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第四章
ぎこちない会話
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目的地まで半分程となった。
今度の貸し馬車の御者は、それほど荒々しくはない。一つ前に感じた揺れほどではない。エデュアルトは、腕の良い御者を雇ってくれたようだ。
「傷はどうだ? 」
エデュアルトは思い出したように尋ねてきた。
アメリアの怪我の具合は後回しにされていた。
サンシェット氏がアメリアに直に求婚されたら、最早、結婚話は速度を上げて纏ってしまう。そうなれば、結婚証明書が発行されて、取り返しがつかなくなる。正当な理由もなく覆すことなど不可能。裁判所に無効の申請をしたところで、確固たる理由がなければ取り合ってすらくれない。
そうなる前に駆け落ち婚をして、即日、結婚証明書を発行してもらう必要がある。
「へ、平気よ」
アメリアは精一杯作り笑いをした。
本当は背中がズキズキ痛んで仕方ない。幸いにも縫合した痕が裂けているなんてことにはならないが、本来ならば一週間は安静にしなければならない。まだ抜糸すらしていない。
刺された傷によるショックで出た熱は、三日間気絶しているうちに何とか治ってはいたものの、またいつ感染症を起こしてぶり返すかわからない。
「それなら良い。床入りが滞りなければな」
アメリアの顔をまともに見ないから、彼女の額にびっしり脂汗が浮かんでいるなど、エデュアルトはわかるわけがない。
エデュアルトの心配は、結婚を確実なものにとする床入りのことだけ。
「あなたって冷たい人なのね」
「俺はこんな男だからな」
「わざと私に嫌われようとしているみたいね」
「買い被り過ぎだ」
エデュアルトは不快極まりないと、そっぽ向いた。
「そんなに結婚が嫌? 」
「当たり前だ」
即答される。
「俺は父のようにはなりたくはない」
「どうして? 」
「今、説明する気はない」
エデュアルトは余程、結婚に関して何やら憎々しい過去があるようだ。
彼の父であるメローズ伯爵とエデュアルトは昔から確執があり、寄宿学校の長期休暇でも実家には帰らず、ヴィンセント家に滞在していた。
当時、まだ病に侵されていなかったアメリアの両親も、そこのところの事情は汲んでいるようで、何も言わずに彼を受け入れていた。
結局、誰一人としてその点を口にはせず、エデュアルトの心はわからずじまい。
アメリアは話題を変えた。
「聞いても良い? 」
上目遣いで、恐る恐る尋ねてみる。
「聞きたいことがあるなら、さっさと言え」
そっぽ向いたまま、エデュアルトはいらいらと促す。
「……お義姉様のことを、いつから想っていたの? 」
ハッと漆黒の瞳が見開いた。
「何故、そんなことを知る必要があるんだ? 」
アメリアに向けられた眼差しは、ゾクっとするほど怜悧だ。
「夫となる人のことを知るのは当然でしょう? 」
「何もかも知る必要はない」
「教えて」
「しつこい」
「教えてくれるまで、この話は終わらせないわ」
前のめりになって、エデュアルトの顔を覗き込む。
真っ直ぐなアメリアに、エデュアルトは根負けした。
「最初にエイスティン夫人に目をつけたのは、俺だ」
苦々しい顔で彼は吐露する。
「社交デビューの彼女は、どの令嬢よりも華やかで目を惹いた。まさに『砂漠に咲く薔薇の花』だった」
誰もがエイスティンをそう比喩する。
ハッキリ言って不細工なハリーに嫁いだことで、独身男、特に顔面に自信のある男らは発狂したとか、しないとか。
「俺はすぐに彼女に声を掛けたさ」
「それで? 」
「平手を食らった」
派手な外見とは程遠い、おしとやかなエイスティン。
その彼女がブチ切れるのだから、余程のことを仕出かしたのだ。この男は。
「当時、俺は二十代で女からかなりチヤホヤされていたからな。自惚れていたんだ」
「無礼な振る舞いをしたの? 」
「まあな。強引にベッドに連れ込もうとした」
「最低」
案の定の展開に、アメリアは危うく唾を吐いてしまうところだった。
「そこへ割って入ったのが、ヴィンセントだ」
エデュアルトは額に手の甲を乗せると、くっと喉を鳴らした。
「やつは紳士らしく彼女を俺から救出した。運動音痴のくせに見事なパンチだったな、あれは」
さしておかしくもないくせに、無理矢理笑おうとしている表情だ。そこから、彼の無念が滲み出ている。
「結局、俺はやつらが出会うきっかけを作った道化だ。面白いくらいの当て馬なんだ」
「本気でお義姉様が好きなのね」
エデュアルトはハッと鼻を鳴らした。
「別に。ただ、女に振られたことのない俺を初めて振った相手だからな。執着があるだけだ」
「一生、忘れられないのね」
アメリアの解釈に、エデュアルトはうんざりしたふうに首を横に振った。
「アメリア。人の気持ちなんか変わって当然なんだ」
エデュアルトの黒い瞳の中に姿がくっきりと映る。
「いつまでも初恋に囚われなくて良い」
「どう言う意味? 」
「俺への気持ちなんて、そのうち変わる」
まるで確信を得たような言い方。
それを言わしめる彼は、アメリアの知らない人生を歩んできている。アメリアが知るエデュアルトは、ごく一部でしかない。
「何故……何故、そう言い切れるの? 」
一体、どのような生い立ちだろう。
兄はそれに関して、意図的に話を逸らしてきたから、アメリアは知らない。
「そのうち、お前もそうなるからだよ」
「決めつけないで」
「アメリア。変わらないものなんて、この世には何もないんだ」
整ったその顔に昏い影を落ちることを、アメリアは黙って見るしかなかった。
今度の貸し馬車の御者は、それほど荒々しくはない。一つ前に感じた揺れほどではない。エデュアルトは、腕の良い御者を雇ってくれたようだ。
「傷はどうだ? 」
エデュアルトは思い出したように尋ねてきた。
アメリアの怪我の具合は後回しにされていた。
サンシェット氏がアメリアに直に求婚されたら、最早、結婚話は速度を上げて纏ってしまう。そうなれば、結婚証明書が発行されて、取り返しがつかなくなる。正当な理由もなく覆すことなど不可能。裁判所に無効の申請をしたところで、確固たる理由がなければ取り合ってすらくれない。
そうなる前に駆け落ち婚をして、即日、結婚証明書を発行してもらう必要がある。
「へ、平気よ」
アメリアは精一杯作り笑いをした。
本当は背中がズキズキ痛んで仕方ない。幸いにも縫合した痕が裂けているなんてことにはならないが、本来ならば一週間は安静にしなければならない。まだ抜糸すらしていない。
刺された傷によるショックで出た熱は、三日間気絶しているうちに何とか治ってはいたものの、またいつ感染症を起こしてぶり返すかわからない。
「それなら良い。床入りが滞りなければな」
アメリアの顔をまともに見ないから、彼女の額にびっしり脂汗が浮かんでいるなど、エデュアルトはわかるわけがない。
エデュアルトの心配は、結婚を確実なものにとする床入りのことだけ。
「あなたって冷たい人なのね」
「俺はこんな男だからな」
「わざと私に嫌われようとしているみたいね」
「買い被り過ぎだ」
エデュアルトは不快極まりないと、そっぽ向いた。
「そんなに結婚が嫌? 」
「当たり前だ」
即答される。
「俺は父のようにはなりたくはない」
「どうして? 」
「今、説明する気はない」
エデュアルトは余程、結婚に関して何やら憎々しい過去があるようだ。
彼の父であるメローズ伯爵とエデュアルトは昔から確執があり、寄宿学校の長期休暇でも実家には帰らず、ヴィンセント家に滞在していた。
当時、まだ病に侵されていなかったアメリアの両親も、そこのところの事情は汲んでいるようで、何も言わずに彼を受け入れていた。
結局、誰一人としてその点を口にはせず、エデュアルトの心はわからずじまい。
アメリアは話題を変えた。
「聞いても良い? 」
上目遣いで、恐る恐る尋ねてみる。
「聞きたいことがあるなら、さっさと言え」
そっぽ向いたまま、エデュアルトはいらいらと促す。
「……お義姉様のことを、いつから想っていたの? 」
ハッと漆黒の瞳が見開いた。
「何故、そんなことを知る必要があるんだ? 」
アメリアに向けられた眼差しは、ゾクっとするほど怜悧だ。
「夫となる人のことを知るのは当然でしょう? 」
「何もかも知る必要はない」
「教えて」
「しつこい」
「教えてくれるまで、この話は終わらせないわ」
前のめりになって、エデュアルトの顔を覗き込む。
真っ直ぐなアメリアに、エデュアルトは根負けした。
「最初にエイスティン夫人に目をつけたのは、俺だ」
苦々しい顔で彼は吐露する。
「社交デビューの彼女は、どの令嬢よりも華やかで目を惹いた。まさに『砂漠に咲く薔薇の花』だった」
誰もがエイスティンをそう比喩する。
ハッキリ言って不細工なハリーに嫁いだことで、独身男、特に顔面に自信のある男らは発狂したとか、しないとか。
「俺はすぐに彼女に声を掛けたさ」
「それで? 」
「平手を食らった」
派手な外見とは程遠い、おしとやかなエイスティン。
その彼女がブチ切れるのだから、余程のことを仕出かしたのだ。この男は。
「当時、俺は二十代で女からかなりチヤホヤされていたからな。自惚れていたんだ」
「無礼な振る舞いをしたの? 」
「まあな。強引にベッドに連れ込もうとした」
「最低」
案の定の展開に、アメリアは危うく唾を吐いてしまうところだった。
「そこへ割って入ったのが、ヴィンセントだ」
エデュアルトは額に手の甲を乗せると、くっと喉を鳴らした。
「やつは紳士らしく彼女を俺から救出した。運動音痴のくせに見事なパンチだったな、あれは」
さしておかしくもないくせに、無理矢理笑おうとしている表情だ。そこから、彼の無念が滲み出ている。
「結局、俺はやつらが出会うきっかけを作った道化だ。面白いくらいの当て馬なんだ」
「本気でお義姉様が好きなのね」
エデュアルトはハッと鼻を鳴らした。
「別に。ただ、女に振られたことのない俺を初めて振った相手だからな。執着があるだけだ」
「一生、忘れられないのね」
アメリアの解釈に、エデュアルトはうんざりしたふうに首を横に振った。
「アメリア。人の気持ちなんか変わって当然なんだ」
エデュアルトの黒い瞳の中に姿がくっきりと映る。
「いつまでも初恋に囚われなくて良い」
「どう言う意味? 」
「俺への気持ちなんて、そのうち変わる」
まるで確信を得たような言い方。
それを言わしめる彼は、アメリアの知らない人生を歩んできている。アメリアが知るエデュアルトは、ごく一部でしかない。
「何故……何故、そう言い切れるの? 」
一体、どのような生い立ちだろう。
兄はそれに関して、意図的に話を逸らしてきたから、アメリアは知らない。
「そのうち、お前もそうなるからだよ」
「決めつけないで」
「アメリア。変わらないものなんて、この世には何もないんだ」
整ったその顔に昏い影を落ちることを、アメリアは黙って見るしかなかった。
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