壁の花令嬢の最高の結婚

晴 菜葉

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第二章

最悪な始まり

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「ねえ、エディ。寂しかったわあ」
「そうか、そうか。可愛い女だな、お前は」
 不意に鼓膜に入り込んできた会話に、たちまちアメリアの顔が曇る。
 女はともかく、男の声を聞き間違えるはずがない。
 浮ついた令嬢らはストラディバリウスのような貴重な音色だとか例えているが、アメリアにしてみれば、柔らかな音を出して平然と首を切るノコギリにしか聞こえない。口を開けばゾゾゾと背筋がむず痒くなる。
「今晩は帰らないで」
 女のいかにも作り物のような甲高い声が気に障る。
「まだ日の高いうちから、仕方ない女だな」
 何よりこめかみをズキズキさせるのは、わざとらしい男の返し方。
 貴族の男ときたら、どいつもこいつも。アメリアは胸の内で口汚く罵る。
 新しい第一歩が泥まみれになってしまった気分だ。
 絶対に会いたくなかった。
 少なくとも今日、このときは。
 神様は何て意地悪だろう。
 エデュアルトは娼館の壁に凭れながら、媚を売る若い娼婦にニタニタと口元をだらしなく弧の字に曲げた。
 娼婦ときたらエデュアルトの好み通りで、金色に染めた髪、布地がはち切れんばかりに大きな胸をしている。誰を連想させるか言うまでもない。
 ギリギリと奥歯を擦り合わせるアメリアにはちっとも気づかず、二人は会話を楽しんでいる。
「だが俺はこれから賭博場に行くんだ」
「寂しいこと言わないで」
「勝ち越したら、すぐにお前の店に顔を出すから」
「約束よ」
「ああ」
 軽々しく娼婦の唇に、自分達の唇を落とすエデュアルト。
 アメリアを陥れたキスを、この男はいとも容易く他の女にも振る舞っている。
 アメリアの全身を巡る血がたちまち沸騰した。耳から湯気を吹かんばかりに、顔どころか指先まで真っ赤になる。
 この男はアメリアの初めてのキスを奪ったのだ。
 しかも、エイスティンを想いながら。
 エイスティンに子供が出来たと知って、泣くほどショックを受けていたくせに。
 それなのに、そんなことなかったかのように、他の女と戯れている。
「最低! 」
 思わず叫んでいた。
 

「アメリア? 」
 不意に向けられた罵りに、エデュアルトはようやくその存在に気づいた。
 アメリアは灰色の木綿スカートをぐしゃぐしゃに握りしめ、生地を台無しにした。白くて小さな手は赤くなり、筋が浮き立つ。
「何でお前がこんな場所にいるんだ? 」
 驚いたように切れ長の目を見開いたのは一瞬で、すぐさま冷ややかな色を取り戻す。
「ヴィンセントはお前がここにいるのを承知しているのか? 」
「ヴィンセント伯爵家は、もう私には関係ありません」
 アメリアは語気を強めた。
「まさか家出してきたのか? 」
 肯定する代わりに、ふんとそっぽ向く。
 途端、エデュアルトが憤怒した。
「来い! 」
 娼婦に見せただらしない笑みはどこかへ行き、エデュアルトは目を据わらせてアメリアの手首を掴んだ。
 指の力は異常なくらい強くて、アメリアの柔らかな皮膚に食い込む。あまりの痛みに、可愛らしい顔がこの上なく歪んだ。
 エデュアルトにしなだれかかっていた娼婦は、彼の剣幕に引いて、モゴモゴ何かを呟くなり、脱兎のごとく逃げた。ややこしいことには関わるまいという、賢明な判断だ。


「いや! 離して! 」
「いいから、来い! 」
 土と泥で汚れた道端には、ゴミがそこら辺に放り捨てられ、路上生活者がそこかしこで横たわっている。
 アメリアはそんな彼らを避けながら、必死にエデュアルトの拘束から逃れようと喚いた。
 アメリアがヒステリックに叫ぶたびに、エデュアルトの怒声が被さる。
 路上生活者は迷惑そうに睨んでくるが、構っていられない。
 ぼろぼろに錆びたトタン屋根の軒には、あけっぴろげに女性物の下着が並んでいた。娼婦が寝泊まりする売春宿のエリアに入っていた。
 薄くて大胆な洗濯物を潜り抜けながら、押し問答が続く。
「嫌よ! 屋敷には帰らないんだから! 」
「くだらんことをするな! どこまで子供だ! 」
「何よ! あなたのせいでもあるのよ! 」
 屋敷に帰れない原因を詰る。挑発に乗ってしまったアメリアに非があるが、その原因を作った男が何の問題もないなんて、理不尽極まりない。
「わ、私はこんなところで躓いてる場合じゃないのに! 」
 悔しくて悔しくて、ボロボロと涙が零れ落ちる。
 小説のように美しくハッとする涙で濡れた顔とは程遠い。
 涙は溢れ返るし、悔しくて顔は真っ赤だし、鼻水は止まらないし。涙で目が腫れて滅茶苦茶だ。
「こら! 泣くな! 」
 エデュアルトは子供を相手にするような言い方で咎めた。
 それが、ますますアメリアの自尊心を切り崩していく。
「エデュアルトお兄様のバカバカ! 」
 エデュアルトのお眼鏡に叶う美女ならば、きっと甘い言葉で言い包められているところだ。
 しかし、アメリアに対しては口悪く、鬱陶しそうに吐き捨てる。
「お、おい。その呼び名はよせ」
 いきなり恥ずかしい呼び方をされて、エデュアルトは焦った。
「何よ! お兄様のバカ! 嫌いよ! 」
「ア、アメリア」
「エデュアルトお兄様なんて、大っ嫌いよ! 」
 エデュアルトは気まずそうに周囲に視線を這わせる。
 彼の危惧した通りに、騒ぎに何事かと家々のドアやら窓から顔を覗かせた野次馬が、面白そうにニタリニタリと歯を剥いていた。
、あんまり若い娘をいじめちゃ駄目よ」
 二階の窓からシュミーズ姿の娼婦が、裏声を出して揶揄う。
「あらあ、ったら、よく見たらいい男じゃない」
「連れて帰るなら、私にしてよ。
 仕事前の娼婦らが次々と窓から顔を覗かせて続けた。
「黙れ! 」
 エデュアルトはおよそ紳士とはかけ離れた一言で、彼女らを視線一つで黙らせた。



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