリアはギュッと胸が絞られてしまったが、青髭のことを考えて気を紛らわせることにした。三十歳上の見ず知らずの暴力夫よりは、下半身にだらしない夫の方がマシ。呪文のように心の内で唱える。
「俺は馬車の交渉してくるから。休めるうちに休んでおけ」
「でも……あなたも休まないと」
「馬車で休む」
「でも」
「アメリア。いい子で待っていろ」
言いながら、アメリアの髪をふわりと撫でる。
またしても子供扱い。
言い置いて、エデュアルトはさっさと部屋を出て行く。
彼の怒りは最初に比べると幾分かは和らいでいるようだ。
しかし、そんな彼の態度に甘んじるつもりはない。
「くっ……届かないわ」
アメリアは何とか包帯の結び目は解いたものの、背中に手が回らず顔をしかめた。
旅行鞄に詰め込んだ薬を塗るのは、なかなか厳しい。あんまり手を動かせば背中が引き攣れて痛む。
「バカ。薬を塗るくらい、俺に頼め」
いつの間にか戻っていたエデュアルトに、真後ろからヒョイと薬を取り上げられる。
「で、でも」
「仮にもこれから夫婦になるんだろう」
まだ抵抗しようとするアメリアをベッドの淵に座らせると、エデュアルトは同じようにマットレスに尻を乗せた。
「……傷が大きいな」
後ろを向いているから、彼の表情はわからない。だが、声音は低い。
「熱は」
「ないわ」
「痛みは」
「……」
「アメリア」
「……あるわ」
「何故、早く言わないんだ」
非難じみた声に、アメリアは俯く。
仮に痛みを訴えたところで、鬱陶しそうに舌打ちをくらうだけだと踏んでいたから。
「それよりも早く結婚証明書が欲しいから」
アメリアは胸の内にある言葉を飲み下すと、代わりに用意した言葉を使う。
傷に関することをこのまま続ければ、まるで彼を非難しているようだから。アメリアはそのようなこと、本意としない。
自分の傷で半ば彼を脅して結婚を迫ったのだから。
これ以上、彼を陥れるような言動は避けたい。
「お前は昔からおとなしい顔をして、無鉄砲だったからな」
エデュアルトの表情はわからない。
どこか懐かしむような、かつての優しい彼の声だった。
馬の扱いが上手い御者といえど、やはりでこぼこ道では馬車は傾く。このような不安定な状況では絶対に眠れそうにはないと思っていたのに、どうやら体はすぐに順応したようだ。
揺り起こされて目を開ければ、幾らか柔和な顔つきのエデュアルトが視界に入った。
「もう着いたの? 」
目を擦りながら尋ねれば、すぐさま厳しい顔つきに戻ったエデュアルトがかぶりを振った。
「今回はニ時間ほど宿で休むことになりそうだ」
いつの間にか宿屋の前に停車していた。
一つ前に立ち寄った宿屋よりは賑わっている。目的地まで近づいていることを実感する。
「一刻も早く経ちたいわ」
「それが、そうもいかない」
エデュアルトは困ったように、ぐしゃりと前髪を潰した。
「皆んな、考えることは似たり寄ったりだ。なかなか貸し馬車が捕まらない」
王国から見て辺境の村といえど、管轄はれっきとした隣国になる。この国は、四つの連合国として構成されていた。
国が違えば、法律も違う。
そこが結婚条例の抜け穴だ。
国境を越えることとなる。二人分の通行許可証をどのように手に入れたのかはわからないが、エデュアルトは自分が持つあらゆる伝手を使って驚くほどの早さでちゃんとそれを用意していた。
王都では結婚の法律がかなり厳しいので、それらに背いたカップルは何百組と馬車道を通って辺境を目指した。
駆け落ち婚の聖地を目指して。
そこで結婚式を挙げ、晴れて夫婦として既成事実を作り、王都へと戻る。
勿論、駆け落ちなどといったスキャンダルを起こすのだから、エデュアルトは爵位こそあれ社交界に戻るのは時間が掛かるだろう。
アメリアだって、爪弾きにされる。
いかに浅はかなことを彼に望んでしまったのだろう。
アメリアは申し訳なさで、鼻の奥がツンとした。
宿屋はエデュアルトの特技で、一時間という条件がありながら易々と借りることが出来た。
アメリアが先に部屋に入る。
エデュアルトはアメリアには続かず、事務室へと宿の若い娘と消えていったのを、知らない振りをした。
お礼として宿屋の若い娘にキスだけでは済まないことをしているのだ。
アメリアの憶測はあながち間違ってはいない。
部屋に戻ってきたエデュアルトの首筋には、薄紫色のキス痕がこれみよがしについていた。
アメリアはギュッと胸が絞られてしまったが、青髭のことを考えて気を紛らわせることにした。三十歳上の見ず知らずの暴力夫よりは、下半身にだらしない夫の方がマシ。呪文のように心の内で唱える。
「俺は馬車の交渉してくるから。休めるうちに休んでおけ」
「でも……あなたも休まないと」
「馬車で休む」
「でも」
「アメリア。いい子で待っていろ」
言いながら、アメリアの髪をふわりと撫でる。
またしても子供扱い。
言い置いて、エデュアルトはさっさと部屋を出て行く。
彼の怒りは最初に比べると幾分かは和らいでいるようだ。
しかし、そんな彼の態度に甘んじるつもりはない。
「くっ……届かないわ」
アメリアは何とか包帯の結び目は解いたものの、背中に手が回らず顔をしかめた。
旅行鞄に詰め込んだ薬を塗るのは、なかなか厳しい。あんまり手を動かせば背中が引き攣れて痛む。
「バカ。薬を塗るくらい、俺に頼め」
いつの間にか戻っていたエデュアルトに、真後ろからヒョイと薬を取り上げられる。
「で、でも」
「仮にもこれから夫婦になるんだろう」
まだ抵抗しようとするアメリアをベッドの淵に座らせると、エデュアルトは同じようにマットレスに尻を乗せた。
「……傷が大きいな」
後ろを向いているから、彼の表情はわからない。だが、声音は低い。
「熱は」
「ないわ」
「痛みは」
「……」
「アメリア」
「……あるわ」
「何故、早く言わないんだ」
非難じみた声に、アメリアは俯く。
仮に痛みを訴えたところで、鬱陶しそうに舌打ちをくらうだけだと踏んでいたから。
「それよりも早く結婚証明書が欲しいから」
アメリアは胸の内にある言葉を飲み下すと、代わりに用意した言葉を使う。
傷に関することをこのまま続ければ、まるで彼を非難しているようだから。アメリアはそのようなこと、本意としない。
自分の傷で半ば彼を脅して結婚を迫ったのだから。
これ以上、彼を陥れるような言動は避けたい。
「お前は昔からおとなしい顔をして、無鉄砲だったからな」
エデュアルトの表情はわからない。
どこか懐かしむような、かつての優しい彼の声だった。
240
お気に入りに追加
1,636
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

お姉さまは最愛の人と結ばれない。
りつ
恋愛
――なぜならわたしが奪うから。
正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身
青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。
レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。
13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。
その理由は奇妙なものだった。
幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥
レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。
せめて、旦那様に人間としてみてほしい!
レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。
☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。

一年で死ぬなら
朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。
理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。
そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。
そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。
一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる