壁の花令嬢の最高の結婚

晴 菜葉

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第三章

砂糖菓子の夢1

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 馬車が停車したのは、大通り寄りの比較的治安の良さそうな宿だった。
 ペンキが塗られたばかりなのか、群青色の外壁は艶々で、片開きの木製ドアも何ら不具合はない。
 宿の客はすでに部屋に引いたのか、それとも元からいないのか。玄関扉を開けた正面の一枚板のカウンターに宿屋の主人がいるだけで、誰の姿もない。
 宿屋の主人は一枚一枚銀貨を数えていたが、エデュアルトに気づくと愛想良く歯の抜けた口をニカッと開けた。
「旦那、今日は随分と別嬪をお連れですね」
「余計な詮索はやめろ」
「これは失礼」
 宿屋の主人は禿げ上がった頭を下げてペチリと叩くと、またもやニカッと笑う。今度はアメリアに向けて。
「いつもの部屋は空いていますよ」
 エデュアルトは黙って頷くと、青銅の鍵を預かった。
 螺旋階段で繋がる二階建てかと思ったが、実は三階建てだ。
 階段を素通りし、右手にある重々しい扉に鍵を差し込めば、かちりと鳴った。
 扉を開けた途端、空気が変わる。むうっ、と蒸れるくらいの暑さ。
 上へと続く階段が現れた。一人分やっと通れるくらいの狭さだ。
 エデュアルトは慣れたふうに階段を踏んだ。
「いつも、女の人を連れ込んでいるの? 」
「俺は聖人君子ではないからな。ほどほどに発散させないと」
「ほどほどじゃないでしょ」
「黙ってろ」
 正面に木製のドアがある。
 屋根裏に作られた部屋。
 むうっと蒸れたのは階段だけで、室内は風通しがよく、思った以上に涼やかだ。
 無駄な装飾が一つもない、実に簡素な室内。
 マホガニー材の飾り彫りのないベッドが中央にポツンとある。申し訳程度にサイドボードとクローゼットが置かれている以外、家具はない。色褪せたベルベット地の群青色の絨毯、同じ色のカーテン。壁紙は白一色。およそ爵位のある者が使うような宿ではない。
 それこそが、エデュアルトの目的だ。
 彼の相手となる女性は様々。身分を偽っているもいる。例えば夫のある身のジュリアなど。
 ほぼ誰の目にも触れる恐れのない寂れた宿屋だからこそ、エデュアルトの御用達だ。
 まるで秘密基地のよう。
 アメリアは興冷めするどころか、ますます欲望が燃え上がった。
「エデュアルトお兄様……好き……」
 部屋に入った途端、アメリアはエデュアルトの胸めがけて飛び込んでいた。
 不意打ちにエデュアルトがよろめく。
 足を踏ん張って、真後ろに倒れるのを何とか耐えた。
「これは媚薬の効果か? あんなもの蔑んでいたが、物凄い効き目だな」
 エデュアルトは独りごちる。
 品位を重んじるアメリアとは思えない行動。厳しく躾けられたレディとして、あるまじきこと。
 アメリアはお構いなしに、彼の胸に顔を埋めると、思い切りその匂いを吸い込んだ。
 柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「あの憎たらしいアメリアが。こんなふうに甘ったれるなんてな」
「エデュアルトお兄様。好き好き。本当は、ずっとこうしたかったの」
「そうなのか? 」
「エデュアルトお兄様ったら、いつも綺麗な女の人をお連れで」
 どうして自分は彼の隣には立てないのだろう。そんなことを思いながら、いつだって、アメリアは夜会で美しい令嬢とダンスするエデュアルトの背中を見るしかなかった。
 そのエデュアルトの視線は令嬢ではなく、勿論アメリアでもなく、彼方にある。
「本当はエイスティンお義姉様を慕っているくせに」
「終わったことだ。蒸し返すな」
「泣くくらい好きなのに? 」
 鼓膜から伝わる彼の心音が、急に速まった。
 アメリアは彼の涙が忘れられない。
 分厚く破壊出来ない壁は、確実にふたりの間にあった。

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